ネハくんは漢字で書くと「禰覇君」と、ちょっとムズカシイ字になってしまう沖縄は久米島出身の熱い男です。 この写真はまだ僕が東京に出てきて間もない頃、仲間と奥多摩にドライヴに行った時に、上流にあったダムで撮ったものです。
彼とは大学の時に出会いました。 当時から異国の香りを漂わせる独特のファッションセンスで、キャンパスの話題をさらっていたネハくんでしたが、彼のファッション・アイテムを構成する主要なファクターは、「1、2の三四郎」のTシャツと背中に「FIGHTER」という文字のアップリケが縫い込まれたスタジャンとGパンとアポロキャップでした。 彼は一年のほとんどをそれら限られたアイテムの着まわしで乗り切っていたようです。
僕にとって彼との出会いは衝撃でした。 人生いろいろな出会いがあるものですが、彼のような人物と出会うことはとても希有なことです。 彼についてのエピソードを挙げれば一冊の本が書けるほどです。 なかでも、彼が沖縄から福岡に出てきて初めての冬、質屋で購入したストーブの使い方がわからず、上部のやかんを載せるところに紙屑を載せてマッチで火をつけてボヤ騒ぎになった話は今でも語り草となっています。
ネハくんと僕とはあまり共通点のない、というよりも正反対の性格でしたが、僕はネハくんのことが好きで、よくアパートに遊びに行ったりしていました。 そこは僕にとって居心地のいい空間でした。 彼の部屋には古いフォークソングが流れていて、壁には自筆の書道や墨絵の作品が所狭しと貼られていました。 部屋の隅で埃をかぶっていたコピー機はビラ製作用で、彼が学生運動の闘士たらんとした証しでした。 一言で言えば彼は60年代後半に大学生となるべき男だったのです。
そんな彼も東京で結婚し家具作家として独立を果たしましたが、つい最近地元の久米島に帰って自分の店を開く準備を始めました。 人一倍ロマンチストの彼のこと、きっと夢のようなお店を開くことでしょう。 ネハくん、我が人生の師よ。
ネハ君が2002年に沖縄本島に開いたお店は
コチラ。