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さようなら、おヨネばあさん
 今の仕事を始めた当初は資金もなく、商品を輸入してそれを得意先に納品し、その売り上げが回収される翌月末になってやっと次の仕入れのお金を送金できるような状態。 いわゆる自転車操業だった。 したがって商品を納めてから次の商品が入荷するまで3~4ヶ月の空白期間ができることもザラだった。 その間、まったく仕事をしないわけにもいかず、短期のバイトをやったりしたものだ。
 なかでも組立工はそうした僕の仕事のサイクルにとても合っていたので、比較的長期間続けたバイトだった。 例えば3ヶ月まるまる働いて1ヶ月休んだりすることに何の問題もなかったからである。 「本業」を終えた僕は組立工のバイトに復帰して、また3ヶ月ぐらい働いた。 こうしたことを2年以上繰り返していた気がする。
 無論このバイトは、男だけの職場だった。 朝の7時ぐらいに会社からハイエースに乗って関東一円の現場に飛ばされる。 いわゆる「人さらい系」の仕事だ。 商業施設のゴンドラ(陳列棚)や倉庫内のパレットラック(フォークリフトで直接出し入れするような大型の産業用ラック)、時には冷凍庫内の電動ラックなども組み立てた。
 2年もやってると、そのうちバイトの中でも中堅ぐらいになり、小さな現場などはアタマ(職長)で行かされることもあった。 とはいえ所詮本業がある身分なので、責任が重くなるにつれバイトから次第に足が遠のいていった。
 そんなバイト生活の中での発見は、それまでどちらかと言えばデスクワーク中心の仕事をしてきた自分が、いわゆる肉体労働もけっこう好きだったということである。 もとよりマジメだけが取り柄の男である。 何事につけやり始めると、効率はともかく丁寧にこなしていく性分。 そして組立工の仕事、つまり部材を組み立てて何かを完成させるという仕事に、ある種の達成感のようなものを感じていたのも事実だ。

 そんな職場でバイトをしていた男たちは、やはり僕のように二足のわらじを履いてるようなタイプが多かった。 役者の卵やミュージシャンの卵、役者くずれやミュージシャンくずれ、地方からの季節労働者、学生と、その素性もさまざまだった。 働いてその日の日当を貰うだけの労使関係はシンプルで、そのせいか会社内の風通しも良かった。 これまで自分が勤めた会社のように複雑な人間関係もなく、僕にとっては働きやすい会社だった。
 同僚のなかには昼のメロドラマで準主役や火サス(役者たちは火曜サスペンス劇場をこう呼ぶ)にチョイ役で出てた人、「レ・ミゼラブル」の舞台を踏んでた舞台俳優の人もいた。 インディーズ・レーベルからCDデビューしているパンクロッカーもいたし、広島のライヴハウスでたまたま来店していたキャンディー・ダルファーとジャムったツワモノ・ベーシストもいた。
 そんなかつての同僚たちと1年ぶりに会って飲んだ。 野郎ばかりの飲み会である。 僕はこういう野郎ばかりで集まるのはけっこう好きである。 まだ当時の会社で組立工の仕事を続けている友達の話だと、最近オーディションでエグザイルの新メンバーになった男も、オーディションの直前まで半年ほど働いていたという。 自分のところでバイトしていた人間がエグザイルの新メンバーになったということで、社長は最近必要以上に鼻高々なのだという。
 そんなかつての同僚のなかに、今もバイト人生の王道を往く男がいる。 彼は組立工の仕事を辞めた後、移動販売のさおだけ屋をやり、浅草で人力車を牽き、デロンギでオイルヒーターやエスプレッソマシンの修理工をし、広尾の喫茶店で常連の矢沢永吉や秋元 康にコーヒーを淹れ、出会い系サイトでサクラをし、今は築地の場外にある漬け物屋で早朝5時からぬか床と格闘している。
 なかでも出会い系のバイトの話は面白かった。 出会い系サイトを利用する客(主に男性)に対し、パソコン上で女の子のふりをして会話したりするだけで、けっこうな稼ぎになるというのである。 都内某所にあったこの出会い系サイトの事務所(現在は解散)には十数人の男たちがパソコンの前に陣取って日夜男性客との会話に励んでいたという。 世の中ににはいろんなバイトがあるものだ。 そしていつもそれを実感させてくれるのが彼なのである。
 ちなみにこの彼、現在はジャズ・テナーサックス修行中らしいのだが、都内には思い切り吹ける場所がなかなかないらしく、練習場を求め、先月は宮古島で一人合宿を敢行したそうである。 エグザイルとは彼の為にある言葉だろう。

 そんな彼ほどではないが、僕も福岡で美大生やってる頃、やはり学生の常としていろんなバイトをやった。 長く続けたのはビル清掃の仕事で、博多駅前のオフィスビルの夜間清掃のバイトを2年ぐらいやった。 その他にもいろんなバイトをスポットでやったものだが、なかでもよくやったのがイベントでの「似顔絵描き」だった。
 昔のことで詳細は忘れてしまったのだが、福岡は天神の新天町の酒屋で、父の日にワインを買ってくれたお客さんに、お父さんの似顔絵を描いたラベルをワインに貼って差し上げるというようなバイトだった。 ただ、みんながみんな家族で買い物に来ているわけでもなく、実際その場に都合よくお父さんが居合わせている場合はともかく、お母さんやお子さんの似顔絵を描くことも少なくなかった。
b0045944_014822.jpg 同様に、とあるスーパーで「ウェルチジュース」の販促イベントの一環としてやはり「似顔絵ラベル」のバイトをやったこともあった。 そのイベントは「ばってん荒川歌謡ショー」との併催であったため、僕はスーパーの控え室でばってんさんと一緒になった。 そこでお茶をすすっていたばってんさんはみんながよく知る「お米(ヨネ)ばあさん」のいでたちではなく、ちょっと艶っぽいおじさんという感じだった。
 先日、そんなばってん荒川さんが逝った。 九州出身の人にとってばってんさんは、姿を見たり声を聞いたりするだけで何だかほっとするような存在だったと思う。
 ばってん荒川さんのご冥福を心からお祈りします。
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by theshophouse | 2006-10-27 00:02 | Non Category | Comments(2)
バブルフルーツ・アゲイン!
 最近、家は裕福なのに給食費を払わない親がいるという。 義務教育だから給食はタダで当然というのがその根拠だという。 そんなバカ親をもつ子供には、可愛そうだが給食を与えなければいいだけの話だ。 それで子供が差別されても仕方ない、と僕は思う。 勘違いしている親を助長させるのは子供のためにも良くない。
 幸いにも僕の親はちゃんと給食費を毎月払ってくれていた。 そのおかげで毎日給食にありつくことができたし、両親が共働きでおばあちゃん子だった僕にとっては、毎日バラエティに富んでいる給食は、ややマンネリ化していたおばあちゃんの料理よりも楽しみですらあった。
 当時の給食で印象に残っていることと言えば、まず毎日牛乳が出たことだ。 瓶に入った牛乳だった。 それはやがてテトラパックという三角錐の形の紙パックにとって代わった。 僕らは飲み終わった後のテトラパックをいかに小さく折り畳んで捨てるかを競わされた。
 小学校の時の給食は基本的にパン食で、一日置きに食パンとコッペパンが出た。 そうしたパンにつけるものとして、マーガリンやジャムやマーマレード、時にはピーナツバターにチョコレート味のものもあった。 僕はマーガリンがどうしても好きになれず、いつも残して持ち帰っていた。 しばらくするとランドセルの中はマーガリンだらけになってしまうので、ある程度数が溜まったら、家への帰路、車道のクルマの轍が残っている場所にいくつも並べて物陰に隠れ、クルマがやって来るのを待った。 マーガリンがタイヤに踏まれ、「ピュッ」と飛び散るさまを眺めるのが好きだった。 我ながらヘンなガキだった。
 メインの料理で印象が強いのはやはり「鯨の大和煮」。 とにかくよく出た。 二週間に一回は出ていたのではないか。 僕はこれを食パンに挟んで食べていた。 鯨サンド。 これを書いている今、無性に食べたい。
 基本的にパン食だった小学校の給食。 そんななかで唯一ごはんが出ることがあった。 それが「インスタントごはん」である。 それは今から考えても不思議なごはんだった。 炊き上がった状態のごはんがパンパンに張ったビニール袋の中で少しべっちゃりしているのである。 このごはんが出る時、メインは必ずカレーだった。
 デザートもたまに出た。 やはり定番はアイスクリームだったけれど、ごく稀に出たのが「バブルフルーツ」。 僕はとにかくこれに目がなかった。 「バブル」の日に同じグループの子が休んで、終業後にその子の自宅に給食のパンや牛乳などを届けなければならない場合でも、バブルフルーツだけはこっそり自分のものとした。 オレンジ味で、食感はシャーベットとババロアの中間といった具合。
b0045944_23161612.jpg バブルフルーツは1976(昭和51)年に冷凍食品大手のニチレイが発売したのだが、製造中止になって久しい。 インターネット上で商品の画像を探してみたのだが見つからない。 かくなるうえは自分で描くしかないと思い、当時の記憶をたどって描いてみた。 ただ、描いた後にネットで調べてみると、五角形の一辺一辺がそれぞれカーブになっている桜の花びらのような容器だったという。 容器の高さは普通のカップアイスの半分ぐらいだったと思う。
 どうしてバブルフルーツのことを取り上げたかというと、先日近所のスーパーでグリコのアイス「和ごころ」を買って食べた時、この中の甘夏味があのバブルフルーツそっくりだったのである。 食べた僕はその瞬間30年前にトリップしてしまっていた。
 ところがこの「和ごころ」の甘夏味、夏限定だったらしく、現在ではすっかり店頭から消えてしまった。 初めて食べたのがビルマとタイへの出張前で、出張を終えて帰国したらもうなくなってしまっていたのだ。
 いくら世の中昭和ブームとはいえ、二チレイがバブルフルーツを復刻させるとは到底思えない。 そうなると、外観はともかく味という点においてはかなり近いものを感じた「和ごころ」の甘夏味がふたたび店頭に並ぶ来年の夏まで、僕は待たなければならないようである。 グリコが甘夏味を通年商品にしてくれることを願うばかりだ。

 ちなみにこのバブルフルーツ、九州や近畿、中部地方などの給食には出されていたようなのだが(僕は福岡市の小学校で食べていました)、それ以外の地域ではまったく知られていないという。
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by theshophouse | 2006-10-20 23:25 | Food | Comments(38)
バンコク出張記2006秋 幸福の黄色いシャツ
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月曜日の「普通の」小学校の校庭 子供たちが着ているのは「国王大好き」Tシャツ
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月曜日の「普通の」BTSの駅ホームの光景 オトナはTシャツよりもポロシャツが多い

 週も明けて月曜日。 この日はスクムビット周辺の店を回り、友人の店に顔を出すスケジュール。 朝食を摂るため、不本意ながらホテル向かいのスタバに行く。 すると間もなく僕はその異様な光景に気づいた。 窓際の席に陣取ってぼんやり行き交う人々を眺めていると、とにかく猫も杓子もみな黄色いポロシャツやTシャツを着ているのである。 その割合たるや90%に達しようかという勢い。 そこらじゅうが24時間テレビのスタジオ状態なのである。 これは尋常ではない。
 街を歩いても、BTSの駅構内や路線バスの車内、デパートの中など、この異常な状況はほぼ同じ。 誰もが国民服のように着用しているポロシャツを良く見ると、胸にお揃いのエンブレムのようなものがついている。 どうやらこれは先に行われたプミポン国王の即位60周年祝賀行事にちなんだものかと思い至りはしたものの、なぜ黄色なのかが判然としない。
 そこで取引先の現地駐在商社マンに訊いてみると、「黄色というのは月曜日の色で、プミポン国王が生まれたのも月曜日。 そこで国王が大好きなタイ国民は、毎週月曜日になると黄色の衣服を着て、国王への敬愛の情を表している。」ということであった。 そうした事情を知らない人が見ると、国中が新興宗教にでも毒されたのではないかと誤解してしまうような入れ込みようなのである。
 で、この「国王即位60周年祝賀ポロシャツ」だが、もちろんその性格上、当初はそれなりにオフィシャルな筋から「公式ポロシャツ」として売られていたのだが、偽物やバッタ物が続々市場に参入し、次第にどれが本物か誰もわからなくなってしまっているという。 一例を挙げると、僕は滞在中にテレビで国王の偉業を称える番組を観ていたのだが、男性二人の進行役が着ていた「公式ポロシャツ」は微妙に黄色の色味が違い、エンブレムの大きさも違っていた。 おそらくどちらかが、いや或いはどちらもバッタ物だったのかも知れない。 このあたり、いかにもタイらしい。
 それにしても国王の祝賀行事は6月に終わっているのに、タイ国民はこの状況をいつまで続けるのだろう。 前出の商社マンによれば、来年は国王が80歳を迎えるということで、祝賀ムードは来年いっぱい続くだろうとの見通し。 6月の祝賀行事前後にピークを迎えたポロシャツの価格も、さすがにほぼ全国民に行き渡って需要が頭打ちになったせいか、最近では大幅に値崩れしている模様。 ナイト・マーケットや通りの露店でも叩き売りされている状態である。
 それにしても以前のエントリーで紹介した「オレンジバンド」といい、この国の国王崇拝のなんと一途で健康的なことか。 それはひとえにタイ人の愛国心の発露であろう。 「愛国心」についてわざわざ国会の場で議論しなければならない異常な我が国を顧みれば、その陽気さはうらやましい限りである。 先日のクーデターの首謀者であったソンティ陸軍司令官がバンコクを制圧したのち開いた会見でも、彼の腕にオレンジバンドを見ることができた。
 ちなみに国王同様人気があるシリキット王妃は金曜日生まれで、金曜日の色は水色。 金曜日には水色の服を着たり、水色のものを何か一つ持ったりする人も多いそうである。 こういう習慣はタイにもともとあったものが、国王の即位60周年を機に顕在化したというのが実情のようである。 このほか日曜日は赤、火曜日はピンク、水曜日はビルマ同様特別で、午前は緑で午後は黒、木曜日はオレンジ、土曜日は紫と、それぞれの曜日ごとに色が存在する。
 もしタイに行く時には、こうした「曜日の色」を覚えておくといいかも知れない。 そしてもちろんあなたが生まれた曜日も。
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by theshophouse | 2006-10-15 02:14 | Odyssey | Comments(2)
犬が一番目立った試合
 インド戦。 日本3対0の勝利。 暑いバンガロールでのお寒い試合だった。
 前のガーナ戦。 自分の記事をアップした後にいろんなサッカー関連サイトを見たり、個人のブログを見たりしてみたのだが、どこも判で押したように「敗れはしたが可能性を感じた」式のものばかりで、なかにはベタ褒めしているものまであった。
 なぜ僕のガーナ戦の印象と他の人のガーナ戦の印象がこんなにも違うのか考えてみると、僕はガーナ戦の前のサウジアラビア戦とイエメン戦を見ていないのである。 バンコクのホテルのテレビでESPNがEURO予選とアジア・カップ予選のダイジェストをやっていて、日本の試合はとにかく巻や我那覇が外しまくっていた。 他の試合と違って、日本の試合は「決定機を外しまくる日本のFW」という切り口で編集されていたように見えた。 そして僕が唯一見たのがそこだけである。
 ガーナとあの程度の試合をやったぐらいでプロのジャーナリストからブロガーまであれだけベタ記事が氾濫するんだから、中東遠征の日本代表がいかに酷い出来だったか窺い知れる。 つまりはその反作用として肯定的な記事が多かったのだろう。 「今野を始め選手のポジションチェンジが良かった」「3人目の動きなど、選手が連動して意図を持った崩しができていた」って、そういうのはモダン・フットボールの前提条件でしょ? なかには「トータル・フットボールだ」なんて書いてた人もいたけど、それじゃあオシム・ジャパンはようやくあの頃のオランダ代表のサッカーをやり始めたってことですか?
b0045944_1657228.jpg そうして持ち上げた結果が今日のインド戦。 野良犬も痺れを切らして乱入したくなるほどつまらない試合だった。 結局今のチームにはまだまだコンスタントな出来を期待することは難しいということ。 ピッチの状態ひとつでプレーがナーバスになり過ぎるし、相手のやみくもなプレッシャーにも慌てる始末。 パスミスとトラップミスがこれだけ多いと、ゲームを組み立てることは不可能だ。
 そんななかでもわずかながら光明はある。 ガーナ戦で気持ちの入ったプレーを見せていた播戸。 2点とも「らしい」ゴールだった。 そして播戸同様ガーナ戦で途中出場し、柔らかなボールさばきを見せた中村憲剛。 守備に軸足を置き、ポジション取りに気を使いながらも、長短のスルーパスを通したり、ロングボールを前線に送ったりと、ボールの供給源になった。 もちろん圧巻はあのミドルシュート。 2005年のコンフェデ・ブラジル戦で俊輔が決めたのと同じような位置から右足一閃、美しいゴールだった。
 あと合格点をやれるのは川口と阿部ぐらいじゃないか。 その他は皆出来が悪かったと思うけれど、特に巻は酷かった。 ポストはできない、パスはできない、シュートは枠に行かない。 この試合がお粗末なものになってしまった最大の要因は前線に起点がつくれなかったこと。 もちろん巻だけのせいじゃないが、受け手としての巻の出来は決して良くなかった。 あと駒野。 サイドが簡単に制圧できるからといって精度のないクロスをポンポン放り込んでもねえ。 三都主も2アシストはともかく、それ以外はお粗末だった。
 どうも今の代表は、例の4色ビブス練習をやらされてるせいか、ワンタッチかツータッチでボールを預けたり出したりする癖がついてるみたいで、今日の試合なんかでもドリブルできるスペースがあるのにパスを出す、いわゆるパスのためのパス、日本代表がよく陥る、ゴールという目的を消失したパス・ゲームになっていたような気がする。 それでもパスがつながってればまだいいのだが、今日はミスの多さに悪いピッチも手伝ってそれもままならず、結果お寒い試合になってしまった。 とにかく戦術以前に個人個人のスキルとフィジカルとメンタルをもっと上げないと、オシムの目指すサッカーの実践はとても難しい。
 それからインドに一言。 あのFWの15番。 イングランドの2部でプレーしてたインドの英雄らしいが、ラフプレーばかりで見苦しい選手。 もう日本との試合には出すな。 それから、もういいかげん試合中に照明のスイッチ切るのはよせ。
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by theshophouse | 2006-10-12 00:33 | 蹴球狂の詩 | Comments(0)
バンコク出張記2006秋 サイアム・パラゴン
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 バンコクの中心部、サイアムに昨年オープンした「サイアム・パラゴン」はとんでもない商業施設だ。 ディベロッパーはプロンポンにある「エンポリウム」と同じ。 これまでバンコクで一番ハイソな商業施設はチットロムの「ゲイソーン・プラザ」だと思っていたのだが、このサイアム・パラゴンの登場によってそうした勢力地図は一変した。
 とにかくこのサイアム・パラゴンはでかい。 上階はタイ初の水族館「SIAM OCEAN WORLD」になっている。 魚は「食べるもの」でしかなかったタイ人にとって、この魚を「鑑賞する」という行為はなかなかエポックメイキングな出来事であったようだ。 そして肝心の売場だが、なにせひとつひとつのテナントの面積からしてでかい。 天井高にしても日本の百貨店とは比べものにならない高さである。
 ショップのデザインひとつとってもおよそ東京ではお目にかかれないような大胆なデザインに溢れており、見る者を楽しませてくれる。 東京のそれとはスケール感からして違うのだ。 もし自分が20年前のようにショップ・デザインを勉強している学生だったら、東京なんか放っといてバンコクに直行していただろう。
 もちろん入っているテナントも半端じゃない。 とにかくたくさんあるのだが、ここでは敢えてインテリア関連でふたつ紹介しようと思う。 ひとつめが「Barbara Barry」。 バーバラ・バリーは妻が最も好きなインテリア・デザイナー。 ロサンゼルスをベースに、主にアメリカで活躍している。 これまでは自分のショップを持たなかった彼女の世界で唯一の店がこのサイアム・パラゴンにある。 もうひとつは、昨年インサイダー取引で有罪判決を受けたことでも知られる「元祖カリスマ主婦」で、五ヶ月間の服役後、しばらくの間は常に居場所をトラッキングできるようにGPS機能付きのアンクレットをつけられていたマーサ・スチュアートがデザインするファニチャー・ショップ「MARTHA STEWART SIGNATURE」。 いずれもハイエンドな店である。 だが東京にはない。 また今後できる気配もない。
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Barbara Barry
そのデザインはアール・デコ・リバイバルとでもいうべきもの 家具からヴェース、お皿に至るまですべて彼女によってデザインされている
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MARTHA STEWART SIGNATURE
マーサ・スチュアートのデザインによるファニチャー・ショップ


 なぜこのような店が東京ではなくバンコクにできるのか? 「東南アジアの優等生」として経済発展を続けてきたタイだが、まだまだ庶民の年間所得は日本の10分の1以下。 そんなバンコクにこのようなブランドが進出して勝算があるのだろうかと考えるのが普通である。 ただ、この国のほんの一握りの富裕層(その多くは華人といわれる)は、日本の金持ちを鼻で笑うくらいのお金を持っている。 そして、バンコクに拠点があるということをマクロ的な視野で見れば、驚異的な経済成長を続ける中国にも、オイルマネーで潤いホテルラッシュに沸くドバイを始めとする中東の都市にも近いのである。 更には先月末に開港したスワンナプーム新空港は紛れもない東南アジアのハブ空港となり、利便性は飛躍的に向上する。 一方、極東に位置する東京では地政学上その市場がほぼ日本国内に限定されてしまうのだ。
 六本木ヒルズと表参道ヒルズが一緒になって逆立ちしても到底敵わないのがサイアム・パラゴン。 今や僕にとって刺激的なものは東京ではなくバンコクにある。
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タイの電話会社「true」のネットカフェ オリジナルセレクトの洋書やCDも販売している
バンコクの若いクリエイターたちはわざわざここに来てミーティングしたりするのだという

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MKサイアム・パラゴン店 ちょうど200店めということで金ピカ仕様 ただし味は他店と同じ
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by theshophouse | 2006-10-08 22:57 | Odyssey | Comments(2)
バンコク出張記2006秋 バンコクの日本食事情
 ラングーンから来ると、やはりバンコクは大都会である。 今日は土曜日。 ビルマの油っこい食事がもとで体調を崩していた妻をホテルに残し、ウィークエンド・マーケットに行く。 終日そこで過ごした後、ホテルに戻ってくると妻の体調もだいぶ良くなっていたので、ビルマ料理に疲弊した胃をいたわるためにも今夜は日本食を食べようということになった。
 あまり遠くに行くのも面倒だったので、これまでは行くことを避けていた、ホテルの対面にある「シャブシ(Shabushi)」に行くことにした。 なぜ避けていたかというと、人づてにその素性を聞き知っていたからである。
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 シャブシは「OISHI」という会社が展開する、その名の通りしゃぶしゃぶと寿司を合体させた無茶苦茶なレストラン。 回転寿司のベルトコンベアーに載せられて回っているのは寿司らしきものとしゃぶしゃぶの具材。 でもって各々のテーブルには直径15cmほどのホットプレートが埋め込まれており、そこに小さな鍋が据えられる。 客は寿司らしきものを食べつつ、好きな具材を鍋に放り込み、一人しゃぶしゃぶを食べるという寸法である。 料金は時間制になっており、1時間15分一本勝負。 時間内の食べ放題飲み放題(お茶、ジュース類のみ)デザート付きでお一人様215バーツ(約650円)である。
 このシャブシ、とにかくタイ人の間では大人気なのである。 ただ、日本人の方が行くことは薦めない。 やや悲しい気持ちになりながら店を後にするのがオチだからである。 タイにはこうした「勘違い日本料理店」が多々あるが、その代表格がこのシャブシといえよう。 やはりしゃぶしゃぶは「MK」、寿司は「元気寿司」にすべきだろう。
 翌日曜日も終日チャトゥチャックで過ごした後、行ったのはこれまたホテルのそばにあるショッピングセンター「ビッグC」にある日本食レストラン「山根」。 ここも今までは敢えてスルーしていた店なのだが、妻の体調が完全復活とまではいかないため、今夜も胃にやさしい日本食にしたのである。 清水の舞台から飛び降りるつもりで入店したのだが、思いのほかマトモな生姜焼き定食なんかが食べれたりして意外に満足した。 値段は安く味もそれなりだが、どの定食にも問答無用でキムチの小鉢がついていること以外、日本食を曲解した要素は感じられず、少なくとも正しい方向性を持った日本食レストランであった。 これなら次回以降も使えそうである。
 日本食といえば、最近バンコク市内に精力的に出店功勢をかけているのが「大戸屋」である。 米や食材のすべてを日本から空輸しているらしく値段も日本より高め。 したがって利用価値も低い。 タイには100円ショップでおなじみのダイソーも進出しているが、こちらでは「60バーツ(約180円)ショップ」になっている。 日本で利用する方が安いものは、出張で来る僕には無意味。 今後もバンコクで大戸屋に行くことはないだろう。
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「シャブシ」についての詳細なエントリーはこちら
【しゃぶしゃぶビュッフェ】 Shabushi by Oishi【Bangkok Jam】
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by theshophouse | 2006-10-07 02:05 | Odyssey | Comments(0)
アフリカ最強国との過酷なテスト
 ガーナ戦。 日本0対1の敗戦。 出張と重なり、代表の中東遠征は見逃していた僕にとって久々のオシム・ジャパンの試合。 まだまだ色々な選手を試している段階のチームを断定的に評価することは難しいが、僕にとっての前の試合であるホームでのイエメン戦から代表が着実に進歩しているとは到底思えない内容だった。
 前半、時差ボケもどこ吹く風、予想に反して飛ばしてきたガーナ。 前からプレスをかけられた日本の急造3バックの球回しはおぼつかないものの、組織的な攻めが皆無の相手にも救われどうにか破綻を逃れた。 ただ、ガーナのプレッシャーを恐れるあまり、バックパスを連発して逆にピンチを招く場面もあり、このままじゃいつかやられるなという雰囲気。 攻めに関してはガーナの最終ラインがかなり高めだったこともあり、何度か裏を取るシーンもあったが相変わらずの決定力不足。
 後半はサイドを崩そうとする意図がみられたガーナ。 左サイドを起点に何度か危ないシーンを迎えるが何とか持ちこたえるも、今度は逆に右サイドを崩され、ゴール前に入れられた速いグラウンダーのクロスにピンポイントで合わされ失点。 詰めの甘さを露呈した。
 その後オシムは次々と選手を投入し、失点後は戦略的というよりも半ば顔見世興行的になってしまったが、これだけ急激に多くの選手(6人)を入れ替えると、約束事もコンビネーションも醸成されていない現状では混乱を招くことの方が多かったのではないだろうか。 ただむしろSの気があるオシムはそのような過酷な状況を敢えて設定することで個々の選手の能力を見極めようとしているフシがある。
 そんな新顔のなかでも僕が注目していたのは川崎の中村憲剛。 ワクワク感ゼロの今回の代表メンバーの中にあって唯一期待できる選手だったが、代表デビューとなった今夜は及第点をあげてもいいだろう。 1点ビハインドの状況で投入されたことを理解し、前へとボールを繋ぐ意識は見てとれた。 また中村よりもゴールへの意識が感じられた長谷部。 今日の山岸や遠藤、鈴木啓太の出来だったら、結果この二人が先発でも良かったとすら思う。
 中村同様代表デビューだった水本。 身体能力に勝る相手に良く対応していた。 久しぶりのディフェンダーらしいディフェンダーである。 層が薄い代表のディフェンス陣のなかで今後貴重な戦力になってもらいたいものである。 無論、川口の安定したプレイも評価に値する。
 毎度の決定力不足のフォワード陣には厳しい評価を下さなければならない。 佐藤寿人はディフェンスし過ぎ。 巻は「利き足は頭」発言を撤回すべき。 我那覇が鋭かったのは眼光だけ。 唯一播戸だけがゴールに向かう迫力があった。 この分野の人材不足にオシムの苦悩は退任するまで続くことだろう。
 現状ではチームとしてというより、やがてオシム・ジャパンの中核となっていくべき原石をいかに発掘するかの方が重要なのかも知れない。 アジア・カップ出場という当面の目標をクリアしながらそれを実行することは簡単ではないが、今後のオシムの手腕に期待したいと思う。
 それにしてもエッシェンはいい選手だった。 さすがにチェルシーでレギュラー張ってるだけのことはある。 あのクラスの選手が一人いるだけで全体の意識が随分違ってくるだろうし、チームの核になっていた。 たいして組織されているとは思えないチームなのに、遠路はるばるやって来て、時差ボケも取れないうちにちゃんと結果を出すあたり、悲しきかな日本代表とは天地の開きがあると実感。
 それにしても代表の応援は相変わらず。 メリハリもなければ威圧感もない。 90分ほぼ歌いっ放しというのもそろそろ見直す時期に来ているのではないだろうか。 こと応援に関して言えば年々劣化の一途を辿っている気がする。 それから中継したT豚S。 わざわざオフサイドカメラを据えてるんだったら微妙なプレイは全部スローで再生しろ。 オフサイドとられたシーンをゴール裏からのカメラでスロー再生するってバカじゃないの? 報道もダメ、ドラマもダメ、スポーツもダメな局にTV局としての存在価値はない。
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by theshophouse | 2006-10-04 22:31 | 蹴球狂の詩 | Comments(0)
ビルマの旅8 シュエダゴン・パゴダ
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              夜のラングーン 左がシュエダゴン・パゴダ

 ラングーン最後の夜、せっかくここにいるのだからラングーン最大のパゴダに参らないわけにはいかないということで、取引先の社長に案内してもらった。
 そこはとにかく巨大なパゴダだった。 昨日も一昨日もその周囲の道をクルマで走りながら眺めてはいたのだが、境内に入ると改めてその異様な大きさを肌で感じる。 やはりここは特別な場所なのだ。
 入口で靴と靴下を脱ぎ、拝観料を支払い、エレベーターに乗る。 パゴダを取り囲む回廊のレベルに達するには延々階段を登るか、エレベーターに乗るしかないのだ。 歴史的なパゴダにエレベーターという取り合わせが少し不思議な感じである。 ところが、こうした不思議な取り合わせはこれだけではなかった。
 パゴダの周囲の回廊にはたくさんの祠があり、その中にいくつもの仏像が安置されている。 仏像のほとんどはビルマ産の白大理石で作られており、顔の部分には彩色が施されている。 同じ仏像ではあるが、タイのそれとはすいぶん趣きが違う。 さらにそれらの仏像にはどれも後光が差しているのだが、それらはどれも色とりどりの発光ダイオードの電飾によるものなのである。
 日本人の感覚からするとキッチュとしか言いようがないこの「電飾後光」なのだが、ビルマの人々はそんなことお構いなしなのである。 しかもこの電飾後光、発光ダイオードの配列にも様々なパターンがあり、光のモーションにも様々なバリエーションがある。 まさに電飾屋の腕の見せどころになっているようなのである。
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       発光ダイオードによる電飾の後光 有難いような有難くないような・・・
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                     大理石の回廊を歩く

 さて、せっかく来たのだから当然お参りしなければならない。 ところが、自分の生年月日が何曜日だったかわからないとお参りはできないという。 ビルマの干支は曜日ごと七つに分かれている。 正確に言うと八つで、水曜日生まれの人のみ午前と午後のどちらに生まれたかでお参りする場所も変わってくるという。 なんでも水曜日は特別な曜日らしい。 いずれにしろ日本人で自分が何曜日に生まれたか知る人は少ないだろう。 これは困ったものだ。
 社長からそんな説明を聞きながら回廊を歩いていると、一人のおじさんが僕らの隣にやってきて聞き耳を立てている。 すると突然おじさんは僕らの会話に加わってきて、懐から百年暦を取り出すではないか。 タイムリーというかオンデマンドというか、世の中うまくできているものである。 百年暦によると、僕の生まれた日は木曜日で、ヨメの生まれた日は水曜日とのこと。 社長に促されておじさんにいくばくかの礼金を払う。 用あるところに仕事あり、である。
 回廊を巡りながら目的の廟を目指す。 水曜日の干支はこの国のシンボルでもある象だ。 象が祀られている廟(午前生まれ)でヨメが、木曜日の干支である大鼠が祀られている廟で僕がそれぞれ参拝。 どうにか無事目的達成である。
 この夜は満月。 ライトアップされたストゥーパも電飾後光の仏像もそれはそれでいいが、月明かりと松明と蝋燭の炎だけで照らされていたであろうかつてのシュエダゴン・パゴダにも来てみたかった。 それはもっと神秘的なものだったに違いない。
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                       満月とストゥーパ
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by theshophouse | 2006-10-01 01:36 | Odyssey | Comments(2)



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