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バカ親へのレクイエム
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 基本的に子供の名前は親マターだと思うので、どんな名前をつけようがその親の勝手だと思う。 ただ、普通に読みにくい、或いは読めない名前をつけられた子供の側からすると、単なる迷惑でしかないと思う。 そんなのは頭の中がお花畑の親の自己満足、身勝手以外の何物でもない。 だいたい世の中大成している人はみな鈴木一朗のような普通の名前である。 これは、変わった名前の人は大成しないという意味ではなく、名前なんてさほど重要じゃないという意味である。 かつて岡本太郎という普通の名前の芸術家は言ったものだ。 「名前なんてどうでもいいんだ!」と。 そもそも名前など、個体識別ができればそれで良い。 バリ島など行くとカーストの影響もあって長男はみな「ワヤン」、次男は「マデ」、三男は「ニョマン」である。
 最近、モンスターペアレントなるバカ親が跋扈しているという。 この記事のように自分の子供に「普通に読めない名前」をつける親と、「かけっこで優劣がつくのは不平等だからみんなで一緒に手をつないでゴールさせろ」とか「クラスの集合写真の中央に自分の子供が写っていないから撮り直せ」とか「子供がひとつのおもちゃを取り合って、ケンカになる。 そんなおもちゃを幼稚園に置くな」とか「自分の子供が不登校になり、不要になった教科書を買い取れ」などと学校に難癖つけてる親は同類だろう。 ついでに言うと、そういう親は「義務教育なのだから給食費は学校が負担しろ」と、給食費も払わないはずだ。
 ただ、こうして親が必要以上に教育現場に肩入れする背景には教師の質の低下という問題もある。 つまり先生も親も等しく劣化しているのであり、その両者の間にいる子供が劣化してしまうのは当然のことである。
 モンスターペアレントなる現象は、一見すると世間にバカ親が増殖しているという短絡的な見方を生みがちだが、実際は教師と子供と親の三位一体、つまり教育現場そのものの劣化現象なのである。 そしてこれは今に始まったことではない。 その端緒はおそらく戦後の高度成長期の始まりと時を同じくしていると思う。
b0045944_2314244.jpg 僕がこのような考えを持つに至ったのは藤原新也の「東京漂流」を読んでからのことだ。 この本を読むまで、僕は漠然と彼のことをインドやチベットに行って紀行文を書いている放浪作家兼写真家兼画家と思っていたのだが、この本を読んでその認識を改めさせられた。
 彼は常に対象を辺境から眺めている。 それは時にチベットだったりアフガンだったり芝浦だったり房総だったりする。 あえて世界の中心や日本の中心から少しズレた場所から三角測量的な視点で、世界、日本そして東京の位相を鋭敏な感覚で捉えていく。 それはたぶんその対象物の中心に身を置くと見えなくなってしまうからなのだろうと思う。
 藤原は同書において、崩壊していく日本人をその家の崩壊にシンクロさせる。 この場合の家は象徴としての家ではなくアーキテクチュア、すなわち建築としての家である。 かつては人間を開放させる装置であった日本家屋。 それは高度経済成長期において、経済効率すなわち合理性の名の下に崩壊していく。 神棚と縁側を失った日本の家はやがて公団住宅のような集合住居に取って代わられる。 それは日本の家が開放から閉鎖、東洋的不合理性から西洋的合理性へとシフトした瞬間であった。
 振り返って自分の家に目を転じれば、気密性が高いがゆえに外で雨が降り出しても気づかない。 隣家との物理的な接点は少なく、境界域において両者の視線が交わらないように巧妙に計画されている。 すべてはプライバシー尊重とセキュリティ確保のためである。 近所の子供が庭先に紛れ込んでくることもなければ、窓からスキマ風が入ってくることもない。 隣近所に住む人の顔さえよくわからない。
 かつての日本の家にも隣家との境界は存在したが、それはとても曖昧な存在だった。 濡れ縁という存在が象徴するように、建物の内と外との境界ですら曖昧だった。 家は自然の一部であり、地域の共同体の一部だった。 日本人は伝統的にそうした開放的な住環境のなかで隣人との関係や地域のコミュニティ内での対人関係を構築してきたのだが、近代になってその仕組みは失われつつある。 人々には他人との付き合い方を学習する場もなければ、人間関係を構築する場もない。 子供たちが外で元気に遊べるような場所も減る一方である。
 本来子供が行き来する家庭と学校の中間にこうした「場」が存在し、家族生活である家庭の場と集団生活である学校の場を中和し融合させる役割を果たしていたのだが、こうした場が失われたことによって人間関係が家族か学校かという二元的な閉塞状態に陥りつつあるのではないだろうか。 そうした社会的背景のなかで、冒頭に記事を引用した親のように、超個人主義的慢性マンセー病とでもいうような異常人格のバカ親が温室で大量栽培されつつあるのではないか。 考えるだけで背筋が寒くなる。
 人々の暮らしが進歩し発展することで何もかも内向きで閉鎖的なシステムになるのだとしたら、そうしたシステムの中にあってもせめてオープンマインドでいたいものである。
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by theshophouse | 2007-10-29 23:31 | Critique
或るホームセンター・ジャンキーの妄想
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 僕にとってホームセンターは行くだけで血沸き肉踊る場所である。 多種多様な工具類、ありとあらゆる素材、プロ仕様のアイテム。 それらが使われ、やがては生み出されるであろう創造物に思いを馳せる時、僕の心は果てしない高揚感で満たされるのだ。 こうした一風変わった性向を持つ者は「ホームセンター・ジャンキー」と呼ばれる。 もちろん僕が勝手にそう呼んでいるだけだ。
 僕の日常の行動範囲内にあるホームセンターは、「ドイト」「ユニディ」「ロイヤルホームセンター」「コーナン」「東宝日曜大工センター」の五つ。 それぞれ品揃えは一長一短だが、総合力ではドイトに軍配。 ただ、最近ドイトはドンキホーテ・グループに買収され、店舗網の再編が行われており、僕の行きつけだった青葉台店が撤退の憂き目に遭ってしまった。 今後のクオリティの低下が危惧されるところだ。
 ユニディもドイトに甲乙つけがたいポテンシャルを持つ。 僕が行く狛江店は何と言ってもガーデン売場が充実しており、苗木などの価格は非常に安い。 水性塗料売場では、豊富な色サンプルの中から指定すると、その場で複数の色ネタを混ぜ合わせて調色し、攪拌機にかけてサンプル通りの色を作ってくれたりもする。 寅壱指数、ニッカボッカ指数はかなり高い。
 ロイホ(僕にとってのロイホはロイヤルホストではない)はダイワハウスグループのホームセンター。 僕が行くのは梶ヶ谷店だが、これといって特徴のない平均的なホームセンターである。 通勤途中の場所にあるので比較的よく利用している。 昨年の9月に同じ敷地内にあるJR貨物の梶ヶ谷コンテナターミナルの下を抜けるトンネルで通り魔があり、黒沼由理さんというアルバイトの女性が殺された事件は記憶に新しい。 犯人は未だに見つかっていない。
 コーナンは港北ニュータウン店に行くのだが、とにかくデカい。 しかしながらデカいわりに品揃えはイマイチ。 とにかく僕の欲しいアイテムだけがピンポイントで置いてない。 とはいえ、食品以外の物はほとんど売っているせいかレジャー目的の家族連れが多く、ここに挙げた中ではプロの匂いが最も希薄な店である。
 最後に東宝日曜大工センター。 昔から世田谷エリアに住んでいた僕にとって成城店は一番馴染みの深いホームセンターである。 今でこそ郊外にちょっと足を伸ばせばいくつかのホームセンターがあるが、ひと昔前はここだけだった。 その名前が示す通り、「DIY」とか「ホームセンター」などという言葉がない頃にオープンした店であり、敷地内に隣接する東宝撮影所の大道具さん御用達の店でもある。 敷地内を流れる仙川沿いの遊歩道は桜の名所だ。
 久しぶりにその東宝日曜大工センターに行ったら、隣の東宝撮影所がリニューアルされていてびっくりした。 メインゲートに面する建物の壁面には映画「七人の侍」の大壁画。 警備員の詰所前ではゴジラの等身大?のモックアップが睨みを効かせている。 こういうのを見せられると、かつて斜陽とまで言われた日本の映画産業の復活を実感させられる。
 実は昔、この撮影所でとある映画の撮影現場を見学させていただいたことがある。 撮影スタッフに知り合いがいる友人が誘ってくれたのだった。 映画のタイトルは「山田ババアに花束を」。 当時絶頂期を謳歌していた山田邦子が主演のコメディ映画だった。
 今でも鮮明に蘇るシーンがある。 リビングルームのスタジオセットで見学していた僕ら。 僕はダイニングセットの椅子の背もたれに両手を掛けて撮影風景を見ていた。 やがてセットの中に共演の西田ひかるが入ってきて、僕から5メートルぐらい離れた場所にあるソファに座って台本片手に台詞の練習を始めた。
 人気アイドルとの予想外の遭遇に心の中で「ラッキー!」と叫んだ僕だったが、やがて西田ひかるは立ち上がり、遠巻きに見ていた僕と一瞬アイコンタクトした(事実です)のち、なんと僕の方に真っ直ぐに歩み寄って来て、僕が両手を掛けていた椅子に座り(!)、僕の目の前30センチで台詞の練習を再開したのだった。
 僕はそのあまりの距離の近さにビビり、自ら少し離れた場所に「撤退」した。 その後彼女と視線が合うようなことはなかったが、当時いたいけな青年だった僕は大いに妄想を膨らませたものだった。 曰く「あの視線はぜったい僕に気がある」だの「あの椅子に座ったのは僕の近くに来たかったからに違いない」だの。 挙げ句の果ては、いつか彼女と運命的な再会を果たし、あの撮影所での「初対面」の時を互いに回想する二人の姿を夢見てみたり・・・。
 冷静に考えてみれば、台本片手の女優が台詞を読みながらセット内での位置を確認していたに過ぎなかったのは明らかだが、僕がそのように冷静になれるまでにはしばしの時間が必要だった。 つまるところ女優とは一瞬の目配せで男を虜にする生き物なのだろう。
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by theshophouse | 2007-10-27 01:17 | Critique
加地さん二度目の確変?
 エジプト戦。 日本4対1で勝利。 アフリカから試合直前に来日した二軍相手とはいえ、スイス戦に続いて大量得点の試合となった。 ここ2試合に関して言えば、いつも囁かれる得点力不足の声はどこ吹く風である。
 この日はツートップを組んだ大久保と前田に注目したが、この二人の組み合わせはなかなか良かった。 オールラウンドタイプの前田とストライカータイプの大久保は互いの位置を常に意識してスペースを生み出していた。 もっともこのトップの二人の動き方はオシムジャパンにおいては誰もが当たり前のようにやっていることではあるが、前後左右にお互いが効果的なポジショニングをしてボールを引き出していた。 とりわけこの二人の意思疎通はスムーズだったように思える。
 大久保もかつてのような唯我独尊的なプレーは影を潜め、まわりが見えるようになったのか、シュートばかりでなくチャンスメイクにも精を出していた。 今日大久保が2ゴールを決めたのも、いい意味で肩の力が抜けたからなのだろう。 今後も代表でこのようなプレーが出来れば更にゴールを量産してくれることだろう。
 前田にも可能性を感じた。 1対1で相手キーパーの股間を狙って外した場面もあったが、同じような角度からふたたび股間を抜いて決めた3点目はゲームを決めるものだった。 もともとゴールハンターのイメージはないが、何処からでもゴールを狙えるシュート力と技術、冷静さを持っている。 他に似たようなタイプがいないので、オプションとして貴重な存在である。
 そして何と言っても今日のハイライトは加地さんだろう。 いつもJリーグでやっている普段着のプレーが代表でも出さえすればこのブログでもここまで罵倒されることなどないのだが、今日のそれは普段着以上のプレーだった。
 果敢に前線に攻め上がり、何度も右サイドで起点をつくった。 今日もいつも通り効果的なクロスはなかったが、前田にシルクタッチのスルーパスを出したかと思えば、逆サイドに抜けてきた駒野のクロスに走りこんで右足でワンフェイク入れて左足でゴール左隅に流し込む頭脳的なゴールを決め、ディフェンスもそつなくこなした。 いつもは”バックパサー”と揶揄される加地さんだが、この日はバックパスがほとんどなく、前へ繋ごうという意識が見てとれた。
 加地さんがコンスタントにこのぐらいのプレーをしてくれるのなら日本の右サイドは安泰である。 もちろんゲームとは常に相対的なものであり、今日一日の出来ですべてを評価することはできない。 このブログが本格的に加地さんマンセーできるようになるかは今後の加地さんのプレー次第。 ただ、いい仕事をした時は素直に評価したいと思う。
 全体としては3点目を取った後のイージーミスの連発には辟易した。 3点リードした時に、更に次の点を狙って前がかりになるのか、それとも一定時間ボールをキープしてゲームを落ち着かせるのか。 そのあたりの共通認識がズレていたのが原因なのかも知れないが、いわゆる強豪国にこうしたミスは皆無である。 日本のサッカーが更にワンランク上に行けるかどうかは、こうしたミスをどれだけ減らせるかにもかかっている。
 個人的に気になったのは中澤のプレー。 いつも通りほぼ完璧に相手を封じてはいたものの、2つのミスが相手に決定的なチャンスを与えてしまった。 レベルの高い相手なら間違いなく二つともゴールされていたと思う。 他が完璧なだけに数少ないミスが目立ってしまうこともあるが、ゴール前では相手の処理を中澤に丸投げすることなく、両サイドが絞ったり、もう一枚がきっちりカバーしたりしないと危険だ。

 それにしてもいつもながらテロ朝の実況には不満が残る。 どう見てもショボい相手なのにも関わらず、やたら「強豪エジプト相手に~」みたいな実況と解説。 ピッチレポーターの川添は「松木さん、今のトラップ上手いですね~」「シュート力ありますね~」と、終始異常なまでにエジプト選手の技術の高さを褒めちぎる。 意味わからん。
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by theshophouse | 2007-10-17 23:10 | 蹴球狂の詩
僕は氷、君はウイスキー。
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 先日「ブロードキャスター」を見てたら、久保純子が有楽町再開発の取材に絡めてガード下の飲み屋を取材していた。 久保純子はああいうガード下の飲み屋の猥雑な雰囲気が大好きらしく、オヤジたちに囲まれて目を輝かせていた。 今や死語になってしまったが、一昔前なら確実に「オヤジギャル」と呼ばれる部類だろうと思った。
 オヤジギャルは苦手だ。 もし仮に自分の好きな女性とたまたまこういう飲み屋に来る機会があったとする。 そんな時の女性の態度としては、「ワタシこういう雰囲気も嫌いじゃないけど、あなたに連れてきてもらわないと来れないわ。」というのが理想だ。
 のっけから「ワタシこういう小汚いとこはイヤ」と断罪されるのも切ないが、「ワタシガード下大好き!」というのはもっと興醒めだ。 つくづく男とはロマンチストで勝手な生き物である。

 最近オンエアされているサントリー角瓶のCM。 小雪が「わたしは氷、あなたはウイスキー。」と言うアレ。 今まで小雪が出ているいろんなCMを見たが、あのCMで初めて彼女に魅了された。 こんなことを白状するのは、自らを完全にオヤジだと自覚したからである。 無論40過ぎでオヤジでないはずがない。 以下はそのCMを見た直後の僕とヨメの会話。

 僕 「このCMの小雪っていいよね。」
 ヨメ 「オヤジの夢が全部詰まってるCMだね。」
 僕 「・・・・・。」

 まず、うちのヨメは女性であり、しかも下戸である。 目の前で頬を薄っすらと赤らめたほろ酔い気分の小雪に「本当は年下が好きだったのになあ」と言われた日本中のオヤジの心の内で、理性という防波堤が音を立てて崩壊していくさまを正確にわかろうはずもない。
 このCMが世のオヤジにとって心地良いのは、自分の中で何かが瓦解していく気分を味あわせてくれるからだろう。 つまりこのCMはオヤジの立場からだと「僕は氷、君はウイスキー。」なのである。
 誰だって少なからず自己破壊願望を持っているものだ。 そして何もかも失った先に、それでも小雪のような女性がそばにいて微笑んでいてくれるのなら、そんな人生も悪くない。


「わたしは氷」篇(30秒)を見る
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by theshophouse | 2007-10-17 12:12 | Critique
追悼 黒川紀章さん
 福田康夫が自らの政権運営のスローガンを「自立と共生」としたことについて、民主党党首であり中国共産党の犬である小沢一郎は、「ずっと昔から僕が使っていた言葉を何かおっしゃっているみたいに感じた」と皮肉った。
 僕に言わせればこの二人は黒川紀章の造語である「共生」という概念の追随者であり二次的な使用者に過ぎない。 「目糞鼻糞を笑う」である。
 その黒川紀章氏が逝った。 僕が生まれる前から「メタボリズム(新陳代謝)の建築」を提唱し実践していた黒川紀章。 今やこの言葉はメタボリック・シンドロームへと変容し、下っ腹に贅肉を抱える人々を戦慄させている。 建築は言うに及ばす、言語感覚にも天賦の才のある人だった。
 学生の頃、夜デートで天神界隈を歩いていた時、ふと福岡銀行本店のテラスに彼女を誘ったことがある。 銀行の敷地内であったそこには植栽とベンチがあり、恋人たちが愛を語らうには絶好の場所だったのだが、夜間で立ち入り禁止のロープを乗り越えて「侵入」した僕らは、ベンチにゆっくり腰を落ち着けるほどの猶予も与えられず、警備員によって排除された。 もしあの時僕らにベンチを温めるのに十分な時間が与えられていたら、今のカミさんと一緒になっていたかどうかはわからない。
 ある程度の規模の建築がその敷地の一部を公共に開放するということは、今では決して珍しいものではないが、この建築がお目見えした1975年当時、それが巨大なピロティによって雨の当たらない半戸外の空間として計画されたことは極めて画期的な事であった。
 黒川はこのテラスをビルの内部と外部の間のグレイゾーン(中間体)と考えた。 伝統的な日本建築における縁側のように、建物の内と外の境界線に位置し、その両者が溶け合う曖昧な空間と位置づけたのである。 それはメタボリズムの建築から共生の建築へと歩んでいった黒川が提示した自身の転回点だった。
 ただ、黒川の目論見は外れ、このテラスが人々で賑わうことはなかった。 圧倒的な引き算によって生まれた見えない空気のマッスが凝縮された大空間は、地方銀行本店という権威主義の記号をまとい、人々の接近を拒む広場になってしまった。 それゆえに当時の僕らのようなアウトサイダー的「闖入者」にはもってこいの場所だったのだが。

 建築にさほどの興味のない人の多くは、彼の名前ぐらいは知っていても、彼の顔を見て言葉を聞いたのは先の都知事選が初めてだったかも知れない。 その選挙戦において彼の言うことはいちいちユーモアに溢れていて、旧来の政治家然とした他の候補者とは明らかに一線を画すものだった。 ただ多くの都民はそのズレを何か奇異な物を見るように捉え、失笑のうちに自らを納得させようとしていたとしか思えない。 彼がかつてないほどの熱情をもって真剣に政治の世界に立ち入ろうとしていたにも関わらず、我々はそれを真に受けようとはしなかった。 それはちょうど福岡銀行本店のテラスが人々の集う場所にならなかったことにも似ている。
 芸術家が正当な評価を得るのに必要な時間は、時としてその人生の長さを超えることがある。 建築家としては輝かしいキャリアを積んできた彼が、その最晩年に政治の世界で夢想したいくつかの理念。 彼に残されていた時間はそれらが評価されるにはあまりにも短いものだった。

 黒川紀章氏のご冥福をお祈りいたします。
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by theshophouse | 2007-10-14 01:42 | Non Category



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