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追悼 野沢尚
b0045944_17573661.jpg 最近、もう既に死んでしまった人の書いた本ばかり読んでいる。 それも自殺した人の。 意図的にそうしたわけではなく、古本屋でたまたま手に取る本が偶然そうした人々のものになってしまうのだ。 三島由紀夫、景山民夫、野沢尚・・・。
 野沢尚の「破線のマリス」、遅ればせながら読んでみた。 たぶんこの本を手に取った理由は、彼が今年自殺したからだ。 脚本家、そしてまた作家として絶頂にあった(少なくとも周囲はそう見ていた)彼の突然の自殺、その理由の一端が彼の著作を読むことでわかるのではないか、と考えたのである。 僕はよくそういう「不純な」動機で本を読む。 悪い癖だ。
b0045944_17582120.jpg 「破線のマリス」は衝撃であった。 いきなりトップスピードに入り、そのテンションを持続させたまま結末まで辿り着いてしまう。 ラストはやや未消化にも思えるが、それはこの作品が、後に続く「砦なき者」の導入部であると解釈すれば納得できるものである。 「呼人」にも圧倒された。 僕は「呼人」こそ野沢氏の最高傑作だと思う。
 彼の生活圏は僕のそれと非常に近かったようだ。 経堂、桜上水、下北沢、桜新町、二子玉川。 物語に出てくる地名はいずれも僕が住み、そして日常通う街である。 彼の得意とするメディア・サスペンスのリアリティーと地名のリアリティー、僕にとっていくぶん意味の異なる二つのリアリティーが彼の作品に惹かれた理由なのかも知れない。
b0045944_17584840.jpg 彼が自殺したのは今年の6月28日、場所は目黒の事務所だった。 親交の深かった人宛てに「夢はまだいっぱいあるけど、失礼します。」という遺書を残し、仕事で使っていたファックスの前には、自分の死後、使い慣れない人間が仕事の後始末に困らないようにと、マニュアルの使用方法のページが開かれたまま置かれていたという。
 結局僕には彼の死の理由はわからない。 そんなこと結局一読者がわかろうはずもない。 ただ、野沢氏が描いてきた、他人に依存できず対人関係も希薄な都会人の孤独は、それ自体が自分の抱える闇なのではなかったのだろうか。 彼もきっと孤独だったのだ。
 合掌。
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by theshophouse | 2004-12-31 18:07 | Books | Comments(0)
大晦日、東京は雪
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2004年も大晦日。最後までいいことなんてひとつもなかったこの年にもようやくおさらばだ。東京は今朝からの雪で交通網が大混乱。僕もクルマの雪おろしに追われた。
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by theshophouse | 2004-12-31 16:52 | モブログ日報 | Comments(2)
金剛地武志
b0045944_13435.jpg 情報の鮮度としてはいまいちですが、今年の8月にフィンランドで行われた世界エアギター選手権に金剛地武志が出場し、第4位の成績を収めたそうである。 金剛地ウォッチャーの僕としては、今日まで情報を察知するのが遅れてしまったことが非常に不覚である。 テレバイダー後、自身の音楽活動やCM出演、「鈴木タイムラー」への出演など、多忙な日々を送っている金剛地だが、本職のギタリストとしての技術をエアギターの分野にまで発展させていたとは知らなかった。 この世界エアギター選手権での一次予選における金剛地のプレイの動画はこちらで観ることができる。
 さらにテレバイダーの続編ともいえるストリーミング放送が来年から始まるという。 この情報も弟からもたらされた。 番組名を「イグザンプラー」といい、現在は試験放送中である。 番組のコンセプトやウェブサイトのデザイン、そしてアンカーの金剛地とすべてがテレバイダーそのまんまと言っていい。 これまで家にUHFアンテナがついていなかった人々や、地方在住でテレバイダーを観れなかった方々には朗報である。 とにかく本放送が待たれるところだ。 試しに試験放送(約20分)を観てはいかが?
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by theshophouse | 2004-12-24 14:59 | Non Category | Comments(0)
下衆ヤバ夫
b0045944_12515436.jpg アンタッチャブルの山崎の面白さに最初に気づいたのは僕ではなく妻だった。 以前「ぷっすま」にゲストででていた山崎のあまりのおかしさに妻は笑いを堪えることができなかった。
 僕も次第に山崎の笑いにハメられていったのだが、リチャードホールで山崎扮する「下衆ヤバ夫」の出現によって、それはさらに決定的なものとなった。 妻は下衆の替え歌に抱腹絶倒している。 僕も同じだ。
 波田陽区の笑いはわからない。 シニカルな変化球より、下品でも直球勝負する山崎の笑いの方が僕には訴求力がある。 それもこれも僕が38歳になってしまったからだろうか。 若い人の笑いには最近どうもついていけない。
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by theshophouse | 2004-12-24 13:03 | Non Category | Comments(0)
松木不要論
b0045944_1315388.jpg 松木安太郎という男がいる。 現役時代は読売クラブで鳴らしたサッカー元日本代表である。 その後ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)の初代監督などをつとめ、現在は主にテレビ朝日でサッカー解説をしている男である。
 今日僕が是非とも異議を申し立てたいのは、この松木安太郎という男が、自ら解説するサッカー中継において毎度毎度繰り広げる独善的大バカ騒ぎ以外の何物でもない。 そしてまた、僕のこの提言はサッカーファンのみならず、多くの日本国民の賛同を得られるものと確信するものである。
 僕は今年のアジアカップ中継のなかで、松木安太郎という男を完全に見限った。 勝利の瞬間、あのセルジオ越後ですら「やったー!勝った!勝った!」と叫んでしまうぐらい日本代表の戦いぶりはスリリングであったが、それを差し引いても松木の昇天ぶりは公共の電波に乗せるには度が過ぎた。
 まず松木のそれは解説などという高尚なものではない。 断じてない。 解説とは読んで字の如く「解りやすく説く」ことであろうが、松木のそれはあくまで「応援及び自己完結型実況」と呼ぶのがふさわしいものである。 まず、監督時代の癖が抜けないのか、とても遠くて聞こえないであろうピッチ上の選手たちへの指示なども多い。 「守れ!」、「決めろ!」、「縦、縦!」など。 そういう叫びも視聴者側に委ねてしかるべきだ。 また、解説らしきことも稀にするようだが、「こういうボールの取られ方は危ないですよ!」、「いいですよっ!」など、見てればわかりそうなことを後追いするのみで、不要である。 このあたりは他の解説者も大同小異なのでまだ許してやってもいいが、松木の場合如何ともし難いのが、その「叫び」の多さである。 「うぁああああああぁっと!」とか、「ひゃあっ!」、「危ないっ!」など、騒々しいことこの上ない。
 目下のところ僕が考える最悪の実況と解説の組み合わせは、「ラウルラウルラウルラウルラウルラウルラウルラウルラウール!」の絶叫で一億総不快の状況を現出した日テレの船越アナと松木である。 この二人のコンビ結成、考えるだけでも嫌な汗が背筋を伝う。 もしこんなことが実現しようものならそれこそ試合どころの騒ぎではない。 単なる親善試合を第三次世界大戦のように伝える彼らの手腕にかかっては、サッカー中継などとても成立しない。
 そこで大胆な提案をさせていただく。 もう日本国民のサッカーを観る目は成熟している。 そもそもサッカー専門の実況や解説の人材が皆無に等しかったこの国である。 であればこの際、実況・戸張捷、解説・青木功のテレ朝ゴルフ中継コンビにサッカーの中継をお願いし、新境地を開拓してもらうというのはどうか? ゴルフ中継においてあれだけ機知に富み、映像にもフィットしたコメントを並べる方々である。 サッカー中継など朝メシ前であろう。 一方の松木にはゴルフトーナメントのラウンド・リポートをやらせるというのはどうか? ご存知のとおりラウンド・リポートはプレイヤーと一緒にコースを回りながらリポートをいれる役目である。 ゴルフという競技の性格上ラウンド・リポーターは小声で喋ることを強いられる。 松木の叫び癖を矯正するにはもはやこの方法しかない。 松木はJリーグでの監督復帰を目論んでいるようだが、彼の監督としての手腕には疑問符がつく。 まあ、同じ芝生の上で働けるのであれば例えそれがゴルフ場でも彼にとっては本望であろう。
 絶対に聞きたくない解説が、そこにはある。
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by theshophouse | 2004-12-19 01:36 | 蹴球狂の詩 | Comments(2)
死の商人
b0045944_2373028.jpg 以前にタイのエルデコを見ていてどうしても気になったアイテムがあった。 それはアンティークの真鍮製の地球儀である。 で、タイに行った時にあちこち駆けずり回って探したのであるが、そうしたなかでこの真鍮の地球儀の出所がどうやらアラブ世界であることがわかってきた。 雑誌の地球儀は大陸や海の名前が英語で記されていたのだが、そうしたものは皆無であり、僕が見つけたすべての地球儀はアラビア語やヘブライ語によるものだったのである。
 それでも外見はほぼ希望通りで食指も動きかけたのだが、それらを見つけた場所というのが例外なくアラブ人経営の店だったから始末が悪い。 気に入ったひとつを指差して値段を聞いてみるとはるかに予算をオーバーしていたので、「高いものなんだね。 僕にはとても買えそうにないよ。」と正直に言うと、アラブ人は「いくらだったら買うんだ?」と言う。 僕は仕方なく先程の提示額の半額を言う。 するとアラブ人は苦笑いし、「その値段じゃとても売れないよ。」と言う。 ここに交渉は決裂、僕は「オーケー、じゃあ。」と退散しかかったが、ここからがアラブ商人の真骨頂である。 立ち去ろうとする僕の足を止めようと小刻みに値段を下げながら一方的にまくしたてる。 完全に向こうのペースだ。
 この時点で僕はもうかなり気分的にスポイルされていて、彼らから何かを買おうという気は100%なくなっている。 多くの人にとってモノを買う行為とは、売り手との間に信頼関係が生まれてこそ成立するものであろう。 個人的な意見ではあるが、アラブ人とのやり取りでこうした信頼関係を成立させることは非常に困難である。 彼らの商売のやり方は、僕から見れば、野蛮で中世的な商法を今に伝える貴重な無形の世界遺産のひとつに認定したいくらいである。
 僕はいよいよ踵を返し、彼らに背を向けて歩き出す。 もう二度と彼らに会うことはないだろう。 背後でアラブ人の叫び声がする。 アラブ商人の最終兵器が炸裂したのだ。 アラブ人は歩み去る僕の背中に向けて、最初の値段の半額以下を「捨て台詞」として投げつけたのだ。 もしこれに反応して「その値段なら買うよ。」と振り向いたら最後、イラク戦争に突入したアメリカと運命を同じくするであろう。 それは終わりなき虚無の回廊を巡るようなものだ。
 彼らとのやり取りの後はいつも心身ともにぐったりして生気を失ってしまう。 僕はそんな彼らを「死の商人」と呼ぶ。 真鍮の地球儀が彼らの手の中にある限り、僕がそれを手にすることもない。 残念ながら。(2004/10/9出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-12-17 23:08 | Asian Affair | Comments(0)
元ミャンマー代表GKとしゃぶしゃぶ
b0045944_3494828.jpg ミャンマーの取引先の方々がイベントのために来日したので、イベント終了の翌日に新宿のしゃぶしゃぶ屋で卓を囲んだ。 社長夫妻以下スタッフ3名での来日であったが、そのなかに前回来日時にも来ていたスタッフの方もいた(写真左端)。 この方、取引先の企業で働きながら、ミャンマーサッカー協会議長も兼任するというどえらい方なのである。
 何でも現役時代はミャンマー代表の正ゴールキーパーであったらしく、曰く「釜本とは何度も戦ったもんさ。」と武勇伝を披露。 AFC(アジアサッカー連盟)の理事も兼任しているそうで、先日のクアラルンプールでの理事会から戻ったばかりだという。 連盟からの支給品とおぼしきAFCのロゴ入りブリーフケースを誇らしげに見せてくれた。 日本の才能あるプレイヤーにもあかるく、「ナカタやナカムラは実にいいプレイヤーだ。」との賛辞を頂戴した。 一方で、僕が「ミャンマーのワールドカップ予選はどうなってるの?」と聞いてみるとにわかに表情は曇り、「ミャンマーは、もうあかん・・・。」と肩を落としてしまった。 かつてのミャンマーは日本を凌駕する強さであったと聞く。 ワールドカップへの道のりは遠く、険しい・・・。(2004/10/6出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-12-17 23:03 | アジア人物伝 | Comments(0)
たま吉参上!
 かつて僕はペットごときに癒されるなんてあり得ないと主張した。 その僕が、癒されている。 ペットによって癒されている。 僕は間違っていた。 いま僕は猛烈に自己批判している。
 セキセイインコのたま吉が我が家にやって来たのは2002年の10月のことであった。 僕らが鳥を飼うのは初めてではない。 1996年の香港で、バードストリートとして知られる旺角(モンコック)を訪れた際に、美しさのあまりに衝動買いした紫檀の鳥かご。 その中国スタイルに最もふさわしい鳥であるメジロのモンちゃんを新宿のデパートで買って来たことがある。 鳥かご先にありきでは本末転倒ではある。 ところがモンちゃんは初心者が飼うには少々気難しい鳥で、なかなか僕らになついてはくれず、部屋の中に放しても逃げ回るばかりで、癒されるどころか逆にストレス発生源となっていた。 それでも僕らは僕らなりに愛情を注いだのであった。
 そんなモンちゃんだったが、ある朝起きると鳥かごのなかで冷たくなっていた。 前夜あまり元気のない様子が気になってはいたが、まさかそんなに突然別れも告げずに旅立ってしまうなんて思ってもみなかった。 僕と妻は悲しみに暮れながら、アパートの前の遊歩道の木の根元にモンちゃんを埋めた。 モンちゃんが眠る遊歩道はちょっとした野鳥の楽園である。 ツグミ、シジュウカラ、セキレイ、時にはメジロですらひょっこり現れる。 その特徴的な泣き声が窓の外から聞こえるたび、僕はモンちゃんを思い出す。 ことルックスに関してだけ言えばメジロは今でも僕の一番のお気に入りだ。 メジロの声が聞こえると、僕は双眼鏡を手に慌ただしく部屋を出てメジロの姿を探す。 スコープの中にメジロを捕らえた時の喜びは筆舌に尽くし難い。 自分で言うのも何だが、間違いなく将来日本野鳥の会の門を叩きそうである。
b0045944_22403616.jpg モンちゃんが逝き、いいこが去ってからの数年は自らの至近にペットを置いて置くこと自体を避けてきたようなところもあった僕らだったが、妻がある日突然「インコを飼う。」と言い出した。 ほどなく妻は新宿のデパートで3,000円の値がつけられて売られていたセキセイインコを買って来た。 知らせを聞いた僕は慌てて近所のホームセンターに赴き、鉄製の大きめの鳥かごを調達したのであった。
 僕らはインコに「たま吉」という名前をつけた。 愛称は「たまちゃん」である。 この名前を聞いてあざらしのたまちゃんを真似たんだなと思う輩は荒川にコンクリートの塊とともに沈められるであろう。 たま吉という名前には実は深い意味があるのだが、それは敢えてここでは申し述べない。 妻によればインコのオスは言葉を喋るそうである。 とはいっても小さな頃はオスメスの区別が非常に難しく、たま吉も「たぶんオスだと思います。」という店員さんの言葉を信じて買ってきたのであった。 たま吉はモンちゃんとは違い、とても人なつっこい鳥であった。 家に来たその日から手に、肩に、そして頭に載った。 いわばこれまでの仲間たちとの寄宿舎生活から、突然やって来た里親に引き取られての孤独な毎日へという生活環境の激変にめげることもなく、僕らが買い与えたエサを食べ、水を飲み、小さく鳴いた。 まだ羽ばたくことを知らないのか、よちよち歩きをしては羽を広げてみせた。
 そんなたま吉だったが、ほどなく飛ぶことを覚え、狭い部屋の中を所狭しと飛び回るようになった。 たま吉にとっては長距離である5メーターの飛行の末、僕の肩に着地したたま吉は、息遣いも荒く全身で呼吸をしている。 大袈裟だが、保護者となった責任が僕の肩に載っている気がした。 小鳥一羽でもこうなのに、もし子供なんてできたら一体どうなるのだろう・・・。 ともあれたま吉との新たな生活が始まり、我が家は少しばかり騒々しくなったのであった。(2004/3/28出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-12-17 22:41 | Iiko et Tama | Comments(0)
星になったいいこ
 いいこの姿を見かけなくなってもう3ヶ月にもなる。 6年にも及ぶいいことのつきあいのなかでもこんなことは初めてだ。 この事実を冷静に捉えるならば、いいこの身に起こったことについて、考え得る結末はわずかしかない。
 一つは、いいこの可愛さにいてもたってもいられなくなった誰かがいいこを自宅へ連れ帰ってしまったということである。 二つめは、かねてから僕が危惧していたように、誰にでもフレンドリーないいこが野良猫を捕獲しにきた保健所の人の甘い誘いに乗ってのこのことついていってしまったというものである。 三つめは長年住み慣れた経堂5丁目31番地界隈での安寧な日常生活に突如嫌気がさし、晩年に及んだ半生をかえりみて「もうひと華咲かせよう」とばかりに新たな生活の地を求めて一人旅立ったのではないかということである。 そして四つめは、年老いた身体が今年の酷暑に耐えられず、ひとり寂しく死に場所を探す最後の旅に出たのではないかということである。
 一つめの可能性は極めて低いということができる。 いいこは御存知のように見かけが立派なわけでもないし、仮に無理やり家に連れていったとしても所詮は野良猫のいいこが長期に渡って室内に置かれることには耐え切れず、すぐに逃げ出してしまうことは目に見えているからである。 しかしながらいきなり遠方に連れていかれたとすればいいこの姿が見えなくなったことの説明はつく。
 二つめに関しては十分な可能性がある。 しかしながら、最近の保健所が野良犬と比べると無害な野良猫を積極的に捕獲・駆除しているとは思えないし、近所の他の野良猫ウシジマ(ホルスタインのような模様をもっていることから僕が個人的にそう呼んでいる)などが以前と変わらずにそこらを徘徊していることを考えるとこの説の信憑性も低くなる。
 三つめは、失踪直前のいいこが、バイクの上、そしてまた時には登り慣れた木の上から、遠くを見つめるような表情で東北東の方向を注視していた姿を僕自身何度も目撃していることからも十分考えられる。 そもそもいいこは他の猫とは少し違ったメンタリティーをもっており、それはちょうど人間でいうヒッピーやエグザイル、バガボンドといった種類の人々がもつのと同種のものではなかったかとも思える。 いいこのことを誰よりもよく知っている僕は、実はこの可能性が一番高いのではないかと思っている。
 四つめの結末は毎日のように僕の心を支配してきたが、無理やり頭の隅っこに追いやってきた。 野良猫の平均寿命といいこの年齢を秤にかければ、この可能性は決して無視できない。 それどころか最も有力な説であると言わざるをえない。 ここ2年ほどのいいこの老け込み方は切実に感じていたし、ここしばらくは以前のような旺盛なまでの食欲も影を潜めていた。 やはりいいこは天に召されたのであろうか。
 いずれにしろいいこは僕らの前から忽然と消えた。 僕らがこの経堂に住みついてから6年の間、ほとんど家猫のように可愛がり、そして愛想をふりまいて僕らの心を和やかにしてくれたいいこはいなくなってしまった。 それは僕らにとって不思議と悲しさを伴わぬ出来事であった。 と思っていたら、今これを書いていると急に悲しくなってきた。 今僕は自分がいいこによって多くのものを与えられていたことに気づいた。 それは人間との関係のなかでは決して得ることのできぬものであった。 いいこは僕らのことをどう思っていたのだろうか。 最後にいいこに会った時、僕はにゃあにゃあなくいいこを尻目に蚤を恐れていいこを振り切り、そそくさと部屋へ駆け上がってしまった。 それがいいこを見た最後になってしまった。 最後の時にいいこに優しくしてあげられなかった僕は、結局いいこにとっては庇護者でもなんでもなかった。 ただ自分勝手にいいこに接していたのに過ぎなかった。
 いいこがいなくなってからもしばらく開け放たれていた隣のにいちゃんのドアも最近は閉められたままである。 僕はいいこがいつもいた場所にいいこの残像を見る。 だがそれが実際に像を結ぶことはない。 別れは突然にやってきた。 さようなら、そしてありがとう! いいこよ! またいつかどこかで僕を見かけたら、いつものように駆け寄ってきておくれ!(2000/8/8出稿を再録)

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                             あとがき

 実生活では6年、ホームページ上では公開当初の1999年3月からの約1年半に及んだいいこの物語は今回をもって終わらせていただきます。 ホームページにいいこのことを書き始めた時から、わりと早い時期にこんな日がやってくるのではないかと思っていました。 それは当時僕らがこの経堂5丁目からの引っ越しを考えていたこと、つまり僕らが別の場所に住むことになっていいこと別れることで、この連載が早々に終わってしまうのではないかということと、いいこがいなくなってしまうことで連載することが不可能になってしまうことの両方の可能性があったからです。
 しかし僕らの引っ越し計画は2年間延長され、ひとまずいいこの物語終了の危機は去りました。 今や僕らの部屋も、引っ越し当時はなかったサンプル商品やパソコンが置かれることですっかり手狭になっており、幾度となく引っ越しを懇願する妻のみならず、僕にとっても引っ越しは避けられぬ情勢となっていました。 結局経済的な理由から引っ越しは更新のたびに見送られ、僕らは経堂5丁目に住み続けることになりました。 しかし何より僕らをこの地に引き止めたものがいいこの存在であったことは疑いようもない事実です。 いいこにそばにいてもらいたい。 いいこの行く末を見守りたい。 そんな気持ちが僕らをここにとどめたのでした。 しかしそれも今思えば単なる人間のエゴに過ぎなかったのかも知れません。 いいこには無関係なことでした。
 結果的にはいいこが僕らの前から姿を消すほうが先でした。 いずれにしても僕らのほうからいいこにさよならを言うことはできなかったでしょう。 いいこもそれを見越して姿を消してくれたのかも知れません。 愛情を注いだ相手にさよならを言うのはつらいことです。
 いいこは今どこにいるのでしょうか。 どこにいてもいいこはいつものようにのほほんと暮らしていることと思います。 僕らはいつか自分たちのために猫を飼い始めるかも知れません。 僕らは猫が大好きだからです。 でも僕らのこれからの人生のなかで、ふたたびいいこのような野良猫と出会い、いいことのような関係を築くことができるとは思えません。 いいこは最後までいいこで、いつのまにか星になってしまいました。 僕らは死ぬまでいいこと過ごした短い日々を忘れることはないでしょう。
 1年半という短い期間ではありましたが、僕がほとんど自己満足の世界で書き綴ったいいこの物語を忍耐強く読んでくださった皆様にお礼申し上げます。 ありがとうございました。
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by theshophouse | 2004-12-17 01:15 | Iiko et Tama | Comments(0)
バンコク最新ホテル事情2004
 久しぶりにタイに行ってきた。 成田を夕刻の便で発ち、深夜にバンコクに着く。 その日はエアポートホテルに宿泊し、翌朝チェンマイへの早朝の便で空港を後にした。 チェンマイの常宿は「チェンマイ・プラザ・ホテル」である。 このホテルに泊まるのはもう3度目である。 このホテルは僕にとっては世界でもベスト3に間違いなく入るホテルである。 まずはその価格、ツインルーム一室朝食付きが約3,600円である。 ふたりで泊まると一人当り1,800円ということになる。 チェンマイならちょっとした高級ゲストハウスでもこのくらい取られたりすることを考えると、この料金は極めて破格と言える。 部屋は値段のわりにはかなり広い。 続いて朝食ビュッフェの充実、例えばお粥だけで4種類もある。 とにかくメニューが豊富なのだ。 元来貧乏性の僕などは、ビュッフェとなるとたちどころに平常心を失うタイプなので、ついつい朝から食べ過ぎてしまって、その後の行動に支障をきたすことも少なくない。 さらには最近なかなか良さそうなスパもできたりして、流行にもそれなりに敏感なのだ。 もしあなたがチェンマイに行かれることがあったら、ぜひこのチェンマイ・プラザ・ホテルをお試しいただきたい。 むろん我々はこれからもチェンマイではここに泊まるつもりである。
 チェンマイで4日を費やした後、バンコクに戻る。 バンコクでは移動がBTS(スカイトレイン)中心になるので、ホテルは駅のそばにあることが必要最低条件である。 僕らにとって、いまだバンコクでは常宿と呼べるものはない。 ドゥシッタニ、スコタイ、メリディアンと泊まってきた僕らだったが、今回はチットロム駅そばの「アノーマ」という少々間の抜けた名前のホテルに落ち着いた。 ここは一室7,000円ぐらいと、僕らの出張時における標準的な料金で、部屋も標準的、朝食も標準的と、あまり特筆すべき材料のない普通のホテルだったが、まずまず快適であった。 行きつけのインターネットカフェが近くにあるのが一番の好材料だったかも知れない。 このネットカフェは寒いくらい冷房が効いているうえに日本語入力ができ、さらに料金も1時間あたり30バーツ(約90円)と格安なので、バンコクに来るたびにいつも利用している。 ウェブカメラ付きのマシンもあるので、インスタントメッセンジャーなどを利用して日本で店番をしてもらっていた弟とリアルタイムでの情報交換、さらに同じく日本で留守番してもらっていたたまちゃんの元気な姿もチェックすることができた。

b0045944_22591150.jpgなじみのネットカフェで
東京で店番中の弟とメッセンジャーで業務連絡 ここはADSLなので応答もクイックだ
 10日間に及んだ今回の出張の最終日はオフ日である。 それまでの日々、我々は40度の酷暑のなか、自分で言うのも何だが本当によく働いたのであった。 で、ほんの少しだけいいホテルに泊まろうということで、日本を発つ直前に雑誌「エスクァイア」でたまたま見た「ザ・メトロポリタン・バンコク」に移動したのであった。 ここは以前YMCAで、部屋にバスタブすらない実に経済的な宿だったのだが、昨年末リノベーションを終え、デザインホテルとして生まれ変わっていた。 ロビーに入るなり、いかにもデザインホテルといったミニマルな空間に包まれる。 所々に配置された中国やタイのアンティークの小物や家具が、ともすれば無機質に流れがちな空間に一定の湿度を与えている。 アンティークの皿や家具、彫刻などのように人の手の痕跡が過剰なまでに封じ込められた存在は、この新しいデザインホテルのように工業的に作られた空間の中でよりそのコントラストを増す。

b0045944_2334544.jpgメトロポリタンにて
ベッドカバーはタイシルク ヘッドボード上の絵はタイの現代画家、ナティー・ウッタリットの作品 ベッドサイドのBOSEのウェーブラジオはとてもイイ音でした
b0045944_2354768.jpgベッドの対面はリビングスペース
造り付けのソファーは意外に快適であった テレビはプラズマではなくフラットテレビ DVDプレーヤー完備
 部屋は思いのほか広かったので驚いた。 60㎡ほどはあるだろうか。 キングサイズのベッドがさほど大きく見えないほどゆったりとした空間。 窓際には造り付けられたソファーとなぜか明朝の椅子のレプリカの組み合わせ。 僕はそれまでこのように造り付けられたソファーというのはあまり好きではなかったのだが、このソファーはなかなか心地いいものであった。 ワークスペースも機能的だ。 パソコンなどの端子もデスク上にあり、簡単に接続できるようになっている。 客室内での無線LANも可能だ。 ミニバーも充実している。 備え付けのグラス類も、ワイングラスからカクテルグラスまで、6種12脚と抜け目ない。 細長いバスルームもうまくレイアウトされている。 全面に貼られたベージュのライムストーン(ありがちではあるが)の色調とテクスチュア、決して嫌いではない。 しかし、このバスルームで一番良かったのは何と言ってもそのバスタブの形状である。 体を沈めて内部の傾斜に背中を預けても、ズルズルと滑って上半身が仰向けになることがない。 これは僕のような浴室読書家にとってはこのうえないことである。 おかげで、持参していたにも関わらずさっぱり読み進まなかったグレアム・グリーンの頁数を稼ぐことができた。 バスローブも上質なものだったが、毛足が長すぎて亜熱帯のバンコクには不向きかも知れない。 少々暑苦しく感じてしまった。

b0045944_237222.jpgデスクの引き出し
色鉛筆やマーカーなどの筆記用具が充実 デザインホテルで何かをデザインするなんて、こっぱずかしくてできません
b0045944_2392976.jpg最近多い、この感じのバスルーム
一見なんてことないこのバスタブが実に良かった
 ホテル内を散策してみる。 フロント横のギャラリーはアンティーク中心の品揃え。 ホテルのモダンさとは対照的だ。 ジャグジーなどの施設もゲストなら無料で利用できる。 プールサイドに設けられたメインダイニング「Cy'an」、やや軽食よりの「Glow」のいずれも、ややシンプル過ぎて若者向けといった趣き。 特に「Glow」の方はもうすぐ四十路に突入しようかという我々二人には少々気恥ずかしいぐらいであった。 一方で「Shambhala」と名付けられたスパはなかなか気持ち良さそうだった。 このメトリポリタンがあるエリアには、他にも高級ホテルが軒を連ねている。 隣は「バニヤンツリー・バンコク」で、その隣は以前宿泊した「スコタイ」である。 二人ともここで夕食をとるのにはやや抵抗があったので、他のホテルも覗いてみることにした。
 バニヤンツリー・バンコクは超高層ホテルである。 ロビーに足を踏み入れると、たちまち花の芳香に鼻腔を満たされた。 そこらじゅうにアロマを漂わせるティーライトの火が焚かれている。 また、蓮の花などを贅沢に使ったディスプレイやアレンジメントは、妻のハートをわしづかみにしてしまったようで、盛んに感嘆詞が口からこぼれる。 どうやら今夜はここで食事することになりそうである。 妻はやはりシンプルよりもゴージャスの方がお好みのようで、「Bai Yun」というヌーベル・チャイニーズのレストランに目をつけたらしい。 続いてスコタイにも行ってみた。 やっぱりここは落ち着く。 できたてのデザインホテルにはない気品、品格というものがある。
 この日は友人の店に行くことになっていたので、スコタイからタクシーに乗り、シーロム・ビレッジのアンティーク屋などを物色しながらBTSでトンロー駅そばにある「Chico」に向かった。 結果、夕食はChicoのふたりと一緒にスクンビットのタイ料理屋に行くことになった。 しかし、食事の後でバニヤンツリーの屋上展望バー「Vertigo」に行くことになり、我々はホテルへクルマで乗りつけ、高速エレベーターに飛び乗ったのであった。
 そこには驚くべき世界が広がっていた。 地上61階の屋上にも関わらず、下界と我々を隔てるのは高さわずか1メートルほどの柵のみである。 ダイヴする気になればいつでも可能だ。 柵の外側にも緩衝地帯はほとんどなく、柵際の席に陣取った我々からは、航空機に高層建造物の存在を知らせる航空障害灯に余裕で手が届いてしまう。 いずれも日本では考えられないシチュエーションである。 その場で撮影した写真ではわかりづらいが、このページの写真を見ていただければ、そのギリギリ感が少しはわかっていただけると思う。 心配された強風だが、この日は運良く無風状態であった。 もっとも強風が吹いたりすると店はクローズになってしまうという。 酔っ払いが灰皿ひとつ放り投げるだけで下の誰かが確実に死ぬ。 本来なら店に入店する前に入念な思想チェックや心理状態の確認が必要だろう。 それにしてもバンコクを完全に一望できる圧倒的な視界は筆舌に尽くしがたい。 その非常な高さも、高揚感が勝って最初は気にならなかったのだが、しばらくすると膝ががたがた震えだしてしまった。 理由はわからないが、人間が決して存在してはならない場所という感覚を覚えた。 こんな場所で楽しそうに食事し酒を飲んで笑っていたら、いずれとんでもないことが起こる。 そんな気にさえさせられる場所だった。

b0045944_23115868.jpgバニヤンツリーの屋上バー「Vertigo」にて
奥で妖しい光を放っているのは航空障害灯 こんなものを至近距離で見るとは思わなかった。 筆者はこの高度でタイ・ウイスキー「メコン」のコーラ割りを飲み、世界で一番高い場所でメコンを飲んだ男となった?
 バンコクにはつい最近地下鉄も開通し、試験運行も始まった。 結局、熊谷組をはじめとする日本の企業連合は穴だけ掘らされて、肝心の車両の入札ではまたしてもドイツのシーメンス社に敗れ去った。 土方仕事だけやらされて、おいしいところはみんな持っていかれた格好だ。 日本企業の国際競争入札での無策はさておき、バンコクはもはや東京よりお洒落かも知れない。 少なくともホテルにおいては。 そんなことを感じさせられた今回の滞在であった。(2004/5/12出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-12-16 23:18 | Odyssey | Comments(4)



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