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懐かしのオート三輪は今何処へ
 懐かしのオート三輪を見た。 「懐かしの」と、必ず枕詞がつくオート三輪。 子供の頃、いきつけの駄菓子屋の店先にいつも停まっていたオート三輪。 曲がり角でよくコケて、そのたびに大人たちが数人でよっこらしょ、と起こしていたオート三輪。 そしていつの間にか忽然と消えたオート三輪。
 とあるホームセンターの駐車場にそれはあった。 それはまるでピカピカの新車のようだった。 きっとマニアの方が大切に乗っているのだろう。 僕が子供のころ見たオート三輪は、どれも後ろの荷台にダンボール箱や資材を積み、車体は土埃まみれで何だかくたびれていた。 でもきっと同じ色だったと思う。 その頃のトラックには車体のカラー・バリエーションなどなかっただろうから。
 当時は既にトラックも四輪車が主流で、オート三輪はけっこう目立った。 その姿を見るたび、子供心に「ボロいなあ、時代遅れだなあ。」としか思わなかった。 子供ってそんなものである。 新しいものが出ればそっちに興味がいき、古い物はただ蔑むのみ。 ところが人間歳をとるとノスタルジーというものが芽生える。 加えて元気のない今の日本。 すべてが右肩上がりだった昭和、なかでも戦後の昭和30~50年代への憧憬は果てしない。 昨今の昭和ブームは、日本人がやや感傷的になった現われか。
 子供の頃はすごく大きく見えたオート三輪は、僕の背丈よりも小さくなっていた。 それはまるで、小学校の教室の机や椅子が、大人になるとすごく小さく感じられるのと同じように、僕のスケール感を狂わせた。 あの駄菓子屋のおばちゃん、優しかったなあ。 思えば僕がお金と物を交換することを覚えたのはあの駄菓子屋だった。 フェリックス・ガムやクッピーラムネ、死ぬほど食ったなあ。
 僕もやや感傷的になってきた・・・。
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オート三輪の歴史
日本オート三輪友の会
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by theshophouse | 2005-05-31 22:15 | Non Category | Comments(4)
ディープインパクト銀行一日定期預金
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 日率1.1%も配当なし・・・。 単勝なら今どきの銀行よりよっぽど高利回り、確実、元本保証なんだけどなあ。 人間欲張っちゃダメってことなんでしょうか。
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by theshophouse | 2005-05-29 17:02 | モブログ日報 | Comments(0)
落ちるところまで落ちた日本代表/加地さん代表引退試合観戦記
 UAE戦。 日本0対1の敗戦。 無残な結果。 かませ犬に選んだはずのペルーとUAEに返り討ちにあって、あろうことかキリンカップ最下位。 アウェイでのバーレーン戦を想定して守備をベースにカウンターを狙うという戦い方を公言していたジーコだったが、90分のほとんどをマタルとハリルのマタハリ・コンビだけで攻めていたUAEにカウンター気味にやられて失点という皮肉な結果。 日本代表も落ちるところまで落ちた。 個人攻撃は不本意だが、所詮サッカーは個人の集積による集団競技。 僕の見たイケてない選手について言及したい。
 今日は「代表引退の花道を」というジーコの粋なはからいでフル出場した加地さんだったが、相変わらず右サイドで変化に乏しい上下運動を繰り返していた。 ジーコはやはり加地さんが大好きらしい。 老眼のせいか自分の立っているコーチングエリアのすぐそばを走る加地さんがカフーにでも見えるのだろう。 誰かジーコに遠近両用眼鏡を買ってやれ。 少なくともペルー戦はアツによって「狂気の右サイド」となったが、加地さんの復帰でまた「ヌルい右サイド」に戻ってしまった。 今日も目立たないところでミスが目立った加地さんだったが、もしかしたら加地さんとしては最高の出来だったかもしれない。 何せ惜しいクロスを2本も供給したのだから。 いつもの加地さんならとても考えられないことだ。 ただ、裏を返せば加地さんにこれ以上は望めないということ。 代表引退試合でこれだけ最高のプレーができれば未練はないだろう。 これからは瓦斯で頑張って下さい。
 ジーコはメンバーを固定する監督だ。 その弊害は、言うまでもなくサブの選手が代表の試合から遠ざかって試合勘が鈍ってしまうことにある。 今日の坪井がそのいい例だ。 もともと素晴らしい選手だが、今日のゲームでは最後までマークする相手との距離感がつかめていないようだった。 病み上がりの坪井を中澤と比較するのは酷だが、前半からいわゆる軽いプレーが目立ち、逆の意味で危険な香りを漂わせていたのも事実。
 鈴木師匠も完全消失していた。 UAEのDFが思いのほかクリーンにボールを奪うタイプで、他のアジアの国のようにガツガツ体を背後から当ててくるタイプではなかった。 もともとポストプレーが好きでも得意な方でもない。 エリア付近で潰されてFKもらってなんぼ、泥臭いシュートが打ててなんぼの選手である。 今日に限っては師匠にその機会はまったくなかった。 それでもジーコは大好きな師匠に固執してなかなか代えなかった。 他にFWがいなかったっていうのもあるけど、代わって出たのが玉田じゃちょっとバランス悪い。
 小笠原。 代表のユニ着るとどうしてこうもダメなんだろうこの人は。 そんなことじゃいつまでたってもイタリアから時差ボケ抱えて直前合流の中村茸に勝てないよ。 そもそも鹿島好きのジーコじゃなきゃ代表にすら呼ばれてるかどうかもアヤシイんだから、もう少しいいボール蹴ってアピールして下さい。 帰国したばっかりだけど、ルマンの松井大輔を緊急招集すべきだった。 茸のサブは松井の方がいいかも。
 輝いてたのはシンジだけ。 格が違った。 頑張ってたのは大黒様だけ。 大黒様はあれだけ頑張ってたから結果出して欲しかった。 次に先発で使って貰えるのはいつの日か・・・。 得点の匂いはプンプンしているのでバーレーン戦でもぜひ先発で使って欲しいのだが、ジーコがフル出場でノーゴールの選手を次も先発で使うとは考えにくい。
 えっ、バーレーン戦のメンバーに加地さんの名前が? ホペイロとしてでしょ。 でなきゃジーコがついに発狂したんだよ。

 さて、次はいよいよ勝負のバーレーン戦。 酷い試合を2つも続けて見せられましたが、それでも僕は日本代表の最終予選突破には楽観的。 理由はひとつ。 もうこれ以上悪くなりようがないから。 あとは「神様」の強運を信じるのみ。
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by theshophouse | 2005-05-27 23:22 | 蹴球狂の詩 | Comments(2)
ベイの選手たちよ・・・
b0045944_1291233.jpg 5月25日、横浜ベイスターズの選手たちが、選手会ふれあい企画「星に願いを」プロジェクト第1回として、横浜市立本町小学校を訪問した。 メジャーリーグではよくやっているチャリティー・イベントの一環だが、あまりこういう活動をやってこなかった日本のプロ野球チームのなかで、ベイスターズの試みは評価したい。
 しかしである。 ホエールズ時代からの悪しき伝統とでもいうべきか、ベイの選手たちも見事にガラが悪い。 昔の代表格が屋敷で今は三浦といったところか。 思いっきりオシャレ?している三浦は論外としても、他の選手たちは近所のコンビニかパチンコ屋にでも行くような格好である。 イチローがシアトルの小学校を訪問した時はチームジャージを着ていったものだが、ベイの選手たちにはチームからドレス・コードの通達めいたものもなかったようだ。 強いて言えば「自分らしい服で」というお達しがあったのかも知れないが、見てのとおりである。
b0045944_1294275.jpg 別にスーツを着ろとは言わないが、与太者かチンピラみたいな格好で行くぐらいならチーム・ジャージを着るか羽織るかぐらいのことはしてもいいのではないだろうか? 仮にも日本の将来を担う子供たちの前で一席ぶつのである。 子供たちっていうのは何も考えていないようで、実は色々観察しているものである。 僕は教育実習に行ったクチだからそのへんの感覚は少しばかり分かっているつもりだ。
 ベイの選手たちよ、次に小学校を訪問する時はもう少しマトモな格好で行ってくれ。 頼む。
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by theshophouse | 2005-05-27 01:35 | Critique | Comments(6)
幻のF1バンコクGPとビラ王子
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 モナコGPが終わったばかりだが、今から65年以上前にアジアで初の、しかもモナコのような市街地コースでF1の前身である世界的なレースが行われた。 いや、正確にいうと行われるはずだった。 そしてまた、そのスターティング・グリッドにはアジア人初となるタイ人のF1ドライバーがいるはずだった。

b0045944_12553635.jpg 「ビラ王子」ことビラボンセ・バヌテル・バヌバン(写真右)は1914年、ミュージカル「王様と私」で知られるモンクット王の孫として生まれ、13歳のときにイギリス留学し、イートン校からケンブリッジ大学に進学、やがてモータースポーツの世界に足を踏み入れる。 プリンス・ビラはすぐに頭角を現し、1936~38年と3年連続で年間チャンピオンに輝き、ブリティッシュ・レーシング・ドライバーズ・クラブのゴールド・スター賞を受賞するなど大活躍をみせた。 1936年にはモンテカルロでのレーニエ王子杯(現在のモナコGP)にも勝ち、この年にイギリス人女性と結婚している。 現在でいうならさしずめミハエル・シューマッハー並みの活躍である。 このビラ王子と、彼のマネージャーをつとめた従兄弟のチュラ王子は戦前のヨーロッパのグランプリ・ミーティングにおいて常に中心的な存在だった。
 ほどなくバンコクGPの1939年開催が決まり、アーティストとしての才能にも恵まれていたビラ王子は自らバンコクGPのポスター(写真上)をデザインしたのだが、第二次世界大戦の勃発によりバンコクGPは幻のGPとなってしまった。 それでもビラ王子はレースをやめることはなかった。
 1950年5月13日、イギリスのシルバーストーン・サーキットで戦後初めて行われたグランプリは「フォーミュラ・ワン・ワールドチャンピオンシップ」と呼ばれる現在のF1。 マセラッティを駆るビラ王子は5位入賞を果たす。 ビラ王子のF1レーサーとしてのキャリアは1955年まで続き、F1での最高位は1954年のフランスGPでの4位。 名実ともにアジア人最初のF1ドライバーであった。 ビラ王子によるアジア人ドライバーの最高位は、1990年の鈴鹿で、鈴木亜久里が3位入賞するまで破られなかった金字塔である。
 晩年はバンコクに住みながらも、カンヌの港に停泊させた3本マストの大型ヨットをヨーロッパでの生活の拠点としていた。 彼は1985年にロンドンの地下鉄駅構内で心臓発作に見舞われ、その生涯を終えたが、バンコク郊外には彼の名を冠したビラ・インターナショナル・サーキットが今も残る。
 日本人では1976年にコジマ製のマシンでスポット参戦した長谷見昌弘、1987年にロータスからレギュラー参戦した中島 悟が最初のF1ドライバーといえるだろう。 日本以外のアジア人では、2001年にアレックス・ユーンがマレーシア政府の強力なバックアップによりミナルディからF1デビューを果たすが、F1をドライブする水準になく、シーズン途中で解雇された。 2005年、インド人初のF1ドライバーとなり、ジョーダンをドライブするナレイン・カーティケヤンは、非力なマシンに苦しみながらも、そのドライバーとしての速さは十分に感じさせる期待の新鋭だ。 しかし、これまでのアジア人F1ドライバーの誰しもが、ビラ王子が残した記録に追随するのはおろか、誰一人としてポディウムの真ん中に立つことすらできない。
 21世紀の今日、偉大なるプリンス・ビラの系譜を継ぐものは未だに現れていない。
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by theshophouse | 2005-05-25 12:59 | アジア人物伝 | Comments(7)
日本の右サイドはこれでいいのだ!/藤井アナの亡国実況
 ペルー戦。 日本、ロスタイムの失点で0対1の敗戦。 敗因はいつもと同じ「決定力不足」に尽きる。 シュートが枠に飛ばないのに点が取れるはずがない。 よってこの負けは必然である。 しかし、筆者にとってこの試合の結果はあまり意味がない。 先日のエントリーでも申し上げたように、この試合の唯一の意味は、右サイドに入った三浦淳宏の出来のみである。
 果たして三浦の出来は素晴らしかった。 というか、彼の実力からみれば普通の出来だった。 にも関わらず、僕は久々に日本の右サイドにワクワクした。 加地さん先発の時はハラハラさせられるのだからえらい違いだ。 三浦が素晴らしかった点はいくつもある。 加地さんとの差があまりに鮮明だったので、以下に列挙してみた。

1.南米の屈強なDF2人を相手にしてもボールを失わないし、突破してクロスを上げることが
  できる。 
2.突破だけでなく、一旦ボールをキープして左足でもクロスを上げられる。 
3.遠目からでもシュートが打てる(この試合日本の唯一枠に飛んだシュートは三浦のミドル
  シュートだった・・・トホホ)。
4.中に切れ込んでいってMFと絡み、ワンツーなどで抜け出すこともできる。
5.試合中何度も逆サイドのアレックスにサイドチェンジができる視野と余裕、ロングパスの精
  度がある。
6.FKで直接ゴールを狙える(中・長距離は100%任せられる)。
7.守備も無難にこなせる。

 上記のようなプレイで、加地さんに出来るものは何一つない。 事実だからしょうがない。 さすがにこれだけ明確に、克明に、残酷に両者の実力差が明らかになった今、三浦が右サイドのレギュラーとして定着しないことは極めて考えにくいが、これまでのようなジーコによる「加地さんの神格化」を考えると、何が起こるかわからないというのが正直な心境である。 ただ、加地さんがケガから復帰した時、ジーコが当然のように加地さんを右サイドに置いたなら、僕はもうジーコをもう神様とは呼ばない。 その時はジェフのオシムに即刻交代である。
 ともあれ、三浦がフツーに自分の実力を証明してみせたことで、ようやく日本の右サイドに巣食う病巣も除去されそうで一安心。 相変わらずシュートが枠にいかないなど課題は山積みだが、海外組抜きの日本代表が二線級のペルー代表を内容では圧倒した試合だった。 負けたこと自体は残念だが、今夜は久々に枕を高くして眠れそうだ。 極めて情けない負け方にも関わらず、こんな晴れ晴れした気持ちでいられるのも三浦のおかげだ。 ありがとう、アツ!

 話変わって、今日の日テレの実況の藤井アナ。 前からその亡国実況が各方面で指摘されていたが、今日の実況も酷いものだった。 現場で観ているくせに試合の形勢が見えてない。 シュート数でもわかるように試合は終始日本ペースだったにも関わらず、前半早々から「ゆるやかなペルーの攻勢が続いています。」と10回近くコメントしやがった。 その他にも妙にペルーに肩入れした不可解な実況ばかり。 別にペルーに恨みはないが、日本のテレビ局が日本で行われている日本代表の試合を中継しているのだから、多少なりとも日本代表に肩入れした実況であって然るべき。 ところがこの藤井アナ、まるで自らが在日ペルー人になりきったかのような亡国実況に終始。 結局藤井アナが日本代表に肩入れした「公正中立な」実況をしたのは、日本が失点して最後の攻勢に出たロスタイムの1分間だけだった。 2月のA3カップの横浜対浦項戦のドンチャンゴールイムニダ実況(必見)の時同様に、日テレにはさぞかし電凸が相次いだことだろう。 まったくこの局ときたら「実況という名の公害」でしかない船越アナはじめロクな人材がいない。 藤井アナは自分が何様(どこの国籍)か情報公開し、日本人じゃなければ日本代表の実況からは解任されるべきだ。
 横で聞いてる武田も北澤も黙ってないでいいかげん止めろよこのおかしなアナを。

「ホテルでシャワーを浴びる時も『オ~♪テ~ハミング♪オーオー・・』ってつぶやいてる自分がいるのが恐い。」
>ホント、恐いです。
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by theshophouse | 2005-05-22 20:59 | 蹴球狂の詩 | Comments(2)
日本の右サイドはこれでいいのか?第8回
 図らずも、僕が以前のエントリーで書いたような「日本代表の右サイド改善案」が現実のものとなる時が来た。 5月22日に行われるキリンカップのペルー戦で三浦淳宏が右サイドに起用されそうだ。 それにしても、ジーコは今回の合宿にもケガで試合から遠ざかっている加地さんをわざわざ呼んで、別メニューで練習させたりして貴重な一人の代表枠を浪費してしまった。 加地さんなどは別メニューどころか別の人生を歩んでもらったほうが日本のため、また本人のためでもあることは既に日本代表サポの共通認識なのだが、肝心のジーコがそのことにお気づきでないから悲劇だ。
 そもそもこのジーコ様、元来いろんな選手を試すタイプではなく、この点でトルシエとは対照的だ。 もっとも本大会からの出場が決まっていた2002年W杯と状況が違うのは確かで、ある程度早めにメンバーを固定したいという意図は理解できる。 ただそこで、右サイドにサッカーが苦手な選手を固定してしまったところに大きな問題があるのだ。 また今回の合宿はせっかく新戦力を試すチャンスだったのにも関わらず、他の選手をテストする意思がまったくないのは理解に苦しむ。 代表史上最悪の右サイドにバックアップの選手すら用意せず、左のアレックスと右の加地さんのバックアップは、本職は左ながら両方こなせる三浦一人でOKという実に手薄な布陣である。 他のポジションには豪華な控えがいる。 川口には楢崎、宮本には松田、田中には坪井、小野と福西には稲本と遠藤、中村には小笠原、FWについても能力は別として頭数は揃っている。 ただ、右サイドには控えがいないのだ。 これはジーコによる加地さんの神格化が進行中であるということなのだろうか。 もう本当に訳が分からない。 異常だ。 これはとてつもなく異常な状況だ。
 かくなるうえはペルー戦で三浦に大活躍してもらって、一気に加地さんのポジションを奪取してもらうしかない。 日本がドイツに行けるかどうかは、5月22日のペルー戦で、右サイドでの先発起用が予想される三浦淳宏の出来如何にかかっている。 テヘランでのイラン戦のように、左ではアレックスと比較されて力不足が指摘される三浦だが、右なら問題ない。 加地さんと比較されて自分の評価を落とす選手など存在しない。 それだけに、ただただジーコ好みのプレーに終始して好印象を持たれることを第一に頑張って欲しい。 おそらくジーコと加地さんの間には縁故関係か金銭貸借関係が存在するか、もしくは加地さんがジーコの弱みを握っており、それをネタにポジションを強要している可能性が極めて高い。 三浦淳宏にはそんな癒着を打ち破る活躍を期待したい。

 『ジーコ体制下、最多22試合連続先発中だった加地の離脱は確かに痛い。しかし、災い転じて新たな日本の攻撃が形成された。』 加地の離脱は痛くないけど、サンケイスポーツGJ!!
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by theshophouse | 2005-05-20 22:37 | 蹴球狂の詩 | Comments(0)
Thai Festival 2005
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 ヒマこいてたからというわけではないのだが、5月14日と15日の二日間、東京・代々木公園にて行われた「タイ・フェスティバル2005」に行ってきた。 昨年までは「タイ・フード・フェスティバル」の名で行われたこのイベントも今年で6年目。 店をやっていることもあってなかなか時間がとれず、毎年5月の連休明けの週末に開催されるこのイベントに行くのは初めてのことであった。 去年も時間をつくって友人と渋谷で待ち合わせをし、代々木公園に向かう前についつい「ちょっと一杯」とばかりに駅前の焼き鳥屋に寄ってしまったのが運の尽き。 日曜のけだるい午後のひとときは酔いとともに瞬く間に過ぎていき、そのまま渋谷に落ち着いての単なる飲み会となってしまったのであった。
 リベンジの今年、代々木公園に来てみると、そこには東京中のタイ好きと在京のタイ人が全員集合してごった返していた。 タイ・フェスティバル恐るべし。 ありとあらゆるタイ料理の露店、巨大フルーツ市場、タイの有名アーティストのステージ、タイ・ビールのビアガーデン、雑貨や食材の物産展など、とにかく盛りだくさん。 なかには日本の公道を走れるように車検を済ませてあるので購入後「お乗り帰り」可能なトゥクトゥクの展示即売(ちなみに売ってるのはこの会社)なんかもやってたりしてなかなか楽しい。 最近東京でもごくたまーに疾走しているトゥクトゥクを目撃したりするのだが、東京だと何かヘンな感じだ。
 ビールもタイのビールがすべて飲める。 定番のシンハビール、マイナーなクロスタービール、地元ローカル御用達のチャンビール、新勢力のプーケットビールと、いずれも小ボトルが300円均一と良心的な価格設定。 よっていくらでも飲める。 僕はまだ唯一飲んだことがなかったプーケットビールを飲み、タイのビールを完全制覇した。
 というわけで、タイに行かずにタイの雰囲気を十分に味わえるイベント「タイ・フェスティバル」。 来年以降はもっと暑い時期に開催して名前も「タイ・ソンクラン・フェスティバル」と改称していただき、代々木公園一帯は「水かけ祭り地域」に指定、そのエリアに入ってくるものは誰から水をぶっかけられようが怒ったりしちゃダメ、というふうにしてほしい。 もしこの提案が実現されるものなら、僕はクルマをピックアップ・トラックに買い替えます!

※日本でもソンクランやってる愛好会があるようだ。 ちなみに今年は中止とか。
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by theshophouse | 2005-05-15 22:56 | Alternative | Comments(3)
わが家の犬は世界一
 5月11日、新宿東口の武蔵野館に「わが家の犬は世界一」という中国映画を観に行った。 タイトルだけを見ると、空前のペットブームに沸く日本に、ついに中国産ペット映画が上陸か、といった風情だが、その内容はペットを媒介として見る現代の中国社会とその庶民の日常生活のありようが淡々と描かれた小品といった印象であった。
 主人公の家族の母親が、散歩中に未登録の飼い犬カーラを公安に摘発没収され、翌日の夕刻までの18時間以内に驚くほど高額の登録料を払い込んで登録を完了しないと犬が食肉として処分されてしまうというデッドラインが設定された状況で、父親を始めとする家族が「わが家の犬」を取り戻すために奮闘する、というのがストーリーの骨格。 これがハリウッド映画的演出だったとしたら間違いなくノンストップペット奪還ドタバタアクション的なものになっていただろう。
 このように「残り時間」がキーになっている映画であるにも関わらず、この映画には時計が映し出されるシーンが一つもない。 時々画面が暗転して字幕で「あと○時間」と表示されるのみである。 このあたりは悠久の大陸的時間軸が現存する中国ならでは。 あるいは主題はそこにはないのだという作り手の意思表示か。 ハリウッド演出だったらデジタル時計の数字が画面いっぱいにアップされて、観客に常にタイムリミットを意識させ続けるか、或いは「24」のように画面上に残り時間がスーパーインポーズされるかのどちらかだろう。
 残り時間が確実に少なくなっていくなか、主人公の父親は高額な登録料はとても払えないとみるや公安に対して、コネ、裏取引、替え玉、強行突破、ありとあらゆる手を尽くすうち、息子は警察沙汰に巻き込まれ、妻からは愛人の存在を疑われて、一気に家族崩壊の危機に陥る。 むしろ作者の力点が置かれているのはこちらの方か。 果たして家族の、そして愛犬カーラの運命は・・・。

 中国や韓国ではイヌのことを「狗」と書く。 ケモノ偏だ。 彼らにとってケモノは飼うのではなく狩って食うものなのだろう。 だから彼らは猫も食う。 一方日本でイヌは「犬」だ。 「犬」という字意からも「人」に寄り添う存在であることがわかる。 だから日本人は犬を食べない。 食文化の違いと言えばそれまでだが、犬はやはり食うべきではない。

 エンドロールを見終えて外に出ると待合室に30~50代のおねえ~おばちゃんが群れてムンムンしていた。 その時までは気づかなかったのだが、隣のスクリーンではビョン様の映画をやっているらしい。 せっかく単館公開にふさわしい雰囲気の作品を観て余韻に浸ろうとしていたのに、暗がりを一歩出た途端に韓流マンセーのおばちゃんによって、その余韻は一瞬で駆逐されてしまった。 まあ、いかにビョン様がごく一部のおばちゃんたちの間でカルト的な人気を博していたとしても、キャパの大きなスクリーンでは採算が合わないので、わざと小さなスクリーンで公開して毎回立ち見を出して、場外の評判までも煽ろうとする配給元の姑息な魂胆がミエミエだ。 翻って言えば、韓流人気も底が見えてしまい、配給会社もあの手この手を駆使しての動員作戦、まさに見終わったばかりの「わが家の犬は世界一」、主演の葛優(グォ・ヨウ)演じる父親の心境か。 ちなみにこちらは上映開始直前に入ったら、最前列と二列目しか空きがなく、少々大き過ぎるスクリーンを見ることになってしまった。 平日昼間でも少し早めに行った方がいいかも。
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by theshophouse | 2005-05-13 21:17 | Movie | Comments(0)
父の旧友
 昨日法廷画家のKさんとお会いした。 Kさんとは15年ぶりの再会であった。 Kさんの法廷画家歴は長い。 彼が法廷画家として世に出るきっかけになったのがロッキード裁判だ。 彼はすべての公判で被告・田中角栄の表情を追った。 後にその仕事は一冊の本に上梓された。 「ひとつの裁判を通しで描くことは少なくなったよ。 最近では薬害エイズ訴訟の法廷には続けて入っていたけど、安部被告が亡くなられたのでそれも終わり。 僕もそろそろ引退かな。」 彼は法廷画家としてはかなりのベテランである。 何の世界でもそうだが、この世界でも世代交代の時期が訪れているのだろうか。 もっとも彼の法廷でのスケッチは今日でも日本テレビ系列のニュースの中に頻繁に見ることができる。
 誤解を恐れずに言えば、Kさんの描く被告たちの顔は写実的ではない。 うまいだけなら他に代わりの法廷画家が何人もいる。 Kさんの描く被告たちの顔は一様に歪んでいる。 田中角栄も安部英も、良くも悪くも心中に烈火の如き大きなエゴを抱えて生きてきた人間だったと思うが、Kさんの絵は、そんな人間が持つエゴが、のっぺりとした被告たちの表情筋を支える一握りの理性を瓦解させて、一気に外部の空気に抵触する瞬間を逃さない。 だからプライムタイムの各局のニュースを見比べて、各局の法廷画家が同じ法廷を描いたスケッチを見比べると、Kさんの絵だけが突出して歪んだ被告たちの表情を捉えている。
 Kさんの本職はイラストレーターで、法廷画家が本職というわけではない。 ただ、世間一般には法廷画家として通っている。 法廷画家の仕事はひょんなことがきっかけで始めたもので、今でも自分は法廷画家としては技術も何もないと謙遜される。 そんな25歳も年上のKさんと僕の接点は、昨年急死した父だ。 Kさんは若かりし頃、父と同じ広告代理店に勤めていた。 父が生前所用で東京に出てきた時などは、ご自宅に泊めさせてもらったりもしていたようだ。 父の死があまりに急だった(Kさんが父の死を知ったのは父が亡くなってから数週間後のことだった)ので、葬儀にも立ち会えず、そのことが心にずっと引っ掛かっておられたようで、自分と同じ東京に住む息子にわざわざお悔やみを言いに来てくださったのである。
 僕は父の形見分けを口実にまた近々お会いすることを約束し、千歳船橋の駅までKさんを見送った。 別れ際、聞いてみた。 「最近はどの法廷に入っておられるのですか?」 「近頃は単発の仕事ばかりでね。 明日は前橋地裁、群馬のね。 朝行くように言われてるんだけど、何の裁判なのか聞かされてないんだよ。」 「へえー、そんなもんなんですね。」
 改札の向こうに消えていくKさんの後ろ姿を目で追いながら、彼と同じ時代を生きた亡き父を思った。
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by theshophouse | 2005-05-11 09:07 | Non Category | Comments(0)



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