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弱気な指揮官を更迭してオシム再登板を!
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 日本はバーレーンに無様な敗戦を喫した。 0対1は正当な結果だ。
 日本はバーレーンに勝つ気があったのだろうか。 30℃を超す気温のなか、意識的にペース配分をしていたのかも知れないが、日本は試合開始からのバーレーンの攻勢の前に終始受けに回り、何本ものシュートを許した。 あれだけシュートを打たれていれば事故やヒューマンエラーも起こりうる。 ゲームを人間が裁く以上、そこに多少なりとも不確実性が介在するのは仕方のないことだ。
 あのハンドを見逃した審判団の能力が低かったとは思わない。 特定オセアニアの審判にしてはいい笛だったと思う。 もっとも、直前の特定アジア選手権であれだけ酷い笛ばかり吹かれたのだから、普通の審判が良い審判に見えてしまうということはある。 所詮あの審判でも年間最優秀審判に選ばれるのがアジアのレベルであり、それはプレイヤーにも同じことが言える。
 だからこそ、失点シーンをいつまでも「あれはハンドだ!」と恨めしそうに連呼する松木安太郎の解説(あんなものは解説でも何でもない)こそ腹立たしかった。 日本が負けたのはハンドを見逃した主審のせいではなく、上げられたクロスを川口がパンチングし切れずにフバイルに渡してしまったことであり、体勢不十分のまま当てられただけのボールがゴールラインを越す前に掻き出すことができなかったからである。
 審判について言うなら、後半バタバタとピッチで「就寝」し、伝統の中東戦法を繰り出していたバーレーンの選手をピッチの外に出すでもなくただ放置し、「起床」するまで待ち続けたことこそ不可解だ。 ロスタイムが3分と異常に短かったことから、その間も時計を止めていたかどうかは非常に疑わしい。 まともな解説者なら起きてしまった誤審にいつまでも恨み節を言うよりもこっちにツッコミいれるべきだろう。

 バーレーンは立ち上がりからガツガツ来た。 日本はその勢いに気圧されてなかなかパスが繋がらない。 日本は後半20分頃までほぼサンドバッグにように打たれているだけだった。 ただ、飛ばしてきたバーレーンの足が後半止まることは十分予想できたし、実際その通りになった。
 密集する真ん中で埋没していた山瀬に変えて遠藤を投入したあたりから徐々にバーレーンの足が止まってきた。 遠藤はサイドで攻撃の起点をつくり、精度はともかく両サイドからクロスが供給されるようになった。 一方的に攻め込まれてはいたものの、ここでようやく日本のパスが回るようになり、連動性も出てきた。 急造3バックで耐え忍んできた日本に逆襲の機会が訪れるはずだった。
 誰もが玉田の投入を期待したその時間帯、何故か岡ちゃんはようやく攻撃参加し始めていた安田に代えて山岸を投入。 僕は山岸がまだ代表にいたとは知らず、正直驚いた。 結果的にまったく無意味で不可解な選手起用だったと言わざるをえない。
 好事魔多し。 日本は一瞬の隙をつかれて失点する。
 ようやく玉田がピッチに送り込まれたのは、日本が1点のビハインドを負い、バーレーンが思いっきり引いて、玉田が切り込むスペースが失われてからだった。 投入後、短い時間ではあったが、玉田は動きにキレがあり、個人的には先発か後半アタマから見たかったと思わせた。 「バーレーン・キラー」のマナマでの主な仕事は、そのほとんどの時間をピッチの外で戦況を見守ることでしかなかった。

 岡田監督就任以降、「ボールも人も動く」サッカーは影を潜め、劣化の一途を辿っている日本代表。 ただでさえ飛車角落ちの陣容なのに、そのうえ選手ばかりか監督まで受身になって後手を踏んでいるようでは勝てるはずもない。 日本は負けるべくして負けた。
 その「受身」を象徴するのが今回採用した3バックである。 相手を警戒するあまり、中盤の核である遠藤の不在がもたらしたマイナスは大きく、人を使うよりもむしろ使われるタイプの山瀬を走らせるようなパスはほとんどなかった。 また、ディフェンス陣も最後のところではなんとか体を張ってはいたものの、局面によっては5バック気味で人余り状態になりながらもシュートを許し、弾き返したボールまでいいように拾われる時間帯もあった。 岡田監督の戦術が守備的と言われる所以だ。
 そもそもアジアにおいて日本と戦う相手はみな日本にビビっているのである。 それを必要以上に相手を警戒し、マスゴミも視聴率のために「相手の○番には要注意!」みたいなネタフリばかりして危機意識を煽る。
 そうではない。 日本はオシムのもと、少なくともアジアの域内ではどんな相手でもポゼッションとパス回しで圧倒することができることを先のアジアカップで証明したはずではなかったか。 相手云々ではなく、なぜ最初から自分たちの良さを出そうとしないのか。 なぜ相手を必要以上に警戒し、自分たちが相手を警戒させようと考えないのか。 岡田監督が3バックを採用した時点で日本は既に後手に回っていたのだ。
 試合後のバーレーンの選手たちの喜びようを見れば、彼らにとって日本がいかに格上の相手だったかがよくわかる。 試合中、いわゆる中東戦法でわざとピッチに横たわっていた選手もいたが、彼らの多くが足を痙攣させてピッチに倒れた。
 その一方で日本の選手たちは試合後もまだ走れそうなほどに余力を残していたように見えたのは僕だけではないはずだ。 全力を出し切れなかった日本代表が支払った代償は勝ち点3以上に大きい。
 脳梗塞から驚異的な回復をみせ、先日退院してこの試合を見守っていたであろうオシムは、かつて自分が育て上げたチームが劣化の一途を辿っているさまをどういう心境で見ただろうか。
 ただベンチに座っているだけでもいい。 守備的で弱気な指揮官を今すぐ更迭し、オシムの再登板を求める。


「日本の進歩は常に関心事」 オシム前監督メッセージ【MSN産経ニュース】
無能な代役は間もなくその使命を終えますので再登板お願いします。
山瀬も川口も?岡田監督大リストラ【スポニチ Sponichi Annex ニュース】
いや、俺はアンタ自身をリストラして欲しいんだが。
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by theshophouse | 2008-03-27 12:25 | 蹴球狂の詩 | Comments(4)
二人のパンチェン・ラマ
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          http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl.html

 チベットのことについて書いたので、チベットを語る時に欠かせないパンチェン・ラマ拉致拘束事件についても書いておく。
 パンチェン・ラマはチベット密教において最高指導者であるダライ・ラマに継ぐ地位にあり、ダライ・ラマの選定権者でもある。
 パンチェン・ラマ10世が1989年にチベットで中国のチベット政策を痛烈に批判した数日後に謎の死を遂げた後、その生まれ変わりである転生霊童探しが始まった。 1995年5月、度重なる占いと捜索の果てに当時6歳であったチベット族のゲンドゥン・チューキ・ニマ少年が正式にパンチェン・ラマ11世と認定された。
 ところが中国政府はこれを認めず、認定から3日後にニマ少年を拉致拘束し、次のダライ・ラマの選定権者でもあるパンチェン・ラマ11世を独自に探した。 言うまでもなく、将来自分たちに都合のいい傀儡となる次のダライ・ラマを選定するためである。
 そして同1995年11月、同じチベット族、同じ6歳ののギェンツェン・ノルブ少年が中国政府によって同じくパンチェン・ラマ11世と認定された。
 そもそもダライ・ラマとパンチェン・ラマには歴史的にも政治的な対立があり、中国はそれを利用してチベットの分断を謀った。 亡くなった時パンチェン・ラマ10世は全人代常務副委員長だったが、中国が望むような傀儡ではなく、全人代でもしばしば中国のチベット政策を批判した。 
 ニマ少年がパンチェン・ラマの転生者として認定されたことは、中国からすればチベットの後継者をインドのチベット亡命政府から一本釣りされた格好になり、到底受け入れられぬものだったのだろう。
 しかし、無論転生霊童は誰でもいいというわけではない。 占星術によって次のパンチェン・ラマが生まれる地方、或いは今暮らしている地方が告げられ、そのお告げに合った子供を複数選び、先代の特徴つまり「前世の記憶」をもとにさらにそのなかから真の転生者を探していく。
 具体的には、先代がどの方角を向いて亡くなったかから始まり、先代の命日と転生者候補の誕生日のチベット暦における整合性、数珠など先代が愛用していた品物とそうでない品物を見せてどちらかを選ばせるテストを何度も行い、さらには転生者候補がそれらの品物を扱う仕草に先代の癖のあるなし等、いくつもの段階を経て極めて慎重を期して選ばれるものである。
 パンチェン・ラマ11世の認定直前、日本では「チベット死者の書」がちょっとしたブームになり、この時期僕自身チベット関連の著作をいろいろ読み漁った。 また、NHKの同名ドキュメンタリーで観たラダックの僧侶ソクラパの転生の話も興味深いものだった。 ソクラパはインド政府への待遇改善を求めるデモで警官に撃たれて死んだのだが、転生者とされたゾッパという少年の脇腹にはソクラパが撃たれたのと同じ箇所に痣があり、或る日突然ゾッパはその場所を押さえて「弾に当たって痛い」と言い出し、さらに「叔母に会いたい」とソクラパの家を訪ね、勝手にソクラパの部屋に上がり込み、彼が愛用していた品を次々と言い当てたという。
 ダライ・ラマ14世によって選ばれたニマ少年がこうしたプロセスを経て選ばれたことは疑いようがないが、中国政府によって選ばれたノルブ少年にしてもこのプロセスを避けて通ることはできなかったはずである。
 もちろんどちらが真のパンチェン・ラマの転生者かはわからない。 これ自体、輪廻転生というおよそ非科学的な概念が社会システム全般に深く根ざしているチベット独特の問題であり、共産主義的唯物論者である中国人はおろか、形骸化した仏教徒である現代日本人にも理解するのは難しい。
 ただひとつ言えることは、中国政府が、ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府が認定したニマ少年を「分裂主義者によって連れ去られるおそれがあり、身の安全が脅かされている」という理由から今も拘束し続けていることである。 ここで中国がいう分裂主義者がダライ・ラマ14世とチベット亡命政府のことを指すのは言うまでもない。
 中国政府がそれほどまでにニマ少年(現在は18歳)を恐れていることがなによりも真実を表しているのかも知れない。

 オン・マニ・ペメ・フム

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  2006年4月、世界仏教フォーラムに登壇した(中国政府が認定の)パンチェン・ラマ11世


大規模OFF板【胡錦濤来日時に東京をチベット旗だらけにするOFF 】@ wiki
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by theshophouse | 2008-03-22 23:48 | アジア人物伝 | Comments(0)
今回のチベット虐殺について
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 これは僕が所蔵している古地図コレクションのうちのひとつであるチベットの地図だ。 出張でバンコクに行った際には必ず立ち寄る古地図屋で数年前に買ったもので、1917年にロンドンで発行されたもの。 今は僕の部屋の壁を飾っている。
 このようにチベットはもともと独立した国家だった。
 しかし、1949年に中国の軍事侵攻を受けて以来、多くのチベット人が虐殺され、仏教寺院や文化遺産が破壊され、事実上中国の領土となった。 1956年、チベット動乱が勃発、最高指導者であるダライ・ラマ14世らは首都ラサを離れインドに亡命、チベット亡命政府を樹立した。 1979年までに投獄や強制労働で亡くなった人なども合わせると120万人のチベット人が殺された。
 その後も散発的な抵抗運動が続き、1989年の大規模な抗議行動以来、中国政府はふたたび20万人のチベット人を虐殺した。 この時に制圧の指揮を執ったのが当時チベット自治区の共産党書記だった胡錦濤であり、彼がいま国家主席の座にあるのはこの時の「武勲」が評価されたからである。
 一方で中国政府はチベットに漢民族を大量に移住させる同化政策を続け、チベットにおけるチベット族は既に人口比率でもマイノリティーになっているという。 さらにそうした同化政策の一環として2006年には青蔵鉄道を全線開通させ、物心両面での更なる中国化を推し進めようとしている。 この鉄道に関口宏の息子(NHK「関口知宏の中国鉄道大紀行」)や加藤工作員(報道ステーション「加藤千洋が行く 天空の聖地・チベット」)らが乗り、嬉々としたリポートを送って中国様のお先棒担ぎのプロパガンダを買って出たのは言うまでもない。 おそらくは日本のODAも相当額がこの鉄道建設に費やされたと考えられる。
 また昨年9月には、巡礼のため雪のヒマラヤ山脈を越えてネパールとの国境地帯を歩いていた仏教徒や子供に対し、人民解放軍兵士が狙撃して殺害する様子が動画としてネット上に流されて騒然となった。 この事件では2名が死亡、数十名の行方不明者がでている。
 そんなチベットでまた苛烈な抗議行動が起こっている。 メディアはどこも「暴動」と報じているが、これは断じて「暴動」ではなく、抗議行動である。 日本のさまざまなメディアでも首都ラサの様子が映像やリポートで伝えられてはいるが、忘れてはならないのはこれらの報道のほとんどが中国当局の検閲や情報統制を経てきているものであるということである。
 チベットから外国の報道機関が自由な報道をすることができない現状で一方的な情報を鵜呑みにしてこれを「暴動」とするのは危険であり、事実今回の事件も僧侶のデモ行進を軍が武力制圧しようとして暴行し発砲して死者を出したのが発端になっており、いくつかの西側メディアは「massacre(殺戮、虐殺)」と伝え始めている。
 中国に対して総じて及び腰の日本のメディアのなかで、現在のラサの様子をもっともリアルに伝えていると思われるのが産経新聞中国総局記者の福島香織氏のブログである。 この福島氏、あまりのぶっちゃけぶりに中国政府から記者証の更新を先延ばしにされるような記者だが、こと中国相手となると提灯記事のオンパレードの日本のマスゴミのなかでは稀有な存在である。 そのブログのエントリーからは現地の緊迫した様子がひしひしと伝わってくる。 日本のメディアがここ数日伝えている「ラサ市内は平穏を取り戻し・・・」といった報道との温度差は大きい。
 こうした国で数ヵ月後には平和の祭典・オリンピックが開かれるのである。


ジンガロ、騎馬芸術、チベットからのメッセージ。
古地図収集の愉しみ
Exclusive footage of Chinese soldiers shooting at Tibetan pilgrims
情報統制を越えて漏れ聞こえるラサの悲鳴をきけ!【北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)】
今回の虐殺でのチベット人犠牲者とみられる写真(閲覧注意)
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by theshophouse | 2008-03-17 22:04 | Asian Affair | Comments(14)
ゲルマニウムネックレス不要論
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 数年前からのことだが、アスリートの首をカラフルなネックレスが飾るようになった。 いわゆるゲルマニウムネックレスで、生体電流を整える効果があると謳われるものの、そのような効能、効果は医学的に証明されていない。 ひところ一世を風靡し、最近では巷でもまったく話題にすら上らなくなったマイナスイオン同様、人体へのポジティブな影響があるとされるものの、科学的な論拠は何もないのが現状である。
 もっともプロのアスリートは、その職業柄健康オタクも多いので、体に良いと聞けばとにかく何でもトライしてみることは理解できるが、さすがにそうした正邪すら判然としないアイテムにまで手を出すだけあって、愛用者の多くは成績がパッとしないか、或いは度重なる怪我に見舞われて苦しんでいるといった状況下に置かれている。 つまりは救いを求めているわけだが、こんなものに救いを求めるようになったらその選手の先はもう長くないだろう。
 それでもどうしてもこれを装着したいのなら、せめて競技などの場では外すべきだと思う。 もし僕がプロのアスリートだったら、自分がそんな健康器具にご執心なところは客に絶対見られたくない。 また、もしあれがファッションアイテムとしてお洒落だと思ってつけているのなら、昔の野球選手がこぞって首にブラ下げていた金のネックレス同様に救いようがない。 もっとも、ゲルマニウムネックレスのメーカーとの契約で、競技中はおろか人前に出るときは必ずつけるようになっているのかも知れないが、みな流行りのアイテムよろしくバカの一つ覚えみたいにアレを首に巻いてるのを見ると気の毒にすらなってくる。
 僕の知る限り超一流のアスリートといわれる方々にこのてのネックレスの愛用者はいない。 そのことがすべてを物語っているのではないだろうか。
 先日の名古屋国際女子マラソンでもレース開始早々に失速し下位に沈んだ高橋尚子。 深刻な大気汚染の影響で大物ランナーが出場を断念する北京五輪のマラソンなどどうでもいいが、ランナー端くれとして二人の金メダリストの真剣勝負だけは見たかった。 「夢のレース」が実現することはもうないだろう。
 失速の原因についてはあれこれ囁かれているが、実のところ当の本人にもわからないのかも知れない。 人間の体とはかくも不思議なものだ。 直前合宿地の中国・昆明で食べていた大量の中華料理の中にメタミドホスを使用した野菜があったのかも知れないし、本人が言うように手術した右膝の影響だったのかも知れない。 高地から降りてきて高度馴化に失敗したのかも知れないし、所属する健康器具メーカーのゲルマニウムネックレスの影響で生体電流が整い過ぎて?逆におかしくなったのかも知れない。
 レース中ランナーは給水所でスペシャルドリンクを摂取する。 ゲルマニウムネックレスが本当に生体電流を整える効果があるのなら、極限状態のなか体内に急激に摂り入れられた電解質に対しネガティブな反応を起こすことなど決してないのだろうが、生化学の知識のない僕としては少々勘ぐってみたくもなる。 それほどまでに急激な高橋尚子の失速だった。
 ひとつだけ言えることは、走るという単純な競技にあのような「首飾り」は不要だということだ。 きちんと衝撃を吸収してくれる軽いシューズと発汗をコントロールしてくれる機能的なウェアがあればそれで良い。
 躍動するアスリートの首から目障りなネックレスが一日も早く消え去ることを願う。
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by theshophouse | 2008-03-14 23:58 | Critique | Comments(0)
ゲイラな日々
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 昭和40年代から50年代に少年時代を送った人ならみなだいたい似たようなものだったと思うのだが、僕の場合も主要な遊びはビー玉、コマ回し、三角ベースといったアウトドア志向のものだった。 しかし、同じアウトドアの遊びでも何故か凧揚げはあまり普及していなかった。 宅地化が進み、自由に凧揚げできる場所が急激に少なくなっていった時期でもあった。 僕も空き地を見つけては自作の凧を揚げてみたりしたことはあったのだが、なかなか思うように飛んではくれず、いつも走り疲れてはくたくたになっていた。
 そんな1974年、「ヒューストンからやって来た!」というキャッチフレーズとともに、突然僕らの前に現れたのが「ゲイラカイト」だった。
 あの独特の血走った目は子供心にかなりのインパクトがあった。 また、松崎しげる風の歌声の「飛べ~飛べ~♪ゲイラ~飛べ~♪」というCMソングも忘れることができない。
 そもそもなぜあそこまで血走った目にする必要があったのだろうか? 今にして思えばあれは鳥を威嚇して近づけないためのものだったのではないか、などと考えてみたりする。
 当時はあまりの大流行に多くのバッタ物も出回った記憶がある。 運悪くバッタ物を掴まされた友達が「お前のそれゲイラじゃないよ(笑)」とツッコミ入れられて泣かされてたのを思い出す。
 ゲイラはとにかく高く揚がる。 揚がり過ぎていつも凧糸は限界まで出し切っていた。 風を受けて暴れるゲイラに体ごと持っていかれることもしばしばで、小さな空き地などでは電線も多くて揚げるのは不可能。 大流行した年、日本中の電線はゲイラの墓場と化した。 当時の電力会社の人たちの労苦が偲ばれる。 「ゲイラは狭い場所では無理」と悟った僕たちはみな手に手にゲイラを持って、放課後の休耕田に向かったのだった。
 稲の切り株につまづきながら、ひたすら上空の奇怪な目と対峙した日々。 迫る夕暮れにゲイラの視線が霞み始めた頃、糸を巻いて家に帰った。 あの頃はすべてがシンプルだった。 


ゲイラカイト|株式会社エー・ジー
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by theshophouse | 2008-03-05 17:25 | 昭和 | Comments(2)
魅惑の駄菓子屋ルーレット
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 ギャンブルとは縁がない。
 パチンコ屋なんて日本からひとつ残らず消え去ってくれたらどんなにいいかと思う。 ほとんどすべての人間にとって、あの騒々しい台の前で過ごす時間は無意味で非生産的であり、一握りのプロやゴト師を除き、ほとんどの場合その収支決算は赤である。
 景品を現金化するプロセスもいまだ前近代的でいかにもアンダーグラウンド。 不健康極まりない。 こんなものが無ければパチンコ屋の駐車場で炎天下のクルマに監禁されて脱水症状で死ぬ子供や、親が目を離した隙に誘拐されて殺される子供はいなくなる。 なにより、テレビで毎日毎日ゴールデンタイムに繰り返しオンエアされるあの訳のわからないパチンコのCMが無くなる。 いくら文化国家を気取っていても低俗な遊戯機のCMがバンバン流れているようでは国家の品格などあったもんじゃない。
 スポーツとしての競馬は好きだが、たまにGⅠを場外で買うぐらい。 宝くじはたまにサマージャンボや年末ジャンボを買ってはみるものの、当たったためしがない。 市況を見るのは好きだが、株の運用は専属のファンドマネージャーに任せている。
 唯一自分がハマりそうなのは丁半博打だ。 昔とあるイベント会社のパーティーの余興で参加者全員時代劇風にコスプレしてやったら面白かったからだが、さすがにこれは実現不可能。 いかにも腹に一物ありそうな胴元、謎の女壷振り師、賭場荒らし、イカサマ師、黒い眼帯で片目を覆った用心棒。 「その勝負、ちょっと待った!」の声とともに脇差し一閃、畳の上で壷ごと真っ二つに割れたサイコロの中には鉛の玉。 「イカサマだ!」「やりやがったなこの野郎!」 ひっくり返される畳を合図に全員入り乱れてのバトルロイヤル。 「御用だ!」「御用だ!」 申し合わせたように飛び込んでくる奉行所の面々。 血沸き肉踊る賭場の光景には何かしら強く惹かれるものがある。
 そんな僕だが、現実に最も投資し、その投資に見合うようなリターンがまったく得られなかったにも関わらず、かなりの期間毎日のようにのめり込んでいたのがこのマシンである。 何度このマシンの前で苦汁を舐めさせられ、そしてまた歓喜の雄叫びをあげたことか。
 毎日毎日学校から帰ると、おじいちゃんやおばあちゃんに50円か100円の小遣いをもらって近所の駄菓子屋に直行し、かなりの時間をその駄菓子屋で過ごしていた僕だったが、このルーレットマシンはその駄菓子屋の店先にあった。
 配当はメダルによって支払われるが、このメダルはこのマシンを使うためだけにしか使えない。 すべての収支がこのマシンの中で完結する。 友達にボンボンがいて、平気で10点買いなどしているのを横目に堅実な僕は1点買い。 それでも運良く的中し、メダルが1枚1枚吐き出されてくるあの機械的で大袈裟な「ガッチャン、ガッチャン」という音にすっかりやられてたびたび破産に追い込まれた。
 あの時期、あの駄菓子屋のおばちゃんに日々の糧を与えていたのは間違いなく僕らのなけなしの小遣いだった。
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by theshophouse | 2008-03-03 01:43 | 昭和 | Comments(6)



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