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奪還
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 お預け食わされて12日後、長い雌伏の時が過ぎ、ようやく取得時講習のその日がやってきた。 午前9時、自宅から自転車でコヤマドライビングスクール二子玉川校に向かう。 今日は終日ここで講習を受けるのだ。
 このコヤマドライビングスクール二子玉川校は曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンス氏が佐渡に帰る前に通って自動車免許を取得したことでも知られる。 近代的な設備に英語教習可。 僕がむかし通った田舎の教習所とは対極にあるようなスクールである。
 フロントで受付を済ませ、所定の教室に行くと、そこはせいぜい20人ぐらいが入れば満席になるような小さなスペース。 中に入ると窓際の席に加瀬亮みたいな感じの男性が一人座って物思いに耽っている。 大部屋に受講者が溢れんばかりの図を思い描いていた僕はその落差に呆然としつつも、とにかく適当な席を見つけて座った。 やがて教官とほぼ同時に藤田和之に似たちょっと強面の男性が教室入り。 何と受講者はたった3名である。
 ここにきてようやく判明したのだが、取得時講習はレクチャーだけではなく高速実習も含まれるため、その性格上少人数のグループで行われるのである。 午前9時半から午後5時半(休憩1時間含む)までの濃密なプログラムのうち普通車講習が4時間、応急救護処置講習が3時間という内容である。
 最初に高速実習のためのレクチャーが1時間ほどあり、次に教習車に教官と受講生3人の計4人が乗り、高速実習に向かう。 コヤマドライビングスクール二子玉川校の場合、高速実習は第三京浜で行う。 3人の受講生が交互に運転をしながら教習所→玉川インター→港北インター→都築PA→玉川インター→目黒通り→自由通り→世田谷通り→多摩堤通り→教習所と述べ3時間に及ぶドライブである。 教官からは進行方向についての指示はあるものの、運転内容についての指示はほとんどない。 やがて車内にも弛緩した空気が漂ってきた頃、教習車は学校に戻り、そこで昼食休憩となる。
 加瀬亮氏はうっかり失効で失効後1年以内だったこともあり、仮免許までは免除され本免からの再取得だったそうだが、もともとペーパードライバーに近かったそうで、本免実技は4回目でようやく受かったという。 一方の藤田和之氏は元々運送屋だったそうだが、駐車監視員制度導入後たちどころに駐禁違反が重なり、あっという間に免取りになったそうで、制度上その後1年間は免許の再取得すらできなかったという。 今回ようやくその期間が明け、すべて1回で合格して今日に至ったとのこと。 すでに運送業とは別の仕事に就いているという。
 それぞれまったく異なる理由で免許を失った3人の男たちが今日この場で一緒に講習を受け、クルマの中の狭い空間を共有する。 免許失効者の不思議な、そしてちょっと物悲しい一日限りのオフ会といった風情。
 午後の部は応急救護処置講習。 レクチャーを受けたのち、三角巾を使った応急処置の方法や負傷者の救護方法を実践訓練する。 次に人体模型をつかって気道確保や人工呼吸の訓練を行い、最後に自動体外式除細動器(AED)の操作方法を学ぶ。 AEDについては万一の時のために自分でも扱えるようになっておきたいと常々思っていたのでこの機会に習得できたことは良かった。
 この取得時講習だが、もちろん自分がむかし免許を取った時にはなかった。 もちろん教習所に通った人は学科講習のなかで行うので免除されるのだろうが、あらためて一発免許のハードルの多さを実感させられた。 とはいえようやく手にした修了証。 あとは明日府中試験場に出向き、念願の免許証を交付してもらうだけだ。

 9月某日。 非公認のドライビングスクールの教官とこの試験場内のコースで練習してからちょうど一か月。 二つ目のハードルである仮免の実技で一度落ちたとはいえその2日後には合格し、それ以外はすべて一度で合格したにも関わらずそのぐらいの日数を要してしまった。 実質的には仮免の路上練習5日間と取得時講習12日間のロスタイムはどうしようもなく、それを除けば2週間程度で取れたということになるのかも知れない。 夏休みで学生が多く実技試験の予約が取りにくかったことと、たとえ予約が入れられそうでもその日に自分の仕事の都合で試験場に来られないこともあったので2週間という結果はまずまず。 夏休みでなければ実質1週間でクリアすることも可能だろう。
 窓口で所定の用紙に印紙を貼り写真撮影へ。 終わるとその場で交付まで2時間半かかることを伝えられる。 この殺風景な試験場での待ち時間もこれが最後である。 移動中や試験場での暇つぶし対策として持ち込んで読破した文庫本もこの一か月の間で5冊を数えた。
 指定された時刻になるのを待って4階にある「免許作成室」に行く。 この一か月のあいだ通った試験場だが4階に上がるのはこれが初めて。 3階までと違い人の気配がしない。 窓口で順番に名前を呼ばれて次々に免許証を受け取るのかと思っていたが、その名のとおりそこは実際に免許を作っている場所らしく、明らかに試験場の職員以外は入ることをためらうような扉の先に続く廊下に面した小部屋だった。
 どうやらその時刻に免許を受け取りに来たのは僕一人のようである。 ドアをノックして恐る恐る中に声をかけると女性職員が出てきて書類を受け取ると、すぐに免許の上に貼られたフィルムを剥がしながら小部屋から出てきた。 見せられた免許証の本籍の部分は空欄になっている。 偽造防止の為の処置だそうだ。 小部屋の前にある端末に免許証を入れ、事前に登録しておいた二つの暗証番号を機械に入力すると画面上に本籍地が表示された。 これで確認は終了。 免許証奪還である。 有効期限のところの初心運転者を表す緑のラインは40を過ぎたジジイには少々気恥しくもあった。

 この物語を最後まで忍耐強くお読みいただいた方に謹んで申し上げる。 もしあなたが免許をお持ちなら今すぐその有効期限を確認していただきたい。 うっかり免許を失効したことに気づいた時の何とも言いようのない気分は、できることなら誰にも味わって欲しくない類いのものである。 そして、万が一あなたが既に地獄の底に突き落とされた末に辿り着いたのであれば、捲土重来の日を少しでも早く迎えるためにこのページがその一助となればこれにまさる喜びはない。(了)
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by theshophouse | 2009-09-24 01:29 | Non Category
突破
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 いよいよ最後の路上試験である。 以前非公認のドライビングスクールの教官と一緒に練習した際と同じ試験場のコース控え室に入り、そこで路上試験の概要について説明を受けてから試験車両に乗り込む。
 どの試験場もそうだが、府中試験場の場合も試験場周辺の道路で試験が行われる。 試験官と受験者2人が一台の車両の乗り込み、最初は試験官の運転で所定の場所で左に寄せて停め、そこで最初の受験者が運転席に乗り込んで試験開始となる。
 前半の20分間は試験官の指示にしたがって運転し、後半の20分間は試験の直前に渡された周辺の地図を見て運転計画を立案し、その通りのコースを運転するというもの。 こう書くと何だか難しそうに思えるが、要は地図上に現在地と目的地のマークがあり、複数ルートのなかから自分が通りたい道を事前に試験官に申告し、その通りに走るということである。 もちろん最短距離を進めばその分試験も早く終わる。
 非公認のドライビングスクールの教官は「昔は仮免が難しくて本免は簡単というイメージがあったと思いますが、今はむしろ本免の方が難しくなってますよ。 ですから仮免取ったら今度は路上練習にも来て下さい」と言われていた。 もちろんセールストークも多分に含まれているのだろうと思った僕は結果としてその忠告を聞かなかったのだが、実際の路上試験の難易度は果たしてどうなのだろうか。
 今回は僕が1番目である。 実はこの試験場のそばに友人が済んでおり、実際の試験コースとなる東八道路や小金井街道は勝手知ったる道。 試験中、たまたま友人宅のすぐそばを通過。 片側一車線の道では車道を走る自転車や停車中の路線バスをうまくクリアすることが必要だが、幸いいずれのケースにも遭遇せず、逆に拍子抜けする始末。 後半も順調に運び、停車中に何度か地図を確認しつつ所定の目的地へ帰還。 ここでドライバーチェンジ。
 次の受験者は若い女性。 自分も後部座席から試験官目線でその走りをチェックする。 左折での目視での後方確認がない。 いや、正確に言うと大袈裟にやっていないと言うべきか。 運転中の後方確認はルームミラーやサイドミラーを見る際も単に目線を動かすのではなく、試験官にわかるように首を動かしてやるのが基本である。
 女性は緊張していたのだろう。 或いは飛ばし屋の素質があるのか、たびたび制限速度を超えてクルマを走らせ、その度に試験官に「メーター見て」と注意される。 試験終了まで都合3回注意され、他人事ながら僕も「こりゃさすがに厳しいかな」と思った。
 2人の路上部分での試験は終わり、ふたたび試験官の運転で試験場に戻る。 最後にコース内で縦列駐車か方向転換(車庫入れ)のいずれかをやる。 どちらをやるかは直前までわからない。 コース内を横切り、その場所に近づいたところで試験官から「じゃあ方向転換やってもらいます」と言われ、そこで運転席へ。 僕はクルマを道路と並行に停車してからバックを始めたが、クルマを斜めに振って停めてからバックしても問題ない。 バックで後方確認する際、無意識に左手が助手席の背もたれあたりに伸びそうになるのを堪え、両手でハンドルを操作して駐車スペースへクルマを送り込む。 車庫入れではなくあくまで方向転換できればいいのでクルマを下げすぎないことがポイント。 最後に出ていく方向にウインカーを出してから出ていく。 これで実技試験の全てが終わった。
 最初の控え室に戻る。 すぐに試験官がやってきて合否の発表。 もちろん合格である。 厳しいのではないかと思われた同乗の女性も合格。 本人は落ちることを覚悟していたのか「逆転勝訴」にびっくりの様子。 合格を告げられた時に試験官からスピードの出しすぎについて小言を頂戴してはいたもののめでたく合格。 難易度が高くなったという路上試験だが、失効組でそれなりに運転のキャリアがある人間から見ればその難易度は決して高くはない。
 かくして試験と名のつく4つのハードルはすべてクリア。 後は免許を交付してもらうだけと思いきや、事はそう簡単に運ばない。 最後の通過儀礼「取得時講習」を受講しなければならないのだ。
 合格証を手に試験場内の窓口にて費用を支払い、取得時講習の予約を入れる。 この取得時講習を修了して初めて免許証を交付してもらう権利を得ることができる。 この講習はこの府中の試験場で行われるのではなく、試験場と提携した都内の各自動車学校にて行われる。 つまり自宅に近い学校へ出向いて受講する方が楽なのである。
 僕もさっそく自宅近くの自動車学校に直接電話をし、取得時講習の予約をしようと試みたが、予約が取れるのは最短でも3週間後、酷い場合だと半年後なんてところもあった。 一刻も早く免許を手に入れたい僕も必死である。 しかしどの学校も予約がいっぱいですぐには予約が入れられない状態。 なぜ講習なんてものの予約がそれほど取れないのか、この時の僕には知る由もなかったのである。
 万策尽き果てた僕は、自宅にも近く、前を通るたびにその盛況ぶりをたびたび目にしていたことから逆に電話するのを躊躇していたコヤマドライビングスクール二子玉川校に最後に電話してみたところ、意外にもこれまでのなかでは最短で予約が取れた。 それは路上試験合格のその日から12日後というものだった。 まさに灯台もと暗しだったわけだが、ここにきての12日間のロスタイムはもはや永遠にも感じられるほど長いものだった。(つづく
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by theshophouse | 2009-09-22 10:11 | Non Category
復讐
 屈辱の日から2日後、ふたたび仮免の実技試験に臨む。 僕はまたも2番目で後部座席へ。 最初の受験者はちょうど矢幡洋氏にそっくりな50絡みのおじさん。 クルマに乗り込む前から挙動不審で運転席に座ってからもおどおどしている。 挙動不審は運転中も変わらず。 どう見てもこの歳で一発受験するような漢には見えないのでたぶん失効組でペーパードライバーなのだろう。 クランクで豪快に脱輪したのだが、そのまま突っ切った。
 試験ではクランクやS字で脱輪したりポールに接触した場合、その時点でバックしてやり直してうまく通過できれば試験は続行され、単なる減点で済み、うまくいけば合格することもあるのだが、そのまま突っ切ったら即アウトである。 矢幡洋氏の試験は開始からわずかであえなく強制終了となった。 
 仮免の実技の難易度がそう高くないことは前回よくわかったのだが、やはり要所は締めていかないと容赦なく減点されていとも簡単に落とされるのも事実。 戦略を立ててそれを忠実に実行できる者しか生き残れないのだ。
 思いのほか早く自分の番が回ってきてしまったことに一瞬戸惑ったが、もう前回と同じ轍を踏むわけにはいかない。 今日で決めてやるという強い意志を胸に運転席に乗り込んだ。

 試験は完璧だった。 終了後、試験官から「いつも乗ってるんだよね? はい合格見込み」と言われて思わず脱力した。 「見込み」というのは、たぶんこのあと違反歴や免停、免取りなどの期間に該当していないかどうかセンターに照会して最終決定するからなのだろう。
 それから2時間余り待たされてようやく仮免許証が発行された。 同時に「仮免許練習中」の札と路上練習申告書も渡される。 これから一日約2時間、普通免許取得後2年以上の人を助手席に乗せ路上練習を最低5日行わなければならないので、本免の学科を受けられるのは最短でも6日後になる。 路上練習申告書には指導してくれた同乗者の名前、運転した車両のナンバー、その日に練習した内容について一日ごとに記載しなければならない。 持つべきものは友達である。
 かくして最大の難関、仮免を取得。 僕はリベンジという言葉は好きではないが、この日はまさにそんな感じ。 それは一昨日の無様な自分へのリベンジだった。

 仮免取得から一週間後、次は本免の学科試験である。 今度も同じマークシートだが、95問中90問正解が合格ライン。 制限時間は50分。 仮免の学科の時よりも求められる正答率はジワリと上がる。 僕は再度同じ試験問題集を繰り返して試験に臨んだ。
 あれだけ様々な例題を解いてきたのに、まったく解いたことのない問題がいくつか出題されていた。 迷った問題に時間をロスするわけにはいかないので後回しにし、わかる問題から次々解いていくと最後に5問が残され、残り時間が15分となった。 ただ、他の問題は自信があり、この5問中2問当たってくれれば御の字ぐらいの気持ちだったので比較的余裕はあったかも知れない。 最後は5問を塾考する時間が十分残っていた。
 また、二十数年前にはなかったのがイラスト問題である。 例えばこんな感じである。 イラストだと文章だけでは伝えにくい状況や距離感を表現できるので、こうした試みは歓迎したいところだが、もちろんもう二度とこんな問題を解きたいとは思わない。

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 自信があったとはいえ、合否の発表はやっぱりどきどきするものである。 だが心配は杞憂に終わり、僕の受験番号はディスプレイ上にあった。 ここでまたしても不合格者はぞろぞろと退出し、今回は6割ぐらいの人がいなくなった。 仮免の学科の時もそうだったが、外国人は学科で全員玉砕である。
 ここでふたたび次のステップについての説明があり、終わったその足でピーボくんカードの端末で本免実技つまり路上試験の予約をしてその日は終了となった。 路上試験は5日後に決まり、僕の免許再取得への道もいよいよ佳境に入ってきたと思われたが、もう手が届きかけていると思っていた免許証は実はまだ遥か遠くにあった。(つづく
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by theshophouse | 2009-09-20 01:39 | Non Category
失意
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 まずは最初のハードル、仮免の学科試験である。 今さら普通免許の試験問題集を購入するなどというのは屈辱以外の何物でもなかったが、僕が免許を取得した当時とは交通法規も変わっているので、最低限そのへんをおさえておくためやむなく購入した。 とはいえ、新品で買うのもアホらしいので「これだけ覚える普通免許問題」というやつをブックオフで調達。 2日間かけて延べ500問に及ぶ練習問題を何度も繰り返して頭に叩き込んで本番に臨んだ。
 夏休みということもあって学生が多いのは覚悟していたが、意外だったのは外国人が多いということ。 特定アジアから東南アジア、さらに西のイラン人とおぼしき人たちの姿をかなり見かける。 国際都市東京ならではだ。
 学科試験会場のなかには僕のような仮免許の学科を受ける人の他に本免許の学科を受ける人、原付の学科を受ける人が混在しており、隣り合った席に座っている人は違うカテゴリーの試験を受けているという状況である。 仮免の場合、50問中45問正解で合格。 制限時間は30分のマークシート方式である。
 入念に準備したかいあって、試験は問題なく終えた。 ほとんどすべて確信をもって塗りつぶしたマークシートのなか、一番悩んだのは次のような問題だった。

 『クルマを発進させる時はルームミラーやバックミラー等で後方を確認してから発進する』

 今となっては正解がわからないのだが、僕は×と解答した。 ミラーだけでなく目視での後方確認が必要だと考えたからである。 しかし、実際に発進するたびいちいち目視で後方確認なんてやらないと思うので、これは僕の考えすぎだったのだろうと思う。
 会場内にも数人の外国人の姿を見かける。 自分の国で免許を持っていてそれを日本のものに書き換える場合は、英語に加え他の数ヶ国語で記述された簡単な学科試験問題と実技試験をクリアすることで取得することができるが、一発免許の場合は都道府県によってその扱いが異なる。 東京の場合は複数言語による試験問題が用意されているようだが、自治体によっては日本語の試験問題しかないところもあるらしい。 そういう場所で外国人が日本語の微妙なニュアンスや引っかけ問題を解くのはなかなか大変だろうと思う。
 試験終了から約1時間後に試験を受けた会場で合否の発表。 会場内の前方に設置されている液晶ディスプレイに合格者の番号のみが表示される。 この種の緊張感を味わうのは久しぶりだが、発表は拍子抜けするほどあっけないものだった。
 画面に自分の受験番号が表示された時はほっとしたというのが正直なところ。 多忙ななかスケジュールをやりくりして府中まで来ているだけに、失敗して時間と労力を無にすることは許されない。 自分にも敢えてそうしたプレッシャーをかけて臨んだ学科試験だけに、ひとまず第一関門突破に胸をなでおろした。
 この時点でディスプレイに受験番号が表示されなかった受験者は会場を退出させられる。 席を立ち、不合格の人がぞろぞろと会場を出ていくと、会場内に残された人は約半分になった。 続いて、残された合格者たちには次のステップである仮免の実技試験、本免の実技試験についての手続きの説明が行われた。 東京都の場合ここで各自に「ピーボくんカード」が配られ、そのカードを所定の端末に入れて実技試験のスケジュールを確認したうえで日にちを決めて予約するシステムになっている。 夏休みということもあり、すぐ翌日などは既に予約がいっぱいで、自分のスケジュールとの兼ね合いもあり予約が取れたのは一週間先になってしまった。 予約が済んだ時点でこの日は終了となった。

 一週間後、試験場内のコースにていよいよ実技試験に臨む。 指定された時刻に会場入りすると、檀上にその日実施される実技試験の免許の種別ごとに、牽引、普通二種、普通一種MT、普通一種AT限定、大型などと書かれた紙が貼ってある。 しばらくするとその種別の数と同じ数の試験官がぞろぞろと入ってきて檀上に居並び、哀れな受験者どもを上から目線で威圧的に見下ろす。 久々に味わうアウェイの雰囲気。 テロ朝の角澤がその場にいたら「これぞまさしく大アウェイ!」と実況していたことだろう。
 ひととおりの説明が終わってそのまま階下のコースに降り、すぐに試験開始。 僕は2番目だったので後部座席に座る。 運転席に座る最初の受験者は韓国人女性。 後部座席からあらためてコースの下見をしつつその運転ぶりを見ていたが、スムーズさに欠け、ところどころ目視での後方確認も怠り、正直これでは・・・と思っていたらまさかのコース完走。 降車後、試験官から合格と告げられているのを見るに至って仮免実技の難易度がそう高くないことを実感し、多少楽な気分で運転席に乗り込んだ。
 いよいよ試験開始。 やはり事前にこの試験場内のコースで練習したのは大きかった。 試験官の指示どおりスムーズにクルマを走らせる。 確認の動作も完璧。 前の女性の時はたびたびチェック表に何かを書き込んでいた試験官も開店休業、ペンを走らせている様子はない。 全コースのほぼ80%を順調に走り終え、右折を支持された交差点の赤信号で停車した時、僕は合格を確信していた。 しかしそこに大きな落とし穴が口を開けて待っていた。
 信号が変わり、赤のまま直進と左折の青い矢印が点灯した。 右折レーンにいる僕のクルマは当然のことながら停止していなければならない。 ところが、何を焦ったか僕はクルマを発進させていた。 そして、発進させたのとほぼ同時にその判断ミスに気づきブレーキを踏もうとしたが、それよりも一瞬早く隣の試験官が強烈にブレーキを踏み、「信号は赤ですよ!」と怒られた。
 そこから先のことについては思い出すのも苦々しい。 まさかの試験中止である。 魔がさしたというのはこういうことを言うのだろうか。 やはりどこか平常心を失っていたのだろう。 周囲に他のクルマが一台も走っていないという非日常的な状況が実際の運転中では考えられない判断ミスを引き起こした。 これが法則発動(笑)か・・・。
 かくして「アウェイの洗礼」に無様に玉砕した僕は、失意のなかふたたびピーボくんカードを端末に入れ、翌々日に再試験の予約を入れて帰路についた。 その日と翌日はとても心穏やかでいられなかった。 頭の中で何度もあのミスがプレイバックされ、そのたびに己の愚かさを呪った。 幸いにも次の予約が2日後に取れ、悶々として過ごさなければならなかったのが約48時間で済んだことがせめてもの救いだった。(つづく
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by theshophouse | 2009-09-17 10:02 | Non Category
発覚
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 タイトルは真保裕一か堂場瞬一の小説のタイトルみたいだが、これから数回に渡って記すのはサスペンスでもなければ警察小説でもない。 この夏僕の身に実際に起こった出来事である。

 それは晴天のへきれきだった。
 決して晴天とは程遠い自分の日常。 晴天というより曇天、いや雨天、むしろ暴風雨というのが相応しいが、その出来事はそんな日常ですら紛れもなく晴天だったと思わせてくれるほどの衝撃をもたらした。
 ある日、何気なく自分の免許証に目をとめた僕は自分の目を疑った。 網膜に映し出された映像には「平成20年4月10日まで有効」の文字。 「たしか今年は平成20年だったはず・・・」と傲慢極まりない希望的観測を胸に今朝の新聞を引っ掴んで日付を見てみたが、突如時間が巻き戻るはずもなく僕はその場に立ち尽くした。 期限切れとなる日から既に1年半になろうとしていた。 全身から血の気が引いていく音がした。
 前回の更新は今の住所に引っ越してくる前の住所に住んでいた時で、免許証にはその時の住所が記されている。 住所変更の届けを出して免許証の記載内容を書き換えることを怠っていたため、今住んでいる住所に免許の更新の時期を知らせるハガキが届かなかったのである。 その間身分証明として保険証を使っていたので特段不自由も感じていなかった。
 その時点で僕は自分の免許が完全に失効したことを覚悟し、それと同時にまた一から免許を取り直すまでの悠久の時に思いを馳せてしばし呆然とした。 様々な思いが走馬燈のように駆け巡っていく。 二十数年前に免許を取った田舎の教習所の風景、S字、クランク、縦列駐車、鬼教官、免許取ったらすぐに無茶な運転して死にそうな若者たち、教習ビデオの憂鬱、当分クルマを使えなくなることによる仕事への影響等々・・・。
 そうして10分ほど現実逃避して思考停止状態にあった頭を再起動できたのは自分としては上出来だった。 とにかくクルマが使えないことは今の僕には死活問題である。 この状況を制圧するには免許を再取得するしかない。 当たり前の答えに到達するのにさほどの時間はかからなかった。

 まずは情報収集。 失効した人がどうやって免許を再取得しているかネットでざっと調べてみる。 時間と費用の面からみてもう一度自動車学校に通うなどありえない。 当然試験場での一発受験を目指すわけだが、いくら運転に習熟していてもやはり試験にはノウハウがある。 いかに短期間かつ最小限の費用で免許を再取得するか。 さまざまなサイトを巡回して情報を集め、それを自分なりに精査して得た結論は、一発受験の前に非公認のドライビングスクールに申し込み、実際に試験を受けることになる府中の試験場内のコースで1時間のトレーニングを受けるということだった。
 いくら日常的にクルマを運転していてもそこはやはり20年以上の運転歴を経ていくなかで自分の体に沁みついた運転の癖というものがある。 それは日常一般道路を走行する際に特に差し障りはないものの、運転の教則本に載っている正しい運転方法とは別物である。 したがって、いわゆる教習所内での模範的な運転をいまいちど体で覚えてから試験に臨む方が得策だと判断したのだ。
 8月某日。 とある非公認のドライビングスクールの教官の方と府中試験場で待ち合わせ。 府中試験場のコースは週末の土日は開放されており、料金を支払えば練習することができるようになっている。
 非公認のドライビングスクールといっても様々で、敷地内に練習コースをもっているところもあれば、個人経営で練習車だけを保有しており、試験場や他の自動車学校の練習コースに「出稽古」したりするものもある。 僕が頼んだのは後者。 挨拶もそこそこに試験場内のドライバーの控え室へ。 そこで簡単なレクチャーを受けたのちさっそく練習開始。 この日の同じ時間帯にコース練習する人は8人ぐらいだった。
 練習車はカペラ。 実際の試験で乗ることになるクラウンのコンフォートとほぼ同じ車格だという。 最初はgdgdだった。 右左折時や車線変更時などの「ルームミラー→サイドミラー→目視」という一連の後方確認の動作がなかなかスムーズにいかない。 インベタで左折できない。 一旦停止で2秒ぐらい止まるところ停止時間が短い。 踏切で窓を開けない。 カーブの途中でブレーキを踏んでしまう・・・。 しかし不思議なものでコースを何周かするうちに大昔に習った教習所的な運転の感覚が甦ってくるものである。 1時間の練習が後半にさしかかる頃には教官からツッコミ入れられることもほとんどなくなった。
 「今日の後半の調子で運転してもらえればまず仮免に落ちることはないでしょう」 教官からも太鼓判を貰い、あっという間に過ぎた濃密な1時間は終わった。 これにて準備完了。 いよいよ仮免の学科試験から僕の免許再取得への戦いが始まった。(つづく
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by theshophouse | 2009-09-16 09:40 | Non Category
Ichiro the legend
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 イチローが前人未到の9年連続200安打の偉業を達成した。 ウィリー・キーラーが1894年から1901年に記録した8年連続を108年ぶりに更新した。
 これまでにもイチローからは言葉にできない大きなものをいっぱいもらっている。 今年はWBCでの決勝タイムリーで既にお腹いっぱいだったから、言うなればこれは特上のスイーツ(笑)である。
 イチローについては数多の専門家が分析し尽くしているので、今さら僕のようなド素人があらためて申し上げるようなことは何もないのだが、その現象面においてそうした専門家の方々があまり言及していないと思われるのが「自打球に当たらない」ということではないだろうか。
 とはいえもちろん僕もイチローの全打席をフォローしているわけではない。 ためしに「イチロー 自打球」でググってみると、練習中やオープン戦で当てたことはあってもシーズン中に当てたという記述は出てこない。 つまりそれはイチローのバットコントロールが並外れていることを表している。
 平凡な選手は、打席に立った時にピッチャーに近い側の足先に自打球が当たることを恐れ、大袈裟なプロテクターをつけているものだが、それは自分で「私はバッティングが下手です」と申告しているようなものだ。 また、一塁ベースまでのスピードを重視するイチローにとって、足のプロテクターは文字通り足かせになりかねない。 
 一方でイチローが身につけているのは、ヒットを打って出塁した時に塁上で外す動作がルーティーンとなっている肘のプロテクター。 デッドボール対策だが、右肘が彼のバッティングのメカニズムなかで基幹部位に当たるからではないだろうか。
 マリナーズの地元紙「シアトル・タイムズ」(12日付)によれば、「イチローの記録は米国ではほとんど注目されていない」という。
 彼らがイチローのこの記録の凄さに気づくのは100年後か200年後にこの記録を破る選手が現れた時なのかも知れない。 ちょうどイチローが塗り替えていく記録がウィリー・キーラーやジョージ・シスラーの記憶を呼び起したように。
 一人の日本人としてその偉業達成に心からおめでとうと申し上げたい。
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by theshophouse | 2009-09-15 00:13 | アジア人物伝
ちくしょーめぇ~!(笑



 ニコ動が貼れるようになったそうなので手始めに総統貼ってみますた。
 オランダ戦に怒り心頭のご様子。 無理もありません。(´・ω・`)

 エキサイトさん、ありがとうございます。m(_ _)m

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by theshophouse | 2009-09-10 22:48 | 蹴球狂の詩
欧州遠征から見えたもの
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 日本でのゴールデンタイムの中継のためか、オランダの現地時刻午前11時というキックオフ。 午前中の試合は初めてという選手もいたかも知れない。 日本代表の広告代理店はいつまでこんなことを続けるのだろうか。
 ガーナ戦。 日本は前のオランダ戦同様、前からプレスをかけてゴールに迫り、前田と中村憲剛が決定機をつくるもシュートは枠をとらえず。 ガーナも個々の身体能力の高さで対抗。 とりわけガーナの選手はボールを支配下に置ける半径が日本の選手のそれより半歩ほど大きい。 競り合いのなかでもあまりボールを失わず、イーヴンボールも長い足先で掠め取ってしまう。 日本は長友のハンドでPKを献上し、1点ビハインドのまま前半を終えた。
 後半、一気に4人を代えてきたガーナが本領を発揮する。 GKのロングボールからギャンが巧みなボディバランスとボールコントロールで中澤をかわしてゴールを決める。 一方の日本も、この日大車輪の働きをみせた中村憲剛が前田が潰れて繋いだボールに詰めて1点を返す。 しかし、その後もたびたびその驚異的な身体能力で日本のゴールを脅かしていたガーナは後半21分、縦に早い展開からムンタリの浮き球のスルーパスに抜け出したアモアーが闘莉王と都築をかわしてゴール。 2点目も3点目も、身体能力の高い相手に数的優位をつくれなかったディフェンス。 逆にガーナがそれだけ早いタイミングでゴール前に放り込み、そのボールに反応してスペースに走りこむ選手がいたということ。 それは組織的というよりも個の力による得点だった。
 そのガーナの3点目。 裏を取られた闘莉王はアモアーを追いかけることすらできず、都築のカバーにまわる素振りさえできなかった。 事ここに至って日本の命運は完全に潰えたかに思われたが、ここで岡田監督は珍しく早めに交代のカードを切った。
 後半25分、俊輔に代わって本田、前田に代わって玉田をそれぞれ投入。 本田は前の試合同様あいかわらず機能しなかったが、後半18分に疲れの見えた長谷部に代わってピッチに送り込まれていた稲本と玉田が疲れの見え始めていた中盤を活性化し、逆にガーナは3点目で安心したのか直前に終えたW杯予選のスーダン戦の疲労が見え始め急激にスローダウン。 その様はまるでオランダ戦の日本を見ているかのようだった。 おかげでそれまでも決して厳しくはなかった中盤がスカスカになり、日本は労せずしてボールを前に運べる展開になってきたところに、PK献上で責任を感じていたのか長友も猛然と攻撃参加し、日本が左サイドから分厚い攻めでチャンスをつくる。
 オランダ戦後半の3失点がそうだったように、後半33分からの5分間での日本の3ゴールもまた必然だったのかも知れない。 代わって入った稲本と玉田がそれぞれゴールを決めて結果を出したのは大きい。 前の試合で問題視された運動量の落ち込みもオランダ戦ほど急激なものはなく、途中出場したフレッシュな選手に引っ張られることで急激な落ち込みを防ぎ、相対的にガーナの足は止まった。 結果、日本が中盤を制圧した後半30分以降は一方的な展開になったわけだが、日本の選手たちは足が止まるということの恐ろしさをあらためて痛感したのではないだろうか。

 アフリカの国々の御多分に洩れず、ガーナもその平均寿命が57歳と短い。 これは以前からの持論なのだが、一般のフットボールプレイヤーが絶頂期を迎えるのが20代後半ぐらいだとすれば、ブラック・アフリカの選手たちのそれは10代後半から20代前半、つまりオリンピック世代という仮説である。
 つまり平均寿命が短い分だけ肉体年齢のピークが前に来るということであり、故にアフリカ勢はオリンピックではナイジェリアやカメルーンが金メダルをとっても、W杯では3位にすらなれていない。 もちろん個々の選手に目を転じれば、20代後半から30代前半にかけてACミランで6年の輝かしいシーズンを送ったジョージ・ウェアのような例外も存在するが、A代表の世代のアフリカ勢が国際大会でさしたる結果を出せていないのも事実。 むろん今日の試合だけでは参考にならないが、欧州勢に比べればやり方次第で日本にも十分勝機はあるのではないだろうか。 ただし今度のW杯はすべてのアフリカ勢にとってホームゲームとなることが予想されるので、この点日本はどことやっても厳しい戦いを強いられることになるだろう。

 この2戦を通じて感じた課題は、試合の流れや戦況を読んだ試合運びの必要性と、プレスのさじ加減、ロングボールへの対応、選手交代のタイミングと人選の重要性、ピッチへの適応力といったところだろうか。
 トルシエ時代、その戦術をピッチの上の選手たちがプラグマティックに解釈して結果を残したように、岡田監督の「プレス原理主義」的フットボールを選手たちがうまく咀嚼した先に何らかの答えがあるのかも知れない。
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by theshophouse | 2009-09-09 23:59 | 蹴球狂の詩
ビルマに空飛ぶ僧侶現る?

 この映像はビルマでは元日にあたる今年の4月17日にNyi Nyiというビルマに住む無名のティーンエイジャーの女の子によって撮影されたもので、映像には子供が「(空飛ぶ)お坊さんだ!」と叫んでいる音声も収録されている。 この様子をカメラを通してではなく肉眼で見ていた子供の目に映ったものは一体何だったのだろうか。
 元記事にも、仏教経典によれば僧侶が悟りの境地に達したとき飛行を達成するとある。 中沢新一がオウムを擁護してキ印認定される以前に書いた名著「チベットのモーツァルト」にも、チベット高原に実在するという、地面からわずかに浮き上がり風のような速さで空中を歩行する修行僧「風の行者」についての記述がある。 いずれも壮大なメタファーなのかも知れないが、僕自身はそういう非現実的な事象というものの存在について否定しない。
 もっとも矢追純一的視点で見れば、この映像はいわゆるキャトル・ミューティレーションの真っ最中ということになるのかも知れない。 すなわち空中を浮遊しているのは僧侶ではなく家畜の類い。 真偽のほどは不明だが、2005年にはイタリアで空中浮遊する馬の映像も撮影されている(後半はフライング・ヒューマノイド)。


 ともあれ、なかなかいいニュースが聞こえてこないビルマから、少しばかり頬が緩むニュースであった。 次に行った時には空を見上げる時間が増えそうだ。


Myanmar:UFO or flying Buddha? 【Ashin Mettacara】(音が出ます)

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by theshophouse | 2009-09-08 22:13 | Alternative
可能性と限界
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 岡田監督の方法論は正しいのだろうか? オランダ戦はあらためてそのアプローチに疑問を抱かせる内容だった。
 確かに日本は前半押し気味に試合を進めた。 中盤でのプレスが効いてたびたび相手ボールをインターセプトして攻め上がるものの、フィニッシュの部分での精度は相変わらず。
 後半、オランダも立て直し序盤は互角の展開だったが、前半から飛ばしていた日本は急激に電池切れを起こして失速、中盤でプレスがまったくかからなくなり、ロッベンと代わって入ったエリアの面倒を一人で見させられて消耗が著しかった内田の裏のスペースを再三突かれた。 後半24分からの3失点は必然だった。
 痛かったのは2点目。 ペナルティエリア前のスナイデルの正面で中澤がシュートブロックの態勢にあったが、その外側のわずかな隙間を通されて失点。 小さな振り脚で放たれたシュートに中澤の反応も遅れ、ブラインドになったGK川島も反応が遅れた。 この2点目はヘコむ。(´・ω・`) フンテラールの3点目もそうだが、チャンスはピンポイントでゴールに結びつける。 やはり決定力の差は如何ともし難い。
 岡田監督で試合直後のインタビューで「攻守にわたってどこか1つでも抜けるとやられるということがあらためて分かりました。 厳しさというか、どこか1つでも甘いところがあるとほころびが出る。 1人走るのが遅れるともう間に合わない。」と語っているが、今日オランダと少なくとも前半だけは互角以上に戦えたことをよすがに今後も戦っていくつもりなのだろうか? つまり、日本がオランダのような国に勝ってベスト4入りするには今日の前半のようなプレーを90分間続けることが大前提だと。
 たったひとつのミスさえ甘受できないというのならフットボールなんてやらなければいい。 ピッチには11人の仲間がいる。 そのミスをバックアップすることまで考えて初めて「戦術」だろう。 フットボールの戦術は、システムエンジニアが頭の中で考えるソフトウェアのプログラムとは違う。 後半足が止まった時のマネージメントをどうするか? 消耗の激しい選手を交代する策もあるし、システムをいじる策もあるだろう(この点いつもは単に五月蠅いだけの松木は今日珍しくマトモなことを言っていた)。
 今日の試合はドイツW杯でのオーストラリア戦、ブラジル戦の延長線上にある。 つまり前半から飛ばしていった挙げ句失速し、最後に立て続けに失点する試合。 つまり日本はこと試合運びという点においては2006年から3年以上たった今もまったく進歩していないということになる。
 世界ランク40位の日本はフットボールにおいて明らかに弱者である。 そして、フットボールにおいてアップセットを起こすチームが採用するセオリーといえば、ガチガチに自陣ゴール前を固めてからのカウンターというリアクション・フットボールである。 その戦術をカテナチオという「国技」にまで昇華させてしまったイタリアはともかく、今さら日本にそんなものを期待するわけでもないし、日本人の民族性にも合わないと思う。
 結局日本は今日のように後半20分ぐらいから電池切れするのを覚悟で、それでも強者には最初から玉砕覚悟で特攻していくしかないのだろうか?
 W杯において仮にその戦術が完璧に機能し、ひとつの試合を成功裏終えることができたとして、それから数日後の次の試合で同様のパフォーマンスを見せることができるのだろうか?
 日本代表の可能性と限界を同時に見せられた。 そんな試合だった。
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by theshophouse | 2009-09-06 01:18 | 蹴球狂の詩



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