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オマーンよ、日本を粉砕せよ
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 キリンカップ第二戦パラグアイ戦。 0対0のドロー。
 パラグアイは伝統的に堅守のチームだが、今回のチーム構成は点取り屋のサンタクルスら欧州組を除く南米のクラブに所属する選手だけであり、ベストメンバーにはほど遠い。 一方の日本は南アフリカW杯三次予選を前に、海外組の松井と長谷部に加えて中村俊輔も帰国し、ほぼベストメンバーといっていい。
 試合はコートジボワール戦同様、日本が長友や中村俊輔が絡んで左サイドから何度かいい形を作ったが、パラグアイは素早く対応し、マンツーマンとゾーンを巧みに使い分けて日本の攻撃の芽を摘んだ。
 コートジボワール戦とは異なり、多くの時間帯で日本がボールを支配していたが、単に持たされているに過ぎず、一方のパラグアイにしても、無意味にボールを保持することなど興味がないかのように、ボールを奪ってからの攻めも単発なものばかりで迫力に欠けた。
 日本のフォーメーションは4-2-3-1だったが、結論から言えばトップにもう一枚欲しかった。 パラグアイは巻にセンターバック二人で余裕をもって応対していたし、 両サイドバックは十分自分のサイドをケアできていた。 巻のところにまったくボールがおさまらないので無理もないが、二列目からの飛び出しもあまり見られず、時計の針が進むごとにゴールから遠ざかっていった前半だった。
 後半。 岡田監督はアタマから遠藤に代えて松井を投入し、前線へ飛び出す駒を増やしたが、必要なのは巻のそばにもう一枚FWを置くことだったのではないだろうか。 投入直後、松井は何度か前線に飛び出したが、攻撃を活性化させるには至らなかった。
 続いて岡田監督は後半18分に巻を下げて高原を、鈴木啓太に代えて長谷部を投入したが、戦術的にはほとんど無意味な交代だった。
 更に後半24分には負傷した阿部に代えて駒野を投入。 僕はかつてジーコの時代に加地さんが右SBのポジションを欲しいままにしていた頃、阿部の右SB起用を小欄で訴えたことがあり、その働きを密かに注目していたのである。 彼の正確なキックと展開力はベンチに置いておくには惜しい。 ただ前半は左の長友が常に高い位置を取るためバランサーに徹し、攻撃参加はほとんどなかった。 それでも後半パラグアイが攻めに人数を割いてこないと見るや、左の長友同様に高い位置をキープし、深い位置まで上がってクロスを入れたりと、いい感じになってきたところで負傷してベンチに下がってしまった。 正直もう少し見たかった。
 後半32分、岡田監督は山瀬に代えて大久保を投入。 ようやくFWが二枚になり、大久保が立て続けにシュートを放つ。 それまでほとんどフィニッシュにまで至っていなかったことを考えれば、この決断がなぜ後半32分までできなかったのか理解に苦しむ。 前線で一人放置プレイされた巻や高原は結局一本のシュートすら打つことができなかった(途中何度か寝てたので見逃してたらスミマセン)。 巻に至っては相手ゴール前で見事な「ディフェンス」まで見せてくれた。 まあ「髪一重」ではあったが。
 残念ながら、あるレベル以上の相手に、4-2-3-1のワントップをこなせるFWが今の日本にいるとは思えない。 そこにはFWのすべての職能が求められるからだ。 日本のFW陣の現状を考えると、2~3人のコンビが欠点を補完し合って、互いの長所を引き出すやり方しかないように思える。
 後半40分、岡田監督はトドメとばかりに中村憲剛に代えて今野を投入。 都合6人の選手が入れ替わったが、試合開始当初とはフィールドプレイヤーの6割が入れ替わった状況で、同じコンセプトを維持できるだけのコンセンサスが今の岡田ジャパンに存在するとはとても思えず、終盤は落ち着きのないバタバタとした印象になった。 自由に動き回る選手が多過ぎて本来のポジションの選手と被る場面も多く、逆に自分のスペースを消していた。 誰が何処に動いても常に密集から抜け出せなかった。
 一方、ほぼすべての時間帯で、バスケットボールのオールコートディフェンスのようなプレスをかけてきたパラグアイ。 日本より2日分余計に休養を取ることができたのもあるが、そのディフェンスは執拗かつ強固だった。 ピッチ上の何処にもスペースらしきものは存在しなかった。 そういう難敵を相手にした時、いつものようにショートパスを繋ぐピンボールサッカーや、サイドからの殺気のないアーリークロス頼みというのも悲しい。 地上にスペースがなければ空中にそれを求めるのは必然。 時間帯によってはロングボールを蹴ってFWが競ったところに走り込むとか、古典的なやり方でも何らかの変化が必要な相手だった。 攻めの引き出しが少な過ぎるのだ。
 最後まで不可解なだけだった岡田監督の選手交代。 これがテスト的な意味合いのものではなく、勝つためのものだったとしたら、この監督は本当にどうかしてると思う。 ほとんど顔見世興行のような選手起用だった。
 結局、キリンカップの日本対パラグアイ戦は、互いのいいところを相殺するひと頃ののセリエAみたいな味も素っ気もない試合になってしまった。 数少ない収穫は代表デビューの寺田が無難にプレーしたことぐらいだった。
 今僕は、来たるオマーン戦のチケットを買ったことを猛烈に後悔している。
 このチームは個々の能力や戦術理解度は高いはずなのに、オーガナイズする人間の能力不足で停滞していると思う。 そもそも僕はまだ岡田監督を容認していない。 フランスW杯で3連敗した監督が、なぜいつのまにか代表監督の座にいるのか? なぜスタジアムで試合を観ているオシムに、現場は無理だとしても総監督的な立場でのディレクションを求めないのか? 或いはやはりオシムの体調はあまり良くなっていないのか?
 いっそオマーンに岡田監督を日本もろとも粉砕してもらいたい。 そうなったら、それまでだ。
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by theshophouse | 2008-05-28 00:50 | 蹴球狂の詩
世界をアッと言わせるほど劣化し続ける岡田ジャパン
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 キリンカップ初戦、コートジボワール戦。 日本は前半まだ時差ボケのせいか動きの鈍いコートジボワールから1点を挙げて逃げ切った。
 監督が代わっただけでサッカーというものはこんなにもつまらなくなるものだろうか。 岡田監督が目指すサッカーが何なのか。 正直まったくわからない。
 この試合で良かったのは、前半6分、左サイドをオーバーラップした釣男に長谷部が絡んでダイレクトパスが繋がり、ゴール前に走りこんだ大久保に長友から惜しいクロスが入ったところと、右サイドをフリーで上がった長谷部からのクロスに大久保がニアで相手DFを引きつけ、フリーになった玉田がファーで合わせたゴールシーンだけである。
 確かにコートジボワールは強かった。 運動量で大きく日本に勝り、特に後半はボールをポゼッションし続けた。 これといった戦術らしきものはなかったが、ラグビーでいうならスクラムやドライビングモールでトライを奪うような地力の違いを見せつけた。 もしドログバが来てたら日本は大敗していただろう。
 しかし、ホームでシーズン真っ只中のプレイヤーが中心の日本が、長いシーズンを終えてはるばる日本までやって来たコートジボワールに対し後半足が止まって一方的に攻められるとはあまりに情けない。 人が動かなければボールも動かない。 日本のサッカーはオシム時代から確実に退化した。
 フォーメーションはオーソドックスな4-4-2だが、中盤の4人をフラットに配置してサイドを厚くした。 前半こそそれが奏功して効果的なサイド攻撃ができたものの、後半は長友も松井もほぼ完全に封じられた。 もっともこれは日本側にも問題があり、初めて一緒にプレーする選手も多いせいかコンビネーションは良くなかった。
 注目された松井と長谷部の海外組と新加入の長友だが、松井はやや消化不良の出来。 相手のマーカーはともかく、チームメイトですら彼に接近し過ぎの感があった。 もう少し彼が自由にふるまえるスペースを与えて欲しい。
 長谷部は中盤の底からサイド、そして時には前線へと果敢にポジションチェンジしながら奮闘した。 すべてのボールが彼を経由した。 この試合でもしMVPを選ぶのなら何度も好セーブをみせた楢崎と彼を置いて他にはいない。 実際にMVPに選ばれたのは中澤だったが、彼の出来は普通だった。 ちなみに逆MVPは文句なしに今野。
 最後に長友だが、スピードと運動量は素晴らしいので今後に期待したい。 前半だけだったが、少なくとも駒野の左サイドよりは全然マシだった。 その駒野はようやく本職の右サイドに入ったが、相変わらず冴えないプレーだった。 そもそも彼の体型はサッカー選手というより柔道家のそれである。 芝生というより畳の上で見てみたい選手だ。

 ところで先日加地さんが代表引退を表明した。 今後はクラブでのプレーに専念するのだという。 そもそも今回の代表合宿にも呼ばれておらず、事実上「代表落ち」している状況下での代表引退表明。 さすが加地さん、やることが常人の理解を超えている。
 ただ、右サイド偏執狂の岡田監督が抜擢した内田や今夜の駒野のヘタレっぷりを見ていると、あの加地さんのクロスワロスwですら名残惜しくなってくるのも事実だ。 かつてあれほどまでに加地さんの代表引退いや現役引退いや転職を熱望した僕でさえそう思う。 それほどまでに日本の右サイドは不毛地帯だ。
 対照的に左サイドには今夜も長友という新星が現れた。 こと左に関していえば、その実力差は五十歩百歩ながら雨後のタケノコのように次々と人材が現れる。 このアンバランス、いつになったら解消されるのだろうか。
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by theshophouse | 2008-05-25 01:52 | 蹴球狂の詩
バイアス
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 回線状況は不安定ながら、ここにきてようやくラングーンとのインターネットも繋がるようになってきた。
 ビルマの取引先のスタッフのなかには今回のサイクロンで大きな被害がでた南部のデルタ地帯に居を構える人もいて、その被害に遭った家屋の写真がメールで送られてきた。
 ご覧のように元々簡素な造りの住居であり、未曾有のサイクロンに14時間にも渡って蹂躙されたのではひとたまりもない。 海岸や河川に近い地域では高波で家どころか村ごと持っていかれた所も多いので、壊れながらも辛うじて住居の原型をとどめているのはむしろ被害が軽微だったと言えるのかも知れない。

 サイクロンがラングーンを襲ってからちょうど10日後に中国四川省が大地震に見舞われた。 いずれも最近僧侶が迫害を受ける事件があった地である。 ラングーンでは昨年9月の反政府デモの際に多くの僧侶が投獄されて殺害され、四川省と隣接するチベットでも同様に僧侶が迫害を受けている。 この符合を単なる偶然と片付けることはできそうにない。
 ただ、この両国の災害後の対応はまったく違った。
 ビルマが援助物資のみを受け入れ、他国からの人的援助を拒み続けている一方、当初同じような対応をとると見られていた中国はいち早く物と人の援助を受け入れた。 もっとも救助隊が現地入りしたのは事実上救助が不可能に近い状態になってからのことであり、救助に向かった現場はいずれも生存者がいない場所だった。 救助隊と入れ替わるように現地入りした医療チームが連れて行かれたのは被災地の避難所などではなく、既に一定のレベルの医療行為が行われている近代的な病院だった。
 報道を見ていると、中国側は日本からの救助隊や医療チームの安全確保を優先するあまり、災害の最前線への派遣に二の足を踏んでいるといったような見方が多いが、実際はどうなのだろうか。
 中国という国は良くも悪くも唯我独尊でやってきた国である。 他人を助けることも、また他人に助けられるということにも慣れていないのだ。 したがって世界中から救いの手を差し伸べられている今の状況というのもまた彼らにとって未曾有の体験なのであり、どうしていいかわからないというのが正直なところなのではないだろうか。
 そうした「牧歌的な」見方の一方で、被災地域にある核関連施設や原子力発電所も被害を受け、既に放射性物質が飛散しているような地域に外国人を送り込んで、後になって被爆した事実が明らかになったりするのを恐れているといった恐ろしい仮説も成り立つ。
 それでも中国の震災後の対応で唯一評価できるのは、多くの外国メディアを受け入れ、検閲なしに自由に報道させている点である。 その「おかげ」で日本にいる我々は、現地から伝えられる映像とリポートによってその惨状の輪郭をある程度把握することができる。 ところがビルマはそうした対応はおろか、救助隊すら受け入れなかった。
 現地に情報ソースを持たない日本のメディア。 最近ではいくつかの日本のNGOが現地で独自に支援活動を開始しているので、そこからの情報もあるが、その報道は概ねAFP(フランス通信)=時事という流れに依存している。 そして当然のことながらその情報には国是である「自由と博愛と平等」というフランス的バイアスがかかっている。 先頃ようやく現地入りした日本のメディアは共同通信。 「よりによって」共同通信である。 共同通信といえば、日本で唯一平壌に支局を置くことを許されたメディアである。 つまりは将軍様にお墨付きをいただいたメディアである。 後は言うまい。
 よく「公平中立な報道」などというが、そんなものが絵空事であることは言うまでもない。 情報とは終局的には一人の個人によって発信されるものであり、そこには当然その個人の心情や視点、価値観といったものが色濃く反映される。 人の「情」が入るからこその「情報」である。 つまるところ、バイアスのかかっていない情報には何の価値もない。
 そうしたバイアスがかかったソースが発信するビルマの現状は、「軍が援助物資を横流し」「軍が瓦礫やゴミを撤去せず路上に放置」といったものである。 やはりここにも「軍政=悪、民主化勢力=正義」といったバイアスが露見する。 受け取る側の我々としてはあくまでそれを承知の上で情報に接する必要がある。 それは真実であり、また真実ではない。
 一方で「現地で支援活動を始めているNGOらが被災地に入る際に賄賂を払わされた」といった報道はかなり正確だろうと思う。 この国で何か事を始めようというとき袖の下は欠かせない。 軍政とその威を借る官僚組織は全方位的に腐敗し、この国の政治システムを未だに封建的な秩序のなかにとどめている。 それでもまだ選挙を実施している分だけ中国よりはマシということになるのかも知れない。

 以前のエントリーでも紹介したラングーンの日本語学校の方のブログ。 この方は自分で支援物資を被災地に届けるなど、支援活動も行っている。 同氏が、被災地であるラングーンから日本人の視点で海外の報道について書いているエントリーは非常に興味深い。 そして多くの場合、こうした意見はメディアから黙殺される。 コメント欄には同氏を批判する書き込みが多く見受けられるが、ビルマという国についての理解に乏しい人か、亡命ビルマ人によるものと推察する。

 海外の報道姿勢について【ミャンマー・日本語学校ブログ】

 また最新のエントリーでは被災地の現状について詳細な記述もあった。

 被災地の現状【ミャンマー・日本語学校ブログ】

 以前にも書いたが、僕とてミャンマー軍政を擁護するつもりはない。 彼らは今回のサイクロン禍の2年前に首都をラングーンから内陸部のネピドーに遷都しており、軍政の中心は既にラングーンにはない。 その遷都はとある占星術師のお告げによって行われたという説もあり、彼らはそれによって今回の被災地となるのを逃れたことにほくそえんでいるとすら思っている。
 ただ、外交的にはほぼ鎖国状態に近いこの国が、いくら大災害とはいえ突如として千客万来に転じ、各国の救助隊らを受け入れることは現実的に難しいと思う。 先頃ようやくASEANの医療チームを受け入れる決定を下したようだが、これだけでも大英断といっていいぐらいだ。
 そんな国を「世界から孤立している」というのは容易い。 今年の総統選挙の頃だったと思うが、J-WAVEの「JAM The World」という番組でナビゲーターの某氏が「世界から孤立している台湾ですが…」と、さも世間の常識のように言っていたが、こういう輩はしばしば自国に対しても同様に「世界から孤立する日本」という言説を展開する。 まさかJ-WAVEの大株主に中日新聞や共同通信が名を連ねるからというわけではあるまいが、「JAM The World」で語られる国際情勢にはしばしば左巻きのバイアスがかかるので、すんなりと聞き流すことができない。
 「世界から孤立している」というような枕詞が本当に相応しいのは北朝鮮ぐらいのものであって、本来そう易々と口にできるような言葉ではないはずだ。 そしてまた、ビルマという国を北朝鮮のような国にしないためにも、今こそ国際的な支援が必要だと思う。
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by theshophouse | 2008-05-23 01:34 | Critique
ビルマの旅2008-10 バンコク、旅の終わり
 早朝の便でバンコクに戻ってきた。 とはいえ、翌日深夜の便で東京に帰るのであわただしい滞在である。 幸いホテルに早くチェックインできたので部屋でしばしの休息をとり、若干の買い付けをするためすぐにホテルを後にした。
 いつもの店でいつもの顔に会い、いつものアイテムを買う。 いつしか時刻は午後6時近くになっていた。 今夜はバンコク在住の友人と食事をするかもしれないのだが、相手の都合でお流れになるかもしれないという状況。 この時間になっても電話がないということで、いよいよ今夜は一人かと覚悟を決め、この際食事の前に行きつけのマッサージ屋に行くことにした。 いつもはフットマッサージをやってもらっているのだが、体にビルマの疲れが溜まっているのを感じていたので、今回はいわゆるタイ古式マッサージで全身を診てもらった。
 マッサージのお姉さんに乗っかられ、体を後方にエビ反りさせられて呻き声をあげているその刹那に携帯が鳴り、結局今夜も一人寂しく夕食を摂るという最悪の事態は免れることになった。 それにしても、いつも感心させられるのだが、マッサージをしてくれるタイの女性たちは小さな体の何処にこのパワーを秘めているのだろうか。 おかげで昇天しかかった。
 一度ホテルに戻って荷物を置き、チトロムからBTSに乗る。 心なしか体も軽い。 待ち合わせはスクムビットのソイ24がラマ4世通りとぶつかるところにある海鮮レストラン「ソーントーン・ポーチャナー」。 地図を見る。 プロムポンで降りてモーターサイ(バイクタクシー)か…。
 BTSを降り、通りに出たら象がいた。 バンコクではおなじみの光景だが、スクムビットで見たのは初めて。 思わず写真を撮ろうとしたら、既に象使いにロックオンされてたみたいで餌の入った袋を片手に笑顔で接近してきた。
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 象は大好きな動物だ。 日本の動物園はもっと象に力を入れるべきであり、日本のものを含め、世界中のパンダはすべてその生まれ故郷であるチベットに帰すべきだ。 少なくとも動物を外交の道具にするような国からパンダを解放しなければならない。 頭ではそんなヘヴィなことを考えながらも右手はポケットの中の小銭をまさぐり、象の餌のさとうきびを買っていた。
 象がさとうきびを食べるスピードは尋常ではない。 僕が一本差し出すとたちまちその鼻先で掠め取ってしまい、次の瞬間には二本目を求める鼻が僕の顔のすぐ前に差し出されている。 その威圧感にこちらは急遽さとうきび提供マシーンと化し、数本のさとうきびは一瞬のうちに象の消化器官に送り込まれた。 しかしなおもおかわりを要求する象の鼻。 僕は餌の入っていたビニール袋を逆さにして大袈裟に振り、もうないことを懸命にアピールしたのであった。 正面から見た象の目が思いのほか恐かったからだ。
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 モーターサイを拾って店に向かう。 店には友人のチコちゃんとその友人のTさん、休みを取って東京から来ていて、これからカトマンズに行くというチコちゃんの弟がいて、日本人4人での会食となった。 いよいよ食事に箸をつけようとしたその時、視界の端に何か巨大な物体が横切ったのが見えたので顔を向けると、そこにはまたしても象がいた。 もちろんさっきのとは別の象だ。 今度は弟くんが中座してさとうきびを献上しに行ったのだが、どうやら今夜は象が各所に出没しているようだ。 チコちゃんによると「景気悪いからね」とのこと。 その相関関係はいまひとつわからない。
 ちなみにこの「ソーントーン・ポーチャナー」、地元ではけっこう人気店みたいで、なかでも「パミー・ホンコン(香港焼きそば)」は格別だった。 たかが焼きそばというなかれ。 それは、日本のものを含めこれまで僕が食べたあらゆる国の焼きそばのなかでベスト3に入るほどの味だった。
 もちろん海鮮レストランだけあって店内にはいけすがあり、新鮮な魚介類が食べられる。
 続いて飲み直しに行ったのがトンローのプレイグラウンドのそばにある「シェイド・オブ・レトロ」というバー。 タウンハウスの1階を店に改装した隠れ家的な店で、店内はミッドセンチュリーあたりの家具がいっぱいある。 ただならぬ関係になった男女がしけ込んで二人でしっぽりやるにはもってこいの店だ。 あたりを見渡すとタイ人の若い男女が暗がりでちちくりあっている。 そうした光景のひとつひとつは東京で見るそれと何ら変わるところはない。
 帰りに乗ったタクシーがスクムビットで深夜の渋滞に捕まり、ホテルに戻った時は翌日になっていた。 部屋に戻ってベッドに倒れこむと、すぐに泥のような眠りが訪れた。


 思えばまた今回もあわただしい旅だった。 この旅日記を最初から通して読んでいただいた奇特な方がもしおられたら、その方は「この男は仕事で行っているのに遊んでばかりじゃないか」と思うかも知れない。 だがそんなことはないのである。
 今考えているのは今回僕がビルマを訪れたタイミングについてである。 ビルマにおいて4月10日から20日はおおむね「水掛け祭り休み」となるため、それより前に工場に行ったとしても休み前でスタッフのモチベーションは低いに違いない。 となると休み明けになるのだが、休み明け直後も休みボケの症状があるかも知れない。 とはいえ今回検品するアイテムの日本への出荷が30日に予定されているので、こちらのダメ出しをリカバーしてもらう時間的猶予も必要である。 そうした諸条件を勘案した結果、僕がラングーンに滞在したのは23日からの4日間だったのである。 そしてちょうど僕がラングーンを発つ頃、インド洋の何処かで後にラングーンを直撃することになるサイクロン「Nargis」が生まれた。
 今から思えばサイクロンの兆候はあった。 僕が来る前日の気温は突如45度にまで達し、滞在中雨季としか思えないような強烈なスコールに二度も襲われた。 通常ビルマの雨季の始まりは6月からなので、これは異常なことだった。 しかし、ビルマの人々は迫り来るサイクロンにまったく気づかないままその直撃を受けることになってしまった。
 ラングーンの日本語学校に勤務している方は自らのブログに「一番恐ろしかったのは、暴風が8時間、暴風雨が3時間、豪雨が3時間、合計で14時間という長時間続いたことだ。 その間は恐怖で一睡もできなかった。」と綴っている。 台風を知る日本人にさえこれだけの恐怖を与えたサイクロンの破格のスケールに戦慄する。
 何事もなく東京に戻ってこれたことに安堵する一方で、彼の地で共に仕事をした人々の顔を思い返す時、一緒に被災していた方がまだマシだったという思いも込み上げてくる。
 雨季の到来を間近に控え、被災地で助けを待ちわびている人々に一刻も早く救いの手が差し伸べられることを願う。
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by theshophouse | 2008-05-10 00:03 | Odyssey
ビルマの旅2008-9 Sketch of Rangoon
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スーレー・パゴダ・ロードに架かる歩道橋から通りを望む
クルマの往来の間隙を縫って道を渡っていくビルマの人々。 信号の色にたいした意味はない。 旅行者がその距離感に慣れるのには少々時間がかかる。
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雨季に入る直前の今はビルマで最も暑い時期
僧侶たちも袈裟を頭から被って日除けにしている。
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ボージョー・アウン・サン・マーケット
英国の植民地だった頃はスコット・マーケットと呼ばれていた。
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木陰に佇む少年僧
ラングーンでは少年僧だけでなく多くの尼僧も見かける。 
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ラングーン国際空港に駐機するエアー・パガン機
実際には「エアー・バガン」。 もちろんこの航空会社の名前の由来は世界遺産にも指定されたビルマの古都だが、軍事政権はその名前すら「パガン」から「バガン」に改めた。



 今回のサイクロンで被災し不幸にも亡くなられた多くの人々に哀悼の意を捧げます。
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by theshophouse | 2008-05-09 00:11 | Odyssey
ビルマの旅2008-8 アウン・サン・スー・チー
 「アウン・サン・スー・チー女史の家に連れて行ってくれ」
 もちろん冗談のつもりで言ったのだが、タクシードライバーはぎょっとした顔で後部座席の僕を振り返った。
 「ノー、ノー! 彼女に家に通じる道路にはバリケードがあって誰もそこから先には行けないし、不用意に近づくだけで逮捕されちゃうよ!」
 かくして、またもや近づける限界のあたりまで行ってもらった。 ただそこからは彼女の家はおろかバリケードすら見えなかった。 昨年の民主化運動以降、スー・チー女史が軟禁されている自邸の警備はより強固なものになっているようである。

 日本人はマスゴミの印象操作のせいで「スー・チー女史=正義、ミャンマー軍政=悪」という単純な色分けをしがちだが、実際にはちょっとニュアンスが違う。
 ミャンマーという国が軍政を選択したのにはそれなりの理由があり、過去の英国による植民地支配の経験や、中国とインドという二つの核保有国に挟まれた場所に国土があるという地政学的な理由もある。 彼らにとってそれは国家の独立、民族の自決を維持するための一つの方法論であって、そもそも基本的に他国が口出しするような類いのものではない。
 一方のスー・チー女史が求める民主主義は原理主義化し、軍事政権との妥協点というハードルを自ら高くしてしまったことも否定できない。
 政治を妥協の産物とするならば、両者が対話のテーブルに在る時にスー・チー女史が現実的な選択をしていれば現在のミャンマーはいくぶん違った姿になっていたかも知れない。
 東南アジアには、その力を持て余してしばしば暴発の危険を孕む軍部が存在する国がいくつかある。 タイ、フィリピン、インドネシア…。 ただし民主主義という点で見れば、いずれの国もミャンマーよりかなり先を行く先進国である。
 アウン・サン・スー・チーの存在は、軍政ミャンマーに民主化の希望をもたらしはしたが、それと同時に軍政と折り合いをつけながら共存する現実的な民主化の道を放棄させもした。
 軍事政権はスー・チー女史を軟禁状態に置き続けることで、未だに彼女を民主化の希望のシンボルとして生殺しにし、そのことで新たな民主化勢力の台頭を抑えている。 実のところ軍事政権が一番恐れているのはスー・チー女史に不測の事態が生じることであり、故に彼女を自宅軟禁状態にして「護衛」しているのである。

 むろん僕だってミャンマーの軍政には反対である。 実際にこの国の政治、経済、社会についての理解が深まってくると、この国が抱える閉塞的状況のすべての原因が軍政にあることが容易にわかるからだ。
 スー・チー女史は解放され、自由な政治活動をする権利を与えられて然るべきだが、それでもミャンマーの民主化が今の彼女の元で実現できるとも思えない。
 「ミャンマーの人々はみなアウン・サン・スー・チーさんのことを支持しているのですか?」 取引先のミャンマー人の女性社長と会食した際に質問をぶつけてみた。
 彼女の答えは「Not exactly.(必ずしもそうではない)」というものだった。 その言葉は、ミャンマーにおけるスー・チー女史の今の立場というものを端的に表していると思う。

 1997年にミャンマーに経済制裁を発動し、この国の民間経済をガタガタにしたアメリカ。 街には当時職を失った失業者が今も溢れている。 先日、ジム・キャリーらと同じく以前からミャンマー問題に肩入れしているローラ・ブッシュが会見を開いて、ミャンマー政府にアメリカの緊急援助を受け入れるよう要請した。 世界を正義と悪という二色に色分けをしたがるこの国が、例によって「抑圧されたミャンマーの人々の救済」という構図で圧力を強めようとしている。 アフガニスタンやイラクと同じやり口だ。
 かつて社会主義国だった国が民主主義へと移行するプロセスは国によって様々だ。 少なくともミャンマーは中国のような共産主義国でもないしテロ支援国家でもない。 もしこの国の民主化を願うのなら、武力行使はもとより直接的な政治介入は避け、側面支援しながら徐々に民主化プロセスが進行するように仕向けるべきである。 少なくともアメリカの経済制裁は、米国向けの輸出で成り立っていた多くの縫製工場を閉鎖に追い込み、多くの労働者たちから職を奪いはしたものの、軍事政権にはほとんどダメージを与えてはいない。
 無論ミャンマーはすべての面でもっとオープンな国になるべきだが、2006年に首都を内陸部のネピドーに遷都するなど、むしろ内向的性格を強めている。
 今回のサイクロンによる被害は甚大である。 情報統制下にあるためなかなか正確な情報が伝わってこないが、徐々にその深刻な被害状況が明らかになってきている。 おそらくミャンマー史上最悪の自然災害になるだろう。 だがそこには致命的な気象観測情報の遅れや慢性的なインフラ整備の遅れといった人災の側面があることも看過できない。
 国際的な援助隊や支援物資の受け入れなど、今回のサイクロンがその爪痕の代償としてもたらす「風穴」がこの国に何らかの良い影響を与えてくれることを祈るばかりだ。
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by theshophouse | 2008-05-08 00:51 | Odyssey
ビルマの旅2008-7 スープヌードル・パラダイス
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 博多出身なせいか、何処に行ってもついつい屋台というものに足が向く。 こればっかりは、もう完全に僕のDNAのどこかに行動様式として刷り込まれているらしく、空腹時に一人で街に解き放たれると、それはもう磁石の針が北を指し示すが如く、その匂いと喧騒に引き寄せられるように屋台に向かって歩き出している。
 今回も夕食は取引先の人たちにビルマ料理をごちそうになったり、別の会社の人にシャン料理をごちそうしたりと、一人で自由気ままに屋台を探索することはできなかった。 ラングーンで過ごした3日間、一人で夕食を済ませたのは初日だけで、スーレー・パゴダのそばで見つけた中華料理屋で、中に入ると何故か客はビルマ系というよりインド系の人ばかり、しかも何故か店名は「オキナワ」というカオスな店だった。
 ともかくも僕はそこでお国入りの通過儀礼としての現地のアルコール「ミャンマービール」を飲み、炒飯を食べ、野菜のオイスターソース炒めなどを粛々と胃に収め、炒飯に付いてきた味のはっきりしないスープなどを飲んだのであった。
 昔誰かが「アジアはフライドライス・パラダイス」というような歌を唄っていたが、アジアはスープヌードル・パラダイスでもある。 僕が旅先の屋台で一番食べることが多いのもこうしたスープヌードル(汁麺)である。 特に、脂っこい料理が中心のここビルマでは、あっさりとした汁麺は少々お疲れ気味の胃腸にも優しい「癒し系」なのである。
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 正午を少しまわった頃、現地の人々が屋台の席を埋め尽くすランチタイム。 さっそく適当な店を見つけ、適当な汁麺を注文してみた。 この店では数種類の麺のなかから好みのものをチョイス。 麺は色白の米麺で、春雨のようなものからタリアテッレみたいなものまでいくつかのバリエーションがある。 ほどなく鶏ガラスープにいくつかの具材が入った東南アジアの典型的な汁麺が出てきた。
 ボウルにあらかじめ下茹でしてある麺を入れ、各種の具材を載せ、最後にスープをかけて出来上がりなのだが、最後に正体不明の調味料をふりかけている。 やはり気になってその正体を訊ねてみるとそれは味の素だった。 なにも化調を入れなくても…。
 それでも肝心の味の方はまずまず。 ベトナムのフォーやタイのクィッティオと同じ系統の味。 日本人なら誰しも抵抗なく食べられる味だ。 前回はビルマ料理の脂っこさにやや苦戦した僕だったが、今回はなかなか美味しいものに出会う。
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 だが、むしろ僕が興味を惹かれたのはその味よりも、それを提供する屋台の造りの方であった。 タイの屋台なんかだと独立した調理台があり、そこから少し離れたところにテーブルと椅子のセットがいくつかあって、一店舗あたりが占有するスペースはそれなりに広くなってしまうのだが、ここビルマの屋台は調理ブースの周囲を奥行わずか15cmほどのカウンターテーブルがL字型に囲んでおり、人々は例の低いスツールに座ってそのカウンターに取り付いて食事をしている。
 要するにこれは博多であるような屋台と同じスタイルであり、単にカウンターとそれにともなうスツールの高さがそれぞれ30cmほど低くなっただけのように思えたのである。 もっとも博多の屋台のように常設の屋根があるわけではないし収納棚を兼ねる壁面などもない。 造りそのものも博多のそれとは比較にならないくらい素朴なものだが、こうした簡素なスタイルがこの気候風土にフィットしていることも確かで、屋根は雨季にだけあればOKだし、壁面の造作は風通しを悪くするだけだ。
 こんなところで異文化間における文化人類学的アナロジーを論じる気はないが、何やら妙な懐かしさを覚えるビルマの屋台である。


【5月6日 AFP】(一部更新、写真追加)ミャンマーの国営テレビは6日、2日夜から3日にかけて同国を直撃した大型サイクロン「Nargis」による死者数が2万2000人を超え、行方不明者が4万1000人になったと伝えた。

■救援活動を遅らせるビザ審査
 国連緊急援助調整官室(Office for the Coordination of Humanitarian Affairs、OCHA)は6日、サイクロンの直撃から4日目となった今も緊急災害対策チームがミャンマー入りできずに外国人渡航者ビザ(査証)の発行を待っている状態だと述べた。
 OCHAのElisabeth Byrs広報官は、「タイのバンコクで災害査定官5人が待機しており、ビザの発行を待っている。あと数時間以内にミャンマー入りできることを期待している」と述べた。
 国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)と国際赤十字社・赤新月社連盟(International Federation of Red Cross and Red Crescent Societies、IFRC)も、テントや浄水錠剤、蚊帳といった緊急人道救援物資の配布支援のために、ビザの発行を待っている状態だと発表した。
 OCHA広報官は「極めて深刻な状況であり、われわれは非常に心配している」と述べた。
 海外支援に慎重な審査を行い、国際救援組織の活動を厳しく統制してきたミャンマー軍政の将軍らも、2日の夜から3日にかけてのサイクロン直撃後、海外からの救援を求める異例の声明を発表していた。
 しかし、政府閣僚は6日、海外救援チームがミャンマー入りするためには、政府との交渉が必要だと述べた。(一部抜粋)

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2387697/2903323

 ようやく今日あたりからビルマのサイクロン被害について国内メディアも詳細を伝え始めた。 AFPのように当地に自社の取材ソースを持たない日本のメディアはどうしても後手を踏む。 しかしながらこの国には多くの日本人も住み、立派な大使館もあるのだ。 もしかしたらこの連休中に滞在していた旅行客もいたかも知れない。
 それにしてもこの緊急事態に国際援助隊がビザの発給を受けられず入国待ちとは…。 この国がいかに閉鎖的かを端的に表すエピソードである。 もっとも、僕のツーリストビザにも旅行計画書だの社員証だの提出させるのだから無理もない。
 軍部はこの混乱に乗じて反乱分子が国内に潜入することでも恐れているのだろうか。 独裁者というものは概して臆病な生き物である。
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by theshophouse | 2008-05-07 00:38 | Odyssey
ビルマの旅2008-6 宝くじ
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 小鳥を逃がし放生の徳を積んだ僕は、いささか性急ではあるがご利益を求めて早速ビルマの宝くじを買ってみた。
 タイでもそうだが、こちらの宝くじ屋さんはくじをズラッと並べてディスプレイしているので買う方もがぜんやる気になる。 それに比べると日本の宝くじ売場の何と閉鎖的なことか。
 選んだのは組違いの10枚の連番がセットになっているもので、写真のものはビルマ文字と数字で「パ902995」と印刷してある。 他の9枚も6桁の数字はみな同じで最初の組の文字だけ異なるもの。
 とはいえこちらは通りすがりの旅人である。 もちろん本気で「取りにきてる」わけではない。 正直言って、ビルマらしいもので何かお土産になるようなものでもあればというぐらいのものである。 2,000チャット(約200円)の代金を支払い、くじを手に歩き去ろうとすると店主の兄ちゃんに呼び止められ、店備え付けの大学ノートに名前と住所と電話番号を書かされた。 当選番号は月初めに新聞紙上で発表されるそうだが、もしそれを見逃しても当たっていたらちゃんと連絡をくれるらしい。 ちなみに一等の当選金額は5,000万チャット(約500万円)。
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 今日現在、僕の携帯にラングーンの宝くじ屋からの当選通知の連絡はない。 むろん当選のあかつきには小欄でも報告させていただくつもりである。


 【5月5日 AFP】(一部更新、写真追加)ミャンマーの国営テレビは5日、2日夜から3日にかけて同国を直撃した大型サイクロン「Nargis」による死者数が3969人になったと伝えた。これは、当初報じられていた死者数の約10倍。
 また、2129人の行方不明者が公式に発表されており、死者数はさらに数千人増加する可能性もあるとしている。
 エヤワディ(Ayeyawaddy)川デルタ地域のBogalayやLabuttaなどの村落部では、さらに数万人が死亡している可能性があると伝えた。
 ヤンゴン(Yangon)市内では数千の建物が崩壊した。路上では木が根元からなぎ倒されて道をふさいでいるため、飲み水などの物資の配給に遅れが出ている。(c)AFP

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2387332/2900036

 昨日も終日ラングーンの取引先のメーカーに電話をかけ続けてみたが繋がらなかった。 災害に強いはずの携帯電話でさえ同じ状況であった。 一昨日送ったはずのEメールのステータスは相変わらず「未送信」のままである。
 現時点でビルマは陸の孤島と化している。 ただ、どうやって連絡を取ったのかは不明だが、夕方になってメーカーのバンコクオフィスから連絡があり、ラングーンの工場に大きな被害はないということを知らせてきた。 それだけかよ!と。 何よりスタッフの安否が気になるところだが、人的被害など詳細はまったく不明である。
 日本のマスゴミも胡錦濤とかいうパンダ芸者の来日というしょーもない案件にかかりきりで、ビルマの被害状況などろくに報道してくれない。 ストレスがたまる…。
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by theshophouse | 2008-05-06 00:30 | Odyssey
ビルマの旅2008-5 放生
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 今回はシュエダゴン・パゴダに行く時間がなさそうだったので、ホテルそばのスーレー・パゴダに行った。 約2年ぶりだ。
 スーレー・パゴダはラングーンの中心であり、ロータリーの中心にある。 ラングーン市街の都市計画はこのスーレー・パゴダを基点としている。
 そんなスーレー・パゴダの入口で、小鳥屋のおばさんたちに捕まってしまった。 困惑する僕の眼前に次々と小鳥を差し出してくる。 なぜこんなところで僕に小鳥を売りつけようとするのか? そこではたと思い至った。 リチャード・ギアがインドかどこかで少女のために鳥を逃がすCM。 あれだ。
 病気の母の快復を願い、本当はたくさんの小鳥を逃がしてあげたいのに、貧しくて小鳥を一羽しか買うことができずにいる少女。 そんないたいけな少女が近くで人知れず絶望の淵に居やしないだろうか。 ところが周囲を見渡してもそんな少女は何処にもいなかった。 僕はリチャード・ギアになりそこねた。 もっともこの小鳥屋にアメックスが通用したとも思えない。
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 このブログを以前からご覧いただいている方ならご存知だと思うが、僕は自宅にインコのたま吉を飼っている。 これはむろん飼い主として小鳥の自由を奪い、生殺与奪の権利を掌握していることに他ならない。 そこで、この際その罪滅ぼしの意味も込めてたま吉の代わりにこの小鳥を逃がしてやることにした。
 どうみてもインド人のおばさんから一羽の小鳥を受け取り、手の中に入れるが早いか小鳥はスルリと僕の手の中から空へと飛び立っていった。 というより逃亡した。 せっかく大袈裟に放鳥の儀式を恭しく執り行おうと思っていた僕は、呆気にとられて小鳥が飛び去ったラングーンの空を見つめた。
 これはもう一度最初からやり直さねば…。 やおら視線を水平方向に戻すと、いつの間にか僕は4人の小鳥屋に包囲されていた。 どうやら小鳥屋連中に「こいつはカモれる」という判断を下されたらしい。 まあいい。 ここはひとつ各々から小鳥を貰い受けて放してやることにしよう。 そうでもしないと収まりが悪い。
 二羽目以降は一度きっちりと手の中に収めて「いいか、僕が逃がしてやるんだぞ」とばかりにアイコンタクトして意志疎通。 「あばよ!」と叫びながら空へと解き放ってやった。
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 あとでガイドブックを見てみると、こうして逃がされた小鳥は、子供たちの小遣い稼ぎのためにやがてまた捕まえられる運命にあるという。 なんというリサイクルビジネス。 どうかその無限ループ或いは輪廻転生のごときサイクルのなかに小鳥たちがふたたび戻ることのないよう願うばかりだ。
 小鳥4羽でしめて800チャット。 どうやら1羽200チャット(約20円)が相場らしい。 もっとも最初は桁違いの額をふっかけてきた小鳥屋のおばさんたちであった。
 この小鳥を逃がす行為、「放生」というのだそうで、それによって功徳を積むのが目的だという。 放生とはつまり殺生の対義語であり、すぐれて仏教的な行為なのである。
 囚われの身から一転自由となり、無限の大空へと羽ばたいていく小鳥。 果たして「ミャンマー」の人々にこの小鳥ほどの自由があるだろうか。 この国と仕事をしていると、軍政を頂点とする腐敗した官僚組織が経済を失速させ、あらゆる産業から競争力を奪い、倒産数や失業率を上昇させ、人々にフラストレーションを蓄積させている現実に嫌というほど出くわす。
 「放生」を求めているのは小鳥だけではない。


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追記 :
 昨日の昼頃、ラングーンの取引先にEメールを送ったのだが戻ってきてしまった。 試しに政府関関係のサイトをいくつか見てみたが、どれも見れない状態になっていた。 また大規模な停電でも起こったかと高をくくっていたら、サイクロンがビルマを直撃して少なくとも351人の死者が出ており、国内のほとんどの通信が止まっているという。
 ラングーンを発ってまだ一週間と経過してないのに…。 引き続き現地と連絡を取り続けている状況です。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2386949/2897610
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by theshophouse | 2008-05-05 00:26 | Odyssey
ビルマの旅2008-4 情報統制下のインターネット
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 バンコクならともかく、ここラングーンでは東京と連絡を取るのも一苦労だ。 まず現地に来てみてわかったのだが、タイのAIS社製の携帯電話がラングーンでもローミングするという情報は完全なガセだった。 ビルマ国内で通じる携帯電話は国営企業製の端末のみで、その価格は30万円ほど。 要するに海外とビジネスでもやってるそこそこの企業の役員クラスじゃないと到底所有できない代物なのである。 もちろん旅行者が簡単に買えるプリペイド携帯など当然ない。 もっともホテルに戻れば部屋の電話からいつでも東京に電話することはできるが、わざわざ電話するためにだけにいちいち戻るわけにもいかない。
 街中に公衆電話があるにはある。 道端に小学校の教室にあるような小机が鎮座しており、係員が椅子に座っている。 卓上にくたびれた家庭用のプッシュホンが置いてあって、電話をかけると時間を計ってくれて通話後に料金を精算するシステムで、国際電話もかけられる。 何とも牧歌的な青空電話である。 ただし会話は周囲に丸聞こえ。 まあ、ビルマの人にそうそう日本語が解るとも思えないので問題ないといえば問題ない。
 それがいやなら手近なネットカフェにでも行ってスカイプで会話するしかないのだが、なにせここはミャンマー(ここからは敢えて「ミャンマー」としたい)である。 この情報統制下の国のインターネットは政府によって閲覧制限されており、CNNやBBCはもとより「ne.jpドメイン」のサイトですら見ることができない。 Yahoo MailやHot Mail、Gmailなどのいわゆるウェブメールも当然利用できない。 要するにネットカフェは事実上使えないというわけだ。
 ところが、昨年の民主化運動の際、デモに参加した民衆や僧侶が弾圧される場面がリアルタイムでYouTubeなどの動画投稿サイトに次々とアップされた。 無論これはミャンマー国内からアップされたものである。 もしかしたら何処かに「抜け道」があるのではないだろうか。
 たまたま入ってみたネットカフェで端末の前に座るなりその疑問は氷解した。 スタッフのにいちゃんが、いかにもルーティーンをこなす動作でブラウザの設定ウインドウを開き、懇切丁寧に「串を刺して」くれたのだ。 すなわち第三国などのプロキシサーバーを経由してインターネットに接続することで発信元(この場合ネットカフェの端末)のIPアドレスを偽装してしまうのである。
 ただこの方法自体、発信元のIPアドレスを完全に秘匿できるわけではなく、調べる側がその気になれば調べられないこともないが、こうした情報統制下にある国で世界中のサイトを自由に閲覧する手段として有効であることは間違いない。 昨年の民主化運動の際、現地の生々しい映像が世界中に配信された陰にはこうした知恵があったのだ。

 中国も同様に国家がネットの閲覧制限をしているが、こちらのシステムはミャンマーのそれよりもかなり高度だ。
 米アトランティック・マンスリー誌によれば、中国ではあらかじめチョークポイント(迂回できないルート)を組み込んで国内のインフラを整備することですべてのトラフィックを国が監視することを可能にしているという。 いわゆる金盾(ゴールデン・シールド)、通称グレート・ファイアウォール(笑)というシステムだ。
 通常インターネットはその名の通り網の目のように繋がったルートの一部が遮断されても自動的に迂回路を通って接続が確保される性質を持つが、中国のそれは最終的に3つの海底ケーブルに集約されており、中国国内にいるネットユーザーのすべてのトラフィックはそのいずれかを経由する仕組みになっているので、そこに関所を設けることで完全な監視が可能になる。 必然的に中国国内のインターネット通信の速度は遅くなる。
 また「禁制語」による閲覧制限もある。 もしあなたが自分のサイトやブログを中国国内に住む人に見られたくなければ、ページの何処かに「天安门事件(天安門事件)」とか「法轮功(法輪功」とか「达赖喇嘛(ダライ・ラマ)」とか書いておくだけでいいのだ。 別に中国語である必要はなく、日本語でも英語でもきっちりブロックしてくれるそうだ。
 無論グレート・ファイアウォールも万能ではない。 前出のようにプロキシ・サーバーを経由して接続するやり方はネットの世界ではメジャーといえばメジャーだし、実際中国の学生やハッカーはそうしたやり方で海外のサイトを見たり攻撃したりしているのが現状だ。 同誌によれば、中国政府の真の目的は、すべての情報を検閲することではなく、情報を求めること自体を厄介にし、わざわざそうさせる気を失わせることにあるという。
 カルフール不買運動に代表される中国国内の愛国デモの参加者はもとより、既に自分の身が情報統制から解放された国外にありながら、聖火リレーの沿道に大挙して押し寄せ「中国加油!」を叫びながら五星紅旗を打ち振っている在外中国人留学生らを見ていると、多くの中国人がこうした情報統制下で「愛国」という名の思考停止状態に陥っていることが見てとれる。 「金盾」による中共の愚民化政策が着々と効果を上げていると言わざるをえない。 これほど国家が管理しやすい「人民」はないのだ。

 さて、ラングーン市内、くだんのネットカフェ。 プロキシ・サーバーを経由したことで速度は落ち、突然接続できなくなったりもしたが、すぐにレストアできてGmailでメールの送受信も難なくできた。 これならメールの内容を政府に検閲されることもない。 試しにYouTubeにも接続してみたが問題なく見れた。 もちろん自分のブログも見ることができた。 改めて情報の大切さとその正邪を見分け自分で考えることのできる自由を実感したのであった。
 最初に入った店でこんな具合なのだから、意外にこうしたネットカフェは他にもあるのかも知れない。 ただ、この店が当局にガサ入れされるような事態になるのも困るので店名は伏せておくことにする。
 ミャンマーの人々はインターネットを介して自分たちの国を外から見る視点を獲得した。 それがこの国の未来に何をもたらすのか、これからも注視し続けていくつもりだ。
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    サイトが中国政府の検閲対象かをチェックできる「Great Firewall of China」
                    (現在はサービス停止中)
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by theshophouse | 2008-05-04 01:51 | Odyssey



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