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ビルマの旅8 エピローグ
 今日は夜8時の便でバンコクに発つ。 普通なら昼間にチェックアウトしてホテルに荷物を預けて外出するところだが、無理を承知で夕刻まで部屋を使うことができないか尋ねてみたら、二つ返事でOKだった。 宿泊客が少ないせいもあるが、ホテルの真価とは常にこういうケースでの対応の如何にあると思う。 ゲストの多少の無理は聞き入れてくれるホテル。 ストランドは最後まで僕らの期待を裏切らなかった。
 この日は、ホテルに迎えに来てくれた取引先のスタッフの案内で市内の市場に行くことになっている。 ボージョー・アウンサン・マーケットはラングーン最大の市場。 日用品から土産物まで何でも揃っている。 さすがにバンコクのチャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットには遠く及ばないものの、そこそこの規模ではある。
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ボージョー・アウンサン・マーケット 植民地時代は「スコット・マーケット」と呼ばれていた

b0045944_1234795.jpg 僕はお土産用にビルマの文字がプリントされたTシャツやオピウム・ウェイトを買った。 オピウム・ウェイトは、ゴールデン・トライアングル(タイとビルマとラオスが国境を接するアヘンの産地)の一角を成すこの国ならではのアイテムで、昔アヘン商人たちが「ブツ」を取引する時に、天秤でアヘンの目方を量る際に用いた分銅である。 それゆえ、重さと大きさが異なる9~12個のセットで売られている。 それらは日本の分銅のように円筒形で飾り気のないものではなく、鳥や象や猿、亀や兎など様々な動物のものがあり、実際に使われなくなった今ではアンティークの美術工芸品として売られている。 実は僕、最近これを蒐集しているのである。
b0045944_1382210.jpg また「タナカ(Thanakha)」という、ビルマの女性たちが顔や腕など露出した部分につける粉末状の天然化粧品を買った。 このタナカ、肌の温度を下げるほか、保湿、日焼け止め、殺菌、ニキビ予防などさまざまな効果があり、多くの女性がファウンデーション代わりにつけている。 タナカという名前の木を擦った粉で、これを少量の水と混ぜてペースト状にして頬や鼻筋に塗る。 この塗り方にも各々こだわりがあるようで、美人の塗り方というのもあるらしい。 僕もさっそくつけてみたのだが、つけてしばらくの間は肌がスースーしてとても気持ち良かった。 ただ、男は子供を除いてつけないものらしく、ちょっと恥ずかしい思いをした。
 
 市場を後にし、先ほどホテルで会った輸送会社の女性が教えてくれたラングーンの新名所「さくらタワー」に行くことにした。 さくらタワーにはその名の通り日系企業がテナントとして入り、高層建築が存在しないラングーンにおいて屈指の高さを誇っており、その最上階が展望カフェになっているのである。 これまでもペナン、バンコク、上海と、その都市屈指の眺望スポットを制覇してきた僕らだったが、ここラングーンでまでそのような所に行くとは正直思ってもみなかった。
 果たしてさくらタワーから見たラングーンの眺望はなかなか素晴らしいものだった。 植民地時代に西欧の幾何学的な区画整理が成され、そこだけ碁盤の目のように道が直角に交差するダウンタウン(ストランドもここにある)、ラングーン川を挟んでの都市と田園のコントラスト、点在するパゴダと、その中でやはり別格の存在感を見せるシュエダゴン・パゴダ。 それらの風景は、近未来的カオスを想起させたペナンや霧に霞んだ夜の上海、スケールアウトするほどの高さに震えたバンコクのいずれとも趣きの違う、印象的なものだった。
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さくらタワーよりダウンタウンを望む ラングーン川の対岸は対照的な田園風景が広がる ロータリーの中心に鎮座するのはスーレー・パゴダ
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さくらタワーからのシュエダゴン・パゴダ パゴダの周囲だけは木々に囲まれている

 バンコクへ発つ便の搭乗口。 飾り気のない質素な待合室をどうにか華やかにしたかったのか、レインボーカラーに塗り分けられたプラスチック製の椅子をほの暗い蛍光灯の灯りが照らしている。 窓のすぐ外には僕らが乗るタイ航空機が駐機しているはずなのに、外部の照明が少ないためか、その姿すらまったく見ることができない。
 今回でビルマの旅の話は終わりである。 ただ実際、もっと書きたいことは山ほどある。 一人でバーなんかにはしばらく行ってなかった僕が、ストランドのバーに滞在中毎夜通ったこと。 「ふるさと」という日本料理店のうどんに救われたこと。 スーレー・パゴダで強制的に供物を買わされ、おせっかいな僧侶につきまとわれたこと。
 「書きたい」と思うことが最近あまりなかった。 初めて行った国というのはやはり面白い。 その面白さ、興味深さが「書きたい」という気持ちにさせるのだろうと思う。 例えば僕がいつも行くバンコクは、もうデジャ・ヴばかりで、そこには、面白い、興味深いと思うことが少なくなってきた。 今や僕が年間にバンコクに滞在する時間は、自宅のある東京の次に長い。 そんな場所へ行くことはもはや「旅」ではないのかも知れない。
 旅とは本来、予定調和と対極にあり、偶然の出来事や新しい発見、そして自らの気まぐれな行動などによって構成されるべきものだろう。 今回は仕事だったのでかなり制約されたなかでの数日間ではあったが、かつて20代の自分が、エジプト航空で深夜のバンコクに降り立ち、バックパックひとつでカオサン・ロードのゲストハウスに転がり込んだ時の興奮の残り香を嗅いだようなような、そんな「旅」だった。
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ポストカードを売っていた少女 ホントかどうかは知らないが、自分の稼ぎで母と四人姉妹を助けているのだという 僕よりも英語が達者で早口、とても明るい子だった 「キッザニア」で仕事の真似事して遊んでいる日本の子供はいいご身分だ
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by theshophouse | 2006-09-30 01:34 | Odyssey | Comments(2)
ビルマの旅7 ラングーンの風景・クルマ編
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信号待ちしているクルマを撮ったらほとんど日本のクラッシックカーだった。 サニトラ、パブリカ、コロナ、ブルーバード、チェリー、子供の頃父親が転がしてた懐かしの名車が現役バリバリで今も走っている。 ちょっとしたタイムスリップ気分である。
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マツダ製のジープ。 マツダにジープなんてあったっけ?と思いましたが、これは現地で組み立てているらしく、ディーゼルエンジンを搭載しているという。 マツダ・フリークには涙もんの旧エンブレムが(・∀・)イイ!!  さらに、アラビア数字のナンバープレートしか知らない人間には何かの悪い冗談にしか見えないビルマのナンバープレートがまた泣かせる。
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ビルマバス。 実際そう呼ぶかどうかは知らないが、僕はそう名付けた。 どこかシトロエンHバンを彷彿とさせるフロント部分のデザインが印象的。 後部のオーバーハングもハンパじゃない。 バスの後部デッキには大勢の人がはみ出した状態でバーなどをつかみ辛うじて乗車しているので、その重みでバスが後方にコケるんじゃないかと心配であった。
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ボンネットバス。 ストランド前のバス停で夕方のラッシュアワーに撮影。 乗車料金収受のシステムは不明。 おそらく徴収員が荷台に陣取っているのだろう。 ちょうど反対車線を通り過ぎているのがマツダ製ジープ。
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市内の路線バスの多くは日本のセコハン路線バスだった。 ビルマ政府が国策で日本から買い取ったという。 日本での営業当時のカラーリングはおろか、バス会社名なども放置プレイされたまま走っているので、「立川バス」や「臨港バス」、「神奈川中央交通」や「西東京バス」など多くを目撃した。 写真でわかるように、クルマは右側通行にも関わらず日本のバスを無理やり走らせている関係上、歩道側に乗降口はなく、乗客はいちいちバスの左側に回ってから乗り込んでいる。
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マツダのポーターらしき軽トラ。 とにかくこいつがいっぱい走り回っていて、しかも全部が全部申し合わせたようにこの青色。 もしかして郵便局の集配車か何かなんだろうか?
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ハイラックスのピックアップトラック。 ドアに「自動車用室内芳香剤」の文字。 日本製セコハン車はバスにとどまらず、社用車から一般車に至るまで何でもあり。 「○△製作所」なんて書いてあるトラックの運転席にビルマ美女を見つけ、町工場で工作機械に向かう彼女の姿を思わず想像。 ビルマの人は日本語、あまり気にしていないみたいだった。
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by theshophouse | 2006-09-27 05:55 | Odyssey | Comments(2)
ビルマの旅6 ラングーンの風景・建築編
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ラングーン川沿いにある「AD1914」と建てられた年号が入っているイギリス統治時代の建築。 一番上にあるのは鐘楼か、もしくは灯台の役割を果たしていたのかも知れない。
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日本の帝冠様式にも通じるビルマ様式の建築物。 日本のそれと同じように、西欧の建築様式と技術が流入するなか、そうした方法論のなかでビルマのナショナル・アイデンティティを模索したのだろう。
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今もコロニアル建築が多く残るパンソダン通り。 重厚な西洋建築と、行き交う人々が腰に巻いているビルマ式の腰布「ロンジー」のアンバランスがこの街の魅力のひとつだ。
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スーレー・パゴダ。 このパゴダを中心に周囲の道路はロータリーになっている。 ビルマのすべての道路はこのパゴダを起点としてつくられた。
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旧ラングーン駅舎。 イギリス統治時代のレンガ積みの建物。 隣接する現在の駅舎をよそに廃墟のまま放置されている。
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by theshophouse | 2006-09-25 23:21 | Odyssey | Comments(0)
ビルマの旅5 お宅訪問
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多角形の平面をもつコンサバトリーがそのままエントランスになっていてとても開放的。
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建物の外壁は熱帯特有のツル科の植物に覆われていて周囲の風景に溶け込んでいる。
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裏庭に面した部屋はせり出すように配置され、三方が庭に面している。 シンメトリーにレイアウトされたアームチェアーやコンソール、その均衡をほどよく崩すオブジェやヴェースの佇まい。 オーナーの趣味が色濃く出る空間。

 ラングーン滞在3日目。 今日は知り合いから紹介して貰ったフランス人のクリエイターA氏の家を訪ねた。 もともとビルマ政府のために働いていたこのフランス人男性、今ではビルマ人の妻とともに家具や雑貨のブランドを立ち上げている。 自らデザインし、生産から販売まですべてを自分たちで行う、衣料業界でいう、いわゆるSPAの業態である。 その邸宅はラングーン市内、僕らのホテルからクルマで20分ぐらいの場所にあった。
 果たしてそこは大邸宅であった。 おそらくイギリス統治時代の建物だろう。 彼らの住居兼事務所兼ショールーム兼ゲストハウスであるこの建物は相当広かった。 ゲストルームだけでも5つほどあり、それらの部屋は彼らによって入念にデコレーションされていた。
 ショールームは広く、驚くほどの種類のアイテムが展示されている。 家具からアート、アクセサリーに至るまで、ありとあらゆる素材とデザインに溢れており、正直驚いた。 と言うのも、ラングーン市内にお洒落なショップは皆無で、ここでも上海の二の舞になるのではという不吉な予感があったからだ。 だがそれは杞憂に過ぎなかった。
 それらすべてのアイテムはA氏によってデザインされているという。 顔には多くの皺が刻まれているもののその風貌は若々しく、動きは機敏で精力的だ。 とても60を過ぎた老人には見えない。 昨日パリから帰ったというのに、明日は所用でロスへ行くという。 最新型のMacを前に、何やらデザインワークにいそしんでいる。 そのデザインは、ひとつの傾向や特徴といった見せかけの統一感に収斂していくの拒むが如く変幻自在、縦横無尽である。 デザイナーのはしくれとして、その枯渇することのないアイデアの豊富さには舌を巻く。
 夫人は渉外担当といった感じで、とても気さくな方。 話も早い。 夫人とはお昼をご一緒させていただいたのだが、これまた問答無用のビルマ料理の絨毯爆撃を受け、ヨメの胃袋は炎上寸前。 僕は二回目にして早くも免疫ができているのか歓迎光臨。 ビルマのカレーはタイのものともインドのものとも違う不思議な味。 フィッシュ・カレーだったのだが、味的には鯖の味噌煮に近かった。 昼食を終えてふたたびショールームへ戻る。
 それにしても広い家だ。 邸宅内にはビルマ人のスタッフ、メイド、ガードマンに運転手まで十数人。 犬2匹に猫1匹、インコ1ダースも同居。 実に賑やかな「所帯」である。 周りは鬱蒼とした緑に囲まれ、広すぎる芝生の庭の必需品であるガゼボなんかも当然あったりして、気がつけば出るは溜め息ばかりなり。
 というわけで、こちらの商品も近いうちに僕らの店に並ぶことになりそうである。
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by theshophouse | 2006-09-24 01:57 | Odyssey | Comments(0)
ビルマの旅4 工場視察
 ホテルからクルマで20分ぐらいの場所にある取引先のラタン工場に行く。 僕らはこのメーカーともう10年も付き合っているが、ラングーンの工場に来るのは初めてのことだった。 これまではこのメーカーのヘッドオフィスがあるバンコクでの打ち合わせで事足りていたのである。
 工場は想像していたより広かった。 従業員は全部で100人くらいだろうか。 とりあえずバスケットの製造工程を最初から見せて貰う。 ラタン(籐)は竹のようにいくつもの節をもった植物だが、竹のように中空ではない。 その表面は皮に覆われており、内部は植物の茎のように多孔質の断面を持っている。
 僕らが扱っているラタンバスケットはこの表皮と幹の部分を別のパーツに分け、それぞれ縦糸横糸に使って編んである。 僕らが工場を視察した際にたまたま製造ラインに乗っていたのが犬用ベッドだったので、それを例に製造工程を簡単に紹介しようと思う。
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 まずはラタンの幹を直径3cmほどの丸棒に加工する。 旋盤に荒材を通して直径を均一にする。 これによって節も取り除かれ、表面がスムーズになる。
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 部材単位の長さに切り分けられたラタンの丸棒を真っ直ぐにしたり、必要に応じて曲げたりする。 その仕事柄、上半身の筋肉が発達した曲げ職人のお兄さんが、作業台の上に治具を組み、そこに丸棒を通して、曲げる箇所にガスバーナーの炎を当てながら曲げている。
 通常ブナなどの曲げ木の場合、スチームによって部材を柔らかくしながら曲げるのだが、それだと時間がかかってしまうため、この方法を採用しているという。
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 その隣では犬用ベッドの骨格が組み上げられていた。 やはり曲げた部分にはバーナーの焦げ跡がついているが、内部は炭化しておらず強度的にも問題はない。
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 できあがったフレームにラタンが編みこまれていく。 犬用ベッドの場合、編みこまれる縦糸も横糸も同じラタンの幹で、これを直径3mmの丸棒に加工したものである。 むろん熟練した技術が必要な工程だ。
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 編みあがったベッドの表面をサンドペーパーで整えていく。 塗装前の工程である。 この後、植物性のラッカーで塗装して完成となる。 ちなみにこれが完成品です。
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 仕事の話はあまり面白くないので、これ以降は割愛。 とにかくこの日は終日工場内で汗だくになりながら、更なる品質向上のために職人の皆さんと膝を突き合わせて話をし、ビルマ政府が突然厳格化した輸出のレギュレーションへの対応策を事務所スタッフと話し合ったりしたのだった。
 同日夜はラタンメーカーの社長が経営するビルマ料理のレストランへ招かれて会食。 初体験のビルマ料理だったのだが、隣国のタイ料理とは似て非なるもの。 むしろ方向性としてはインドの方を向いている感じである。 天ぷらや春巻のように、日本人に馴染みの料理もあるにはあるのだが、全体的に味付けが濃い。 甘い辛いではなく濃いという印象。 更に油が盛大に使ってあるので、慣れない胃袋にはこたえる。 ただし僕は持ち前の適応力で難なくクリア。 ヨメにはちょっとハードだったようだ。
 帰り際、社長から明日の夜もここで一緒に食事を、とお誘いを受けた。 社長の経営するレストランだけに、お断りして機嫌を損なわれても困るので快諾。 かくしてビルマ料理の容赦ない責め苦にヨメは明日も耐えなければならないのだった。
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by theshophouse | 2006-09-22 22:21 | Odyssey | Comments(0)
ビルマの旅3 ストランド
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1901年の開業当時、船旅に出るゲストのトランクに付けられたラベル。 裏面にはゲストの名前などを書く欄がある。
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100年前と変わらぬストランドのファサード。 ラングーン川に面した道路沿いに位置する。 夜はライトアップされて趣を異にする。
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1階のメインロビー。 バンコク・オリエンタルのティールームを思わせるコロニアル調デザインのラタンのアームチェアーがなんともいい雰囲気を醸し出している。

 ラングーンでの宿はストランド。 紛れもないビルマでの最高級ホテルだ。 ここより上のクラスのホテルはこの地に存在しない。 どうみても我々の出張には高嶺の花と思われたこのホテルだったが、今回は取引先の計らいで少々安く泊まることができるのだ。 
 ストランドが開業したのは1901年。 シンガポールのラッフルズホテルやペナン島のイースタン&オリエンタルホテル、クラッグホテルを手掛けたことで知られる伝説のホテリアー、サーキーズ兄弟が手がけた。 彼らがオーナーとなったホテルの御多分に漏れず、ストランドにもサマセット・モームなどの作家が長期滞在した。 また当時ビルマに滞在し、のちに「ビルマの日々」を著したイギリスの劇作家ジョージ・オーウェルはストランドのバーをこよなく愛した。
 サーキーズ兄弟はスエズ運河の開通とともに東南アジアに渡ってきたアルメニア人。 彼らがイギリスの海峡植民地に作り上げた美しいホテルの数々はコロニアル・スタイルの到達点を体現したものだ。 今もって、この世の中で僕が最も興味を惹かれる四兄弟。 未だ彼らのことが映画化されていないのが不思議なぐらいである。 近ごろ巷で話題の三兄弟とはえらい違いだ。
 開業して100年以上ともなると、その歴史は濃密だ。 このホテルの黄金時代であった1920年代を経て、1942年には当地に進駐してきた日本軍に接収され、終戦まで「大和ホテル」と改名していたこともあった。 戦後、1961年から1988年までは現在のような社会民主主義とは違い、完全な社会主義がビルマを支配したため、その威光も失われ不遇な時代を迎える。 ビルマ政府の所有物となったストランドは魂を抜かれたモックアップに成り下がった。
 1989年、ビルマ政府は社会主義体制を放棄し、ストランドは売りに出された。 その際アメリカン・エキスプレスのラングーン支店長だったバーナード・ぺウィンがこれを買い取り、後にアマン・リゾートの開発などにも携わる建築家エイドリアン・ゼッカとチームを組んで大がかりなリノベーションを行う「ストランド再生計画」を立案。 ビルマ政府もこれを承認し、プロジェクトは政府の肝入りもあって、半官半民のジョイントベンチャーとして行われたのだった。
 そして1993年、新装なったストランドは華やかにリオープン、現在に至っている。 20世紀の栄華と退廃のすべてが詰まったホテル、それがストランドなのである。
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スーペリア・スイートの客室。 チッペンデール・スタイルのヘッドボードを備えたダブルベッドが二つ。 バスルームですら僕の部屋の2倍はあった。

 客室数は32。 オールスイートである。 僕らの部屋はスーペリア・スイート。 チェックインは部屋のデスクで。 こういうのは久しぶりだ。 部屋は広い。 100㎡ほどだろうか。 天井高は約4メーターほど。 黒いファンが緩やかな風を送っている。 内装はやはりクラッシック。 ビルマ産のチーク材をふんだんに使った落ち着いた雰囲気。 極めてオーソドックスなデザインである。 アマンダリでは地域性に加えてエイジアン・モダンなエッセンスを散りばめたエイドリアン・ゼッカも、ストランドの一世紀に渡る歴史に最大の敬意を払ったのだろう。 そこには過去から現在へ連綿と続いてきた時間の痕跡が見てとれる。
 客室のある2階のロビーにはバトラー(執事)が常駐していて、自分だけのコンシェルジュとして様々なリクエストに応じてくれる。 名前を呼んでのサービスは勿論のこと、部屋の鍵ひとつとっても決して僕らには開けさせてくれない。 必ず先導してドアを開放してくれる。 万事そんな具合だ。
 翌朝、安いにも関わらず朝食まで付いていたので1階のカフェへ。 日常はともかく、旅先では朝からしっかり食べたい派の僕としては非常に嬉しいことである。 そこらじゅうの壁にディスプレイされているティム・ホールの写真がイイ味を出している。 どれもビルマの僧侶や人々をモチーフにしたものばかりだ。
 雨季でローシーズンのせいか、宿泊客はまばら。 おそらく僕らを含めて3、4組ほどではないかと思われる。 ホテル内で他のゲストと顔を合わす機会もほとんどなく、気分的には貸し切り状態である。 このクラスのホテルをこれほど我が物顔で利用できるとはさすがに気分がいい。 東京でのブルーカラーな日常は何処吹く風、何だか自分がとても立派な人間に思えてきた。
 妄想はこのへんにしてそろそろ仕事に行かなければ。 ホテルを一歩出ると、東南アジアの雨季特有のねっとりとした空気がまとわりついてきた。 今日は暑くなりそうだ。
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1階の「ザ・ストランド・カフェ」。 ここで毎朝朝食をとった。 連日ほぼ貸し切り状態であった。
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ある日の朝食。 パンケーキのボリュームは想定外。 とにかく油っこい食べ物が多かったビルマ。 滞在中、ここの朝食にはかなり救われた。

b0045944_1455573.jpg ところで昨夜、一週間前まで滞在していたタイでクーデターが発生した。 バンコクの官庁街は軍部に制圧され、全土は戒厳令下に置かれた。 正直「またか」という気がする。 14年前にも僕が帰国した直後にクーデターがあった。 その際にも最後は国王が出てきて事態を収拾し、多くの血が流れることはなかった。
 今回も無血クーデターである。 東南アジアを西欧列強や日本の帝国主義が席巻した時代においても、タイはうまく立ち回り、東南アジアで唯一植民地になることを逃れている。 もともと交渉やネゴは得意分野だ。
 立憲君主制のタイだが、やはり国王が絶対的な存在である。 今回のクーデターも、タクシン現政権への不満が臨界点に達している現在の国民感情などを敏感に察知した軍部が、いざ事を起こしても国王に言下に否定されることはないだろうとの読みは十分にあったと考えられる。 クーデター発生当時、国連総会に出席するためNYに滞在していたタクシンだが、彼がタイに再入国できるかどうかは微妙な情勢だ。 国王の裁定いかんではそのまま第三国で亡命者としての余生を送る可能性もある。
 戒厳令下ではあるが、軍部が掌握している官庁街に近づかない限り、旅行者も在住者もこれといって心配することはないだろう。 ただ、僕らが現地で買い付けた商品のシッピングがずれ込むのではないかというのが最大の懸念材料である。


THE STRAND
Eastern & Oriental Hotel, Penang (音が出ます)
Raffles Hotel Singapore
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by theshophouse | 2006-09-20 14:19 | Odyssey | Comments(2)
ビルマの旅2 ラングーン
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 ドンムアン空港を離陸して1時間、電力事情が悪いのか、着陸したラングーン国際空港は真っ暗だった。 遠くにかすかに見えるネオンサインが空港ターミナルビルの存在を主張していなければ、機体が漆黒の大平原に不時着したと勘違いしていたかも知れない。
 タラップを降りると、待っていたのは乗り慣れた日本の路線バスだった。 降り際、試しに停車ボタンを押してみたら、「ピンポーン」という平和な音が車内に響き渡った。 笑いを噛み殺しながらターミナルの建物へ。 ずいぶん使い込まれたとはいえさすが日本のバス、電気系統に破綻はないようだ。
 建物に入ったすぐそこがイミグレーションだった。 空調はなく、蒸し暑い外気温そのままだ。 カウンターには軍服の女性が二人いて、ビザを確認してスタンプを押してくれた。 その先に荷物が出てくるコンベアーがあるのだが、待てど暮らせど荷物が出てくる気配がない。 これが社会主義国というものか。 ヨメはロンドン留学時代に民主化前のチェコと東ドイツに行ったことがあるのだが、僕は初めての経験である。 経済効率の不在はサービスの不在と同義のようだ。 結局荷物が出てきたのは駐機後1時間以上が経過してからのことだった。 もはや無事に自分の荷物が届いたことに感謝すべきだろう。
 空港からホテルまではタクシーがあった。 ターミナルの出口にタクシーのカウンターがあり、そこで宿泊先のホテルを告げると料金を提示されてチケットを渡される。 僕らが乗り込んだのは中古の日本車のタクシーだった。
 クルマは日本とは違い右側通行である。 当然クルマも左ハンドルの方が合理的なのだが、走っているのは右ハンドルの中古の日本車ばかり。 なぜだか唯一左ハンドルなのがスズキのワゴンR。 年式も新しい。 隣国のインドに早くから進出し、生産拠点と販売網を持つスズキ。 おそらくインドから持ち込まれたものなのだろう。
 それにしても空港同様道が暗い。 走れど走れど街灯ひとつ点いていない。 大きな交差点を除いて信号すらも点いていない。 そんな真っ暗な道路の真ん中に突然人影が現れる。 そして、実に際どいタイミングでクルマをかわして横断していくのである。 同じ道路の横断でも、このクルマと人の距離感はタイよりもむしろインドのそれに近い。 1メートルと50センチの違いである。
 走ること20分、突然視界にライトアップされた巨大なストゥーパが飛び込んできた。 英語が度を超えてネイティヴなタクシードライバーの兄ちゃんの説明だと、それは「シュエダゴン・パゴダ」というラングーン最大の仏塔であるという。 パゴダは、真っ暗なこの街で、妖しく、そして神々しく光り輝いていた。 その輝きは、空港からの市内までずっと感じていた電力不足が、この仏塔を照らし出すためにすべての電力が優先的に使われているからではないかと思わせるほどであった。
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by theshophouse | 2006-09-19 00:42 | Odyssey | Comments(0)
ビルマの旅1 プロローグ
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 輸入している商品のQC(品質管理)のため、ビルマ(ミャンマー)の元首都ラングーン(ヤンゴン)に行ってきた。 「元首都」というのは、つい最近までこの国の首都であったこの街だが、2005年11月、政府機関が南部のラングーンから中部のピンマナへ突如首都移転を開始したため、現在では「元首都」となったのである。
 そもそも今回現地まで行く必要に迫られたのも、僕らがビルマから輸入している商品の輸出規制が厳しくなり、これまでより更に一ヶ月納期が遅れることになったからである。 輸出に関するレギュレーションが厳しくなったのも、政府の突然の通達によるもので、これといった理由があるわけではない。 メーカーの社長も呆れ顔だ。
 知っての通り、この国を支配しているのは軍事政権である。 民主化のリーダーであるアウンサン・スー・チー女史が自宅軟禁状態に置かれているのは、招かれたメーカーの社長宅のそばだった。
 突然の遷都の理由も民衆にはまったく知らされていない。 市民の間では3つの説がまことしやかに囁かれている。 一つめは占いによるもの。 政府がさる高名な占い師に国の行く末を占ってもらったところ、ラングーンはやがてヴェネツィアのように水没するので、もっと標高の高い地域に首都を移すべきと出たらしい。 二つめはアメリカの攻撃を逃れるため。 アメリカのアフガンやイラクへの侵攻を目の当たりにした軍部が、ゲリラ戦による持久戦に持ち込みやすい内陸部へ戦略的に首都を移したというもの。 事実ビルマは人権問題などを理由にアメリカから経済制裁を受けており、政治的には鋭く対立している。 三つめは、電話や電気、水道などすべてのインフラが古いラングーンを見限って、既に最新のインフラを整えた中部の都市ピンマナへ首都機能をまるごと移転させた方が手っ取り早いというもの。 いずれも荒唐無稽な説に聞こえるが、一つめの説が最も有力だというから二度びっくりである。
 とにかく僕らの商品の納期が一ヶ月遅れることになった。 それも今回だけでなく、今後も恒常的に遅れることになったのである。 つまり、これまで発注から約3ヶ月で入荷していたものが4ヶ月かかることになったのである。 これは僕らにとって一大事である。 それもこれもこの突然の遷都に起因するものらしく、今回の訪緬も、現地の実情を把握するうえでどうしてもラングーンを訪れる必要に迫られてのことであった。
 というわけで、これから数回に渡って、僕が見た初めてのビルマの印象をスケッチしていきたいと思う。
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by theshophouse | 2006-09-16 22:28 | Odyssey | Comments(2)



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by theshophouse
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