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テレバイダーよ永遠に!
 寒風吹きすさぶ2002年の大晦日午後9時30分、我々が、付近にはまったく人の気配すらない東京・お台場のテレコムセンタービルの前に突如として現れた大行列の最後尾に並んだのにはもちろん理由があった。 それは、ここ半年の間毎週楽しみに観ていた東京MXテレビの「テレバイダー」という番組(土曜ワイド劇場のタイトルの無意味性と金剛地武志を参照されたし)が、年越しスペシャル番組を視聴者参加の公開生放送で行うことになり、観覧希望のメールを送ったところ見事に当選(ほぼ希望者全員が当選したものと思われる)し、妻と弟を連れだって観に行くことにしたからであった。
 僕とテレバイダーの付き合いは約半年間であった。 ワールドカップを迎えた6月、僕の住むアパートが突如外壁の塗り替え工事を開始し、それに伴って屋上に設置されていた老朽化が著しいTVアンテナを撤去して新しいものに交換したのである。 その際にアンテナにはこれまでなかったUHFアンテナも付き、衛星放送用の巨大なパラボラもついたのである。 こうして僕はそれまで受信することができなかった東京MXテレビを観ることができるようになり、テレバイダーの存在を知ったのであった。 以前にテレバイダーのホームページをひょんなことから見ていた僕は、さっそくテレバイダーのオンエアを観るようになった。
 はっきり言って、このテレバイダー以外の番組は恐ろしくつまらないものばかりで不人気の極致、もはや存続すら危ぶまれている?状況にある東京MXテレビのなかで、それは異色中の異色の番組であった。 まず、1時間の生放送という放送枠のなかで、アンカーの金剛地武志と2人の女性コメンテーターが番組中で喋るコメントは99%台本の「超」棒読みである。 この超棒読みは、予定調和の進行が場数を踏んだ出演者によって自然に行われる現代のテレビ番組の潮流のなかにあっては極めて異質であり、事前に放送作家によって「つくられた」はずの台本の行き先は逆に不透明、何が飛び出すかまったく読めない妙な緊張感に満ちていた。 なかでも番組中の金剛地と2人の女性コメンテーターの喜劇的なカラミは秀逸で、絵コンテそのまんまのコミック的カメラ割りともあいまって番組に独特の風味を与えることに成功していた。 また、番組ホームページのBBSやChatのページとリアルタイムにリンクして放送中のみ書き込みができるシステムは斬新で、生放送中に拾い上げられた視聴者の声はBBS/Chat担当の女の子によって金剛地に伝えられ、それに対する金剛地の生(台本なし)のコメントと通常の台本棒読みのコメントの落差は、この番組の隠れた大きな見どころのひとつであった。
b0045944_1434318.jpgテレバイダーのスタジオ風景(最終回オンエアより)
左から津島亜由子、金剛地武志、寺田椿のレギュラー陣 手前はBBS/Chat担当の3人の女性タレントのうちのひとり、肘井美佳(以上敬称略)
b0045944_145484.jpg金剛地渾身の演技(最終回オンエアより)
本職がミュージシャンとは思えない金剛地武志 どこかのアングラ劇団出身の役者くずれといったほうがピッタリきます
b0045944_1455942.jpg津島さんのブリブリにあきれる金剛地(最終回オンエアより)
番組中で毎週繰り広げられる小ネタのひとつ この漫画的なカメラ割り、このうえなく好きでした
 しかしながら、このように個人的に大好評を博していたテレバイダーではあったが、この年越しスペシャルを最後に放送打ち切りになってしまうという。 放送が打ち切られる理由は定かではないが、お気に入りの番組が終わってしまうというのはつらいものである。 かくなるうえは東京MXテレビがあるお台場のテレコムセンターに勇躍馳せ参じ、この番組の最後に立ち会うことのみがテレバイダー・ファンの僕に与えられた最後の御奉公であるとの認識から、大晦日の一大決心に及んだのである。
 一大決心とは大袈裟なとお思いの方もおられるであろうが、僕は年越しの瞬間を家以外の場所で過ごしたのは過去にたった一度しかないのである。 出不精なのである。 年越しの瞬間は「ゆく年くる年」を観ながら迎えるのが通例なのである。 今年にしても中島みゆきが厳寒の黒部ダムから生中継で歌う「地上の星」かイノキ・ボンバイエの藤田・ミルコ戦でも観ながらぬくぬくと過ごす予定であった。 しかし結果から見れば、今年も視聴率が低調に終わった紅白も、茶番でしかなかった吉田・佐竹戦や対戦相手の実力差があり過ぎたサップ・高山戦、期待していたのにミルコの膝蹴りがよっぽど気持ち良かったのか、単調な下半身へのタックルに終始し、自らの脳天を敵に差し出した藤田のふがいなさ、去年やりきってしまったために今年は明らかにネタ切れで本当にただの猪木祭でしかなかった猪木の登場シーンなど無惨な結果に終わったイノキ・ボンバイエを見る限り僕の選択は正しかったといえる。 僕の知り合いのなかには誰かの家に友達同士集まってみんなで猪木祭を観ながら年を越した人もいたのだが、猪木祭が結果としてそれほど感情移入するソフトとなりえたかどうかははなはだ疑問である。 TBSという、元来格闘技を含めたスポーツイベント全般の伝え方が異常にヘタな局が扱っただけになおさらだ。 もうTBSは世界陸上以外はやらないでいいと個人的には思う。 結局イノキ・ボンバイエにおける実際の試合時間は2時間半の放送枠のうちのわずか20%にも満たず、後に残された多くの時間は、つまらない対戦を無理やり盛り上げるエピソードに終始しただけである。 後で録画を観る限り、個人的にはこの日の裏の裏という位置付けであったはずのテレビ朝日系「ビートたけしの世界はこうしてダマされた?超常現象・解禁ファイル衝撃の第3弾オカルトの逆襲!」のほうがよっぽどイケてた。
 テレバイダーの公開生放送は面白かった。 オンエアされることはなかったが、会場となったアトリウムでは年越しそばや焼そばの出店も登場し、餅つきも行われて正月気分を盛り上げていた。 なかでも放送中ずっと副音声でやっていた「裏番組情報108連発」はテレバイダーの真髄とも言えるものであった。 テレコムセンター1階のアトリウムに集まった延べ842人のコアな参加者の前で坂本アナが一心不乱に読み上げた裏番組情報であったが、その場にいた参加者はリアルタイムで聞くことができなかったのは残念至極。 僕は家に帰って録画したビデオを再生し、裏番組情報108連発をチェックした。 公開生放送のフィナーレを飾ったのは、3人の出演者が参加者の熱気でむせかえるアトリウムに登場しての生ショートコント?だったが、いつもスタジオで繰り広げられる3人の台本通りの痛快な台詞まわしを生で見れたのは感動ものであった。 オンエアが終わった後、出演者がアトリウムに勢揃いし一人一人挨拶をしたのだが、金剛地は「台本ないので」と、喋りにくそうにしていた。 その印象は良くも悪くもテレビで観た金剛地武志そのまんまであった。 彼にはオーラやカリスマ性といったものはない。 しかしながらその不思議な存在感は他に類を見ないものがある。 今彼のことを知る人はそれほど多くはないであろう。 しかし彼はいずれ出るところに出る人材であると僕は強く思うのである。 それにしても金剛地武志36歳、僕と同じ歳とは知らなかった。

b0045944_1473795.jpg生放送終了後、金剛地挨拶(アトリウムにて・著者撮影)
左はBBS/Chat担当の3人の女性タレント 金剛地の後方でカメラを構えるのは、この日アトリウムで「裏番組情報108連発」を見事読み切った坂本知子アナ 裏声のナレーション、好きでした
b0045944_1481735.jpg出演者一同、最後の挨拶(アトリウムにて・著者撮影)
テレバイダーの出演者たちのカーテンコール うううっ、なんで終わっちゃうんだよぉー(T_T)
 こうして、わずか半年間ではあったが僕が愛した番組「テレバイダー」は幕を閉じた。 2003年の正月、どのチャンネルを眺めてみても、安易な企画、質より量で勝負の出演者で構成された見かけ倒しで騒々しい番組の横溢には辟易させられる。 NHK、民放各局が莫大な製作費と豪華な出演者を使ってもろくな番組が作れない昨今、テレバイダーが残した手作り感、台本や裏番組へのアイロニー、メディアミックスという手法、その足跡は決して小さくはない。(2003/1/3出稿を再録)

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by theshophouse | 2004-11-30 14:10 | Critique
京都古寺巡礼・後編
 京都2日目、僕らはホテルのフロントで昨日同様市バスの一日乗車券を手に入れ、バスに乗った。 目的地は竜安寺である。 恥かしながらこの僕は、この日が来るまでこの寺のことを「りゅうあんじ」だとばかり思っていた。 しかしながら事実はさにあらず。 バスの車内アナウンスは告げる。 「次はりょうあんじまえ。」 それは「りょうあんじ」なのである。 無知とはこのことである。 今これを書いている時にも、キーボードで「りょうあんじ」と入力して変換すると、ちゃんと「竜安寺」となる。
 石庭で名高い竜安寺、勅使門を通り方丈前庭を望むと、そこには言い知れぬ静寂と緊張が満ちていた。 圧倒的だった。 庭を取り囲む塀の土壁には山水画のような模様が浮かび、石庭を海とするなら、そのはるか向こうでぼんやりとかすむ対岸の風景のように見える。 製作時に、年月とともにそれが土の表面にしみ出してきて模様となることを想定し、材料の土に油を混ぜて練ったと伝え聞く。 偉大な先人たちが思いを込めたこの場所は、古典的な枯山水の庭でありながら今も紛れもない前衛である。 僕は1秒でも長くこの場にいたいという思いを抑えることができなかった。

b0045944_12352465.jpg竜安寺方丈前庭
圧倒的であった
 興奮に後ろ髪を引かれながら勅使門を出て、境内を散策する。 すると突然視界に白いパゴダ(仏塔)が飛び込んできた。 これまでもタイなどで幾度となく目にしてきた尖塔状のパゴダである。 「何でここに?」 近づくとそこには大戦中ビルマ(ミャンマー)の地で亡くなった日本兵が祀られていた。 終戦後当地から無事復員したこの寺の住職が、かつて苦難をともにした英霊たちのために建てたものであるという。 僕らは合掌し、さらに進んでいった。 すると「ゆどうふ」の看板が現れた。 湯豆腐は竜安寺の名物であるらしい。 どうせどこかで昼食を取るつもりだったので、この離れで湯豆腐をいただくことにした。 通されたお座敷からは手入れの行き届いた庭園が見通せる。 湯豆腐は、味は普通だったが量の多さに驚いた。 いずれにしても、ロケーションがすべての湯豆腐やさんであった。 この他、夏ともなれば睡蓮が咲き誇る鏡容池など、竜安寺は思いのほか見どころの多い寺であった。
 次に訪れたのは竜安寺の近くの仁和寺である。 世界遺産にも登録されている仁和寺は、888年に宇多天皇によって建立されたというのだから既に1,100年以上の歴史がある。 それ以来、明治維新に至るまで皇子皇孫が門跡となり、御室御所としての歴史を重ねてきた格調高い寺なのであった。 左右に金剛力士像が佇む二王門、五重塔、金堂、茶室である飛濤亭と遼廓亭など国宝や重要文化財のオンパレードである。 僕らは入口でお茶券を買い、黒書院の中のお茶席で抹茶と菓子をいただいた。 妻はこの仁和寺が一番気に入っていたようであった。 僕の目を引いたのは、見る者を威圧する二王門の金剛力士像で、その力感溢れるフォルムの一方、足の甲に浮き上がった血管までが見事に表現されていることに驚いた。 神は細部に宿るとはこのことか。

跳ね上げ式の雨戸はそのまま庇になる
 みたびバスに乗り、金閣(鹿苑寺)に向かった。 金閣は修学旅行時の記憶では、表面の金箔も金ピカで、ところどころ剥がれたり傷んだりしていたが、1987年に行われた大規模な改修工事によって美しく蘇っていた。 大量の金箔が用いられているにも関わらず、その表面は光沢を抑えた上品な仕上がりになっており、とてもシックな印象を受けたのである。 銀閣が二層構造なのに対してこちらは三層構造で、三層目は銀閣同様に中国風の禅宗仏殿造なのであった。
 夕佳亭(せっかてい)は数寄屋造の茶室で、有名な「南天の床柱」がある。 しかし何よりも僕の目を引いたのは入口土間にある竈(かまど)で、土を固めた表面に割れた鬼瓦などが無造作に、しかし計算高く配置されていた。 これらの瓦は羅生門のものとされる。 当時から存在するものであるとしたら、いにしえの茶人たちの美意識にはまったく驚かされる。 そのまま順路を進んでいくと、茶所や売店があるエリアがあり、一休さんのお守りなんかも売っていた。 ここ金閣寺は一休禅師ともゆかりの深い寺である。 拝観できる時間が昼間に限られるので仕方がないが、できれば金閣寺は夜間にライトアップされた姿も見てみたいと思った。

b0045944_1253251.jpg金閣
シックになっていた
b0045944_12543919.jpg金閣寺
夕佳亭の竈はとてもポップな印象
 古都には早くも陽が落ちてきた。 結果的に今回の古寺巡礼は、銀閣寺(東山慈照寺)、竜安寺、仁和寺、金閣寺(鹿苑寺)の四寺に行くのみで終わってしまった。 冬期は拝観時間が特に短いので、本気で観て回るなら早朝から動き始めない限り数をこなせないことがわかった。 そこで、かねてから妻がどうしても行ってみたいと所望していた錦市場に行くことにした。 錦市場は「京の台所」と呼ばれる商店街である。 その長さは寺町通りから高倉通りまでを東西に貫通する約500メートルに及び、安土桃山の時代から現代まで続くというとてつもない歴史を誇る。 市場や商店街というのはどこでもそうだが、その町特有の食材や惣菜、山海の珍味などが目にも楽しく、旅人にとっては心浮き立つ場所である。 僕の故郷博多にも柳橋連合市場という地元民で賑わう商店街があるが、錦市場はさすが古都らしく上品で、なかでも日頃調理前の状態ではなかなかお目にかかれない京野菜などは当然のことながら量・種類ともに豊富で思わず見入ってしまう。 お惣菜の魚の煮付けや漬け物、練り物の類いは旅の媚薬のせいかやっぱりどことなく京風でおいしそうに見える。 もしこの近くに住んでいたら、毎日ごはんだけ炊いて、おかずは錦市場で買って帰っておばんざいというのも悪くない。

b0045944_12562846.jpg京の台所 錦市場にて
 修学旅行の京都の思い出はというと・・・。 正直言ってあまり覚えていない。 はっきり覚えているのは、仲間と一緒に歩いている時、通りすがりの武士の格好をしたおじさん(※)が、突然大根を空高く放り上げ、落ちてきたそれを持っていた日本刀で空中でまっぷたつに切るパフォーマンスを披露してくれたことだった。 しかし彼はいったい何者だったのだろう。 僕と同世代の方で、修学旅行で京都に行かれたなら御存知の方もきっといるであろう。 とにかく京都の印象は薄く、僕の修学旅行の一番の思い出は、同じく初めて行った東京は原宿のクリームソーダでサングラスを買ったことと、晴海のホテル浦島の客室でユニットバスを初めて見た時の衝撃などであった。 京都はガキの時分には高尚すぎてもったいない。 だから中高の修学旅行なんてのはディズニーランドとかUSJなんかで統一して、京都は30歳くらいになった時に自主的に行ってみるのが理想だと思う。 今回僕らが体験できた京都はほんの一部だったが、そのことが更に京都への関心を高めることとなった。 古寺巡礼の旅は今まさに始まったばかりなのだ。(2004/1/24出稿を再録)

※この方はジョー岡田さんというサムライ観光ガイドの方であることが判明しました。(2005/6/10追記)
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by theshophouse | 2004-11-30 13:01 | Odyssey
ティップ(1992)
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 これもタイ人の友達ティップとアユタヤを旅した時の写真です。 パゴダのうえで休んでいると一羽の蝶が何処からともなく飛んで来て、彼の前にとまりました。 その蝶にいつくしむような視線を向けていたティップの表情は今も忘れられません。
 アユタヤへはバンコクのノーザン・バスターミナルから向かいました。 車内はカーステレオからタイの演歌みたいな曲が大音量でガンガンかかっていて、そのうえエア・コンディションが効き過ぎて北極状態。 うるささと寒さに震えながら2時間、アユタヤのバスターミナル周辺は古都というより単なる田舎町の雰囲気でした。
 ターミナルそばのゲストハウスはどこも満室で、そのうえタイ人は泊まることができないので、僕らは仕方なくラヴホテルに泊まりました。 ベッドのうえにピンク色の裸電球がひとつついているだけの粗末な部屋は、それでも僕らには心地よいものでした。
 ティップとはバンコクの王宮のそばのサナムルアンという広場で知り合いました。 ティップは愛称で、自分がいつも吸っている煙草「クーロンティップ」にちなんだもの、本名はニコムです。 彼はタイの北部のチェンライ県の出身で、チェンライはかの悪名高きゴールデン・トライアングルに隣接している地域でもあります。 ティップも一時期アヘン中毒になり、つらい時期を過ごしたこともあったようです。 タイの農村部の若者の多くがそうするように、ティップも首都バンコクへ仕事を求めてやって来たのでした。
 ティップは優しく澄んだ目をした男でした。 僕と共有したわずかな時間だけで彼を語るのは難しいことですが、その目のとおり優しく、そして多くの若者がそうであるように悩みを持ち、自分自身のなかに何らかの矛盾を抱えながらも毎日を楽しく生きている、そんなやつでした。
 いま彼がどこにいるかはわかりません。 バンコクへ行くたびに、どこかでティップの影を探している自分がいます。
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by theshophouse | 2004-11-30 00:30 | Photographs
京都古寺巡礼・前編
 年明け早々に妻と京都に行くことになったのは、本意ではなかった。 昨年11月、妻が母君と一緒に行く予定だった京都旅行。 しかしそれは母君が出発当日になって突如訴えた体調不良によってドタキャンとなり、手元には払い戻されず期限のみ延長され2月までなら使える新幹線の回数券が残された。 母君はすっかり健康面での自信を失い、後日娘と改めて旅程を組んでやり直すことはしないと言う。 もし2月までに誰かが京都に行かなければ、或いはチケット屋で換金するかしなければそれは、ただの紙屑になってしまう。 そして僕らは前者を選んだのであった。
 僕にとっては2002年の初夏、静岡へワールドカップの準々決勝を見に行った時に乗って以来の新幹線は、初めての「のぞみ」であった。 のぞみは快適である。 あまりに快適すぎて情緒には欠ける。 移動、とりわけ列車での移動は、ある速度以上に達すると「輸送されている」としか知覚できなくなってしまうような気がする。 いくら早いといってもヨーロッパのインターシティーぐらいの速度、通過する駅の名前が読めるとか、ときおり並走する道路のクルマと競争になったりするような速度が旅人の身には心地よい。 従って250km以上の速度をキープし続ける勤勉な我が国の新幹線は、いにしえの旅人には似合わない。 そのような情緒を求めるのであれば、やはり今でも寝台夜行列車に乗るべきであろう。 そんなことを考えていると、もう京都である。 いやはや。
 京都へ来たのはこれが2回目、なんと高校の修学旅行以来という僕である。 今回の旅行も所詮は母君の代役というわけであるから、自発的にはまだ一度も来ていない、とも言える。 それでも日本人やってもう37年になる。 もし東京で外国人観光客に「これから京都に行こうと思うんだけど、何処かお薦めのスポットを教えてくれる?」なんてことを聞かれたら、僕は迷わずに「法隆寺」と答えていたであろうほど自国の伝統文化には無知無頓着な部分がある。 今回突発的に決まったこの京都旅行で、そのあたりの必要最低限の知識を補完し、有事に備えなけれればならない。

b0045944_093145.jpg京都市交通局発行「市バス専用一日乗車券カード」
古寺巡礼の強い味方
b0045944_0101861.jpgPeNTOLAのファサード
内部は築70年の町家を改装してある 前菜+パスタ+パン+コーヒーのランチは1,000円とリーズナブル
 醜悪なデザインの京都駅の地下で、僕らは市バスの一日乗車券を500円で購入した。 後々になって確信を得たのだが、京都でいろいろな寺や町を観て回るのであれば、この市バス一日乗車券がもっともコストパフォーマンスに優れたアイテムである。 そのあたりを到着するや否や一瞬で見抜いた僕なのであったが、こういうことに嗅覚が働くのは数少ない僕の長所である。 さっそくバスに乗り込みホテルへ向かう。 京都駅前のバスターミナルは日本全国から吸い寄せられるように集まった有象無象でごった返している。 そしてまた、僕らもその一員となったのであった。
 ホテルに荷物を置き、まずは腹ごしらえとばかりに向かったのは麩屋町三条。 ところが妻ときたら「よーじや」を見つけ、気の早いことに友人へのお土産の物色を開始。 手持ち無沙汰の僕は周囲をロケハンしてランチに適当な店を検索。 すぐそばに、古い町家を改装したなかなかの雰囲気のイタリアン・レストランがあったので、買い物を終えた妻と入ることにした。 店の名前は「PeNTOLA(ペントラ)」。 バールになっている1階部分を通り抜けて通された2階の席は、モダンなたたずまいで、アンティークパインのフローリング、イタリアのスタッコで仕上げられた壁面だけを見ると一見普通のイタリア料理店のようだが、剥き出しの天井の大梁が、そして隣の席の着物姿の女性が操る「はんなりとした」言葉の響きが、ここが京都であり、町家の中であることを再認識させる。 前菜とパスタだけの簡単なランチだったが、とてもおいしく、そしてまたパスタは非常に熱々で、おそらくは皿まで温めて出しているのであろうその気配りがすべてを表すように良い店であった。

b0045944_0125668.jpg銀閣寺垣
石垣、竹垣、椿の生け垣の3段構成になっている 圧巻!
b0045944_0131866.jpg銀閣
僕も妻も修学旅行以来2度目の訪問である 拝観順路の途中にある、この地に自生する苔の展示がユーモラスであった
 空腹を満たした僕らが最初に向かったのは銀閣寺(東山慈照寺)であった。 銀閣は室町幕府八代将軍足利義政が、祖父にあたる三代将軍義満が建てさせた金閣(鹿苑寺)にならって建立したもので、そこには義政を中心に形成された東山文化と禅宗文化の融合を見ることができる。 僕は以前からただただ金ピカの金閣よりも銀閣の方がシックで、造りもどことなく異国情緒あふれる銀閣の方に軍配を上げていたのだが、銀閣は一階部分が書院造の純和風であるのに対し、二階部分は唐様仏殿すなわち中国風であることを恥ずかしながら齢三十七にして初めて知ったのである。 それにしてもこの慈照寺の庭園すべてを埋め尽くす苔はその質・量・種類ともに圧倒的である。 総門から中門に至る参道の両側にそびえる長さ約50メートルの生け垣には、東洋の静謐な幾何学と西洋的なスケール感が同居する。 いずれも手入れの大変さが忍ばれるが、このあたりは禅宗の寺の面目躍如といったところであろうか。
 時計を見ると時刻はすでに午後4時半である。 京都の寺はそのほとんどが5時で門を閉ざしてしまうので、今日のうちに次の寺を観に行く時間的余裕は既にない。 哲学の道を散策した後、僕らはふたたびバスに乗り、祇園に向かった。 八坂神社に御参りし、花見小路を歩いてみたが、既にお座敷に入ってしまったのか舞妓さんにはついぞ会うことはなかった。 そのまま鴨川を渡り、鴨川沿いの小洒落た店で夕食を取ることにした。 理想的には「床(ゆか)」と呼ばれる鴨川にせり出した大きな縁側みたいな客席がある店が良かったのだが、この時期の納涼床は寒いというか使えない。 というわけで、鴨川の小さな支流沿いの葱料理店「平吉」に入ることにした。 当然ではあるのだが、ここは本当に葱料理の専門店であった。 京都九条葱や下仁田葱の黒焼きは、単に葱を焦げ目がつくぐらい炭で焼いただけの超シンプルもので、それに塩をふったり味噌をつけて食べたりするのだが、口の中で溶けてなくなってしまうその食感に驚かされた。 窓の外を流れる鴨川の支流のせせらぎに耳を傾けながらの日本酒は種類も豊富、なかなかいい店だったが、後で調べたら「際グループ」の手によるチェーン店だったので少々がっかりした。 僕は外食チェーンは嫌いなのだ。 どうも最近のチェーン店は、ロケーションといい、店のつくりといい、店員のオペレーションといい、巧妙になってきた。 心してかからねばならない。

b0045944_0153359.jpgザ・リバー・オリエンタル
その前身は鴨川沿いの古い料亭旅館「鮒鶴」 築70年の建物は美術的な価値も高い
 京都初日の最後は鴨川沿いのレストラン、「THE RIVER ORIENTAL」に行った。 ラウンジは暗く、大きなソファーに体を沈めると、目の前に満月の月明かりでほのかに照らされた鴨川の姿が広がった。 隣の席では若い男が同じく若い芸奴さんとヴーヴクリコを差しつ差されつしっぽりやっていた。 京都ならではの風景だが、この男携帯で誰かと話している内容がついつい耳に届く。 「いま「たん熊」からリバーオリエンタルに○○ちゃんと来てんねんけどなあ。 (店員さんに)あー、ヴークリもっと持ってきといて。」 電話を切った男はやおら芸奴さんに向き直り、「芸奴さんていうのは着物来てるときはええけど、私服の時がいまいちパっとせん。 ○○ちゃんにもプライベートな時でももっと輝いていて欲しいねん。 俺なあ、○○ちゃんになあ、ティファニーの何かをな、そこらへんのじゃなくてニューヨークの5番街の本店で買ってあげたいと思うてる。」
 嗚呼、京都の夜は更けていく。(後編へ続く)(2004/1/20出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-11-30 00:22 | Odyssey
Stupid Hotel
 うちの妻が母君と新しくオープンした○○○○○ホテルに泊まってきた。 というのもこのホテルのインテリアをデザインしたデザイナーが我々の店を訪れ、スイートルームに置く家具の候補として私達の店の家具を検討していたからである。 結局その家具は採用には至らなかったが、その仕上がりは東京には未だ少ないいわゆるデザイン・ホテルであると聞き、見学がてらに宿泊しようと思ったからである。 しかしながら、楽しいはずの滞在を終え帰宅した妻は怒り心頭に発していた。 それは次のような出来事によるものだった。 妻の怒りの一日を再現する。
 妻が予約したのはもともとは一泊70,000円のスーペリアルームがオープン記念価格で59,000円となっていた部屋であった。 妻は受付でチェックインの際「支払いは現金でお願いします。」と言うと、係りの国籍不詳のアジア人に片言の日本語で「デポジット(前金)をいただきます。」と告げられた。 妻は予約時にクレジットカードの番号なども伝えていたにも関わらずである。 これだけでもはなはだ失礼な対応と言わざるをえない。 係りの人間は、せいぜい部屋代の50%ほどを払うのかなあと思っていた妻に対し、いきなり何の明細書も見せずに「88,000円頂戴いたします。」というのである! 何ということであろうか!? 妻が「59,000円の部屋ですよね?」と疑念に満ち溢れた問いかけをすると、係りの人間は「部屋代とサービス料と消費税とホテル税(東京都が最近導入した外形標準課税)の合計です。」と事も無げに言うではないか。 その後聞き取れないぐらい小声で「余った分はチェックアウトの際に返金します。」と言うのである。 しかしいくら何でもサービス料と消費税とホテル税ぐらいで59,000円の部屋が88,000円になるはずがない。 妻は何がどうなっているのかも分からないまま、言われた額を用意しながら必死に考えを巡らせた。
 後日、以前ホテルで働いていた友人にこの話をしてみると、彼女曰く、まず第一に宿泊客からデポジットを貰うのは予約なしに飛び込みでやって来た客に限られるという。 極端なケースだが、戦時下のホテルなどでも同様の扱いになるであろう。 そして、そこで要求する額はせいぜい貰っても部屋代までで、サービス料などは含まれないのが原則だそうである。 考えてみれば当たり前である。 まだサービスしてもらってもいないのに、その金額をあらかじめ支払わされるなんて馬鹿な話は聞いたことがない。 彼女によれば、この88,000円はオープン記念価格で割り引かれていない通常の部屋代をベースに算出してあるのではないかということであった。 しかし当時そのような説明は係りの人間から一言もなかったのである。
 チェックイン時にこのように非人道的な扱いを受けたため、滞在を楽しみにしていた妻の心は果てしなく曇った。 しかし驚くべきことにこの天下の○○○○○ホテルはまだ次の罠を用意していたのである。 驚天動地のチェックインを済ませ、なかば放心状態の妻に母君が声を掛けた。 「向こうでお茶はいかがですか?って言ってるわよ。」 そうだ。 いかにオープン記念価格とはいえ59,000円も払うのだ。 ウェルカムドリンクを飲まないわけにはいかない。 二人はラウンジでお茶を飲んだ。 しかしほどなくウェイトレスがやって来てふたりのテーブルの上に明細を置くのである。
 妻ほどではないが僕もそこそこ高級なホテルに泊まったことがある。 バリ島のアマンダリアマンキラ、バンコクのスコタイ、そしてマウイ島のハナ・マウイ。 値段は高いがそのホスピタリティーは価格に十分見合うものであった。 出張時に使う一泊5,000円クラスのホテルも含め、少なくとも僕は自らすすめた飲み物の代金を客に払わせるホテルを他に知らない。 なかでもアマンダリとアマンキラはチェックイン時にはわざわざホテルの支配人がゲストに挨拶しにフロントに出てくるようなホテルでありながら部屋代は600ドルほどで、○○○○○ホテルとほぼ同等なのである。 外国からのゲストはともかく、英語が喋れるからといってリクルートしたに違いない国籍不詳のアジア人に片言の日本語で日本人のゲストを応対させないでもらいたいものだ。 アジア人を蔑視する気など毛頭ない。 自分もアジア人であると思っている。 しかしここは日本の首都東京のど真ん中である。 まさに都市の、そして一国の品性が問われる場所にこのホテルは位置しているのである。 決して近所のエスニック料理屋ではないのだ。 その事をホテル側は再認識すべきだ。 結局妻たちは飲みたくもないお茶に2,500円も払わされた。
 部屋に着く頃には内心完全にキレかかっていた二人だったが、無論楽しむための今夜の滞在である。 自分たちの気持ちをどうにかおさめて部屋に入ると、そこでも二人を更にキレさせる次のトラップが仕掛けられていた。 それはボウルに盛られた、もとい置かれたウェルカムフルーツであった。 そこに鎮座していたのは何と梨(洋梨ですらない)1個とモンキーバナナ1本であった。 モンキーバナナ1房ではない、1本である。 それを見た二人の反応は次のようなものであった。 母君「客をバカにしてるわね。」 妻「フルーツの下に明細が置かれてるかも知れないわよ。」 僕はそのフルーツ皿をなぜ写真に収めてこなかったのかと妻に詰問した。 これは超一流と言われているホテルの実際がいかに貧相なものであるかを世界に曝すための極めて重要な証拠写真となっていたはずである。
 内装はいわゆる流行りのZENスタイルだ。 だからといってウェルカムフルーツまで精進フルーツのように置くのは無知な外国人のなせる業か? おそらく懐石料理か何かのビジュアルブック上の知識を忠実に再現したものであると考えられる。 日本人は何でもお皿に食べ物がちょこんと載ってる方が美しいと思うだろうという、あさはかな知識によってこのような所業に至ったに違いない。 日本人のみならず、宿泊した外国人のゲストにとってもこの仕打ちは理解に苦しむだろう。 そもそも二人が宿泊する部屋にモンキーバナナが1本という前代未聞・未曾有の事態をホテル側はどう解釈しているのだろうか? そのうち部屋で1本のモンキーバナナを奪い合ったバカカップルが殺人事件を起こしてしまい、ホテルの信頼失墜の危機に陥る可能性も否めない。 内装についてはデザイン・ホテルではあるが、特に目新しいものは何もない。 植物は盆栽が一つ置かれているだけである。 バスルームなどの小物も金属製のものばかりで非常にクールな印象。 都会の真ん中で色彩は寒色系、小物は金属製、リネン類もグレイ系ではいかにも寒々しい。 このベッドリネン、妻の言葉を借りれば「無印良品の特注」だそうである。 そもそもこのホテル自体がビジネスマンの利用客を対象にしており、そうした寒々しさも男性向けと言えば言えないこともない。 部屋ではプリンター、コピー、ファックス、スキャナーが使えると謳ってあるが何のことはない、ジャパネットたかたで周辺機器と抱き合わせで29,800円ぐらいで売られている複合機が1台無造作に置いてあるだけのことである。 この機器にしてもゲストが持ち込んだ端末にドライバソフトをインストールしなければ使えないに違いない。 プリンター用紙だってきっと有料に決まっている。 スキャナーにしても1スキャン200円などと請求されるかも知れない。 インターネット接続にしてもADSL回線が用意されているだけで、一日あたりの利用料を別途に取られてしまう。 スコタイ・ホテルなどは1999年の時点で、部屋のテレビが常備してある専用キーボードによってパソコンに早変わりし、インターネットもEメールも送ることができたのを覚えている。 このようなホテルは世界中に腐るほどある。 駐車場にしてもゲストですら無料では使えず、一日あたり5,000円も取られてしまう。 信じられないとしか言いようがない。 翌朝妻は朝食をルームサービスで頼んだが、一人前2,500円の内容は小さなパン3つとオレンジジュースとコーヒーのみであった。
 こういうとただただ粗悪なホテルであると思われるであろうが、その通りである。 しかしながらインターネットなどを眺めていると、このホテルへの宿泊客の評価は一様に高いから驚きである。 もしかしたらこれまで書き記してきたような非道な扱いを受けたのは妻たちだけなのであろうか? モンキーバナナも本当は1房あるはずのものが、妻たちの部屋だけ手癖の悪いメイドにつまみ食いされていたのであろうか? もしそうではないとしたら、泊まる側も果てしなくレベルが低く、○○○○○ホテルもそれを最初からわかっていて、日本人にはこの程度で十分だと思っているのだろう。 あるいはホテル内にメディア担当者がおり、連日残業しまくってホテル関係のページの掲示板などに宿泊客を装っていいことづくめの評価を書き込みまくっているに違いない。
 妻は客室に設置してあった宿泊アンケートを持ち帰り、チェックアウトしたその晩、記憶がより鮮明なうちに、主にホテルのサービス面についての不満を紙面の許す限りしたためて投函した。 ひとこと妻の名誉のために言うと、妻は普通こんなクレームをする類いの人間ではない。 妻もサービス業に従事している人間である。 つまりこの夜の滞在は、そんな妻でも文句を言わずにはおれないほど酷いものだったのである。 しかし投函してはや20日、ホテルからのリアクションはなにもない。 前出の友人によれば、このようなクレームのアンケートが舞い戻って来ると、だいたい支配人が署名した詫び状や宿泊割引券などを送るそうである。 割り引き客は客と見なされていないのだろう。 結局妻たちが支払ったお金は部屋代とサービス料と消費税とホテル税と飲みたくもなかったお茶代と貧相なルームサービスの朝食代の合計で73,973円であった。 チェックアウトの際に14,027円返してもらってトクした気になるわけがない。 ただミョーな気分になるだけである。 よしんばバスルームに設置してあったブルガリのアメニティー類(スパに設置してあるシャンプー類はマツキヨで買って来たような統一感のない代物だった)を全て持ち帰ったとしても元を取るには遠く至らない。 本来ホテル側にとっても有り難いはずである現金で支払おうとするだけでこれだけ嫌な思いをさせられるホテルは他にない。 たぶんセレブが宿泊する時には媚びまくるんだろうけど。(2002.12.24)

追記

 12月29日、○○○○○ホテル総支配人の署名入りの詫び状が届いた。 遅きに失した感はあるが、妻が指摘した点の改善の意志だけは確認させていただいた。 同様に妻が指摘した貧相なウェルカムフルーツ改善についての言及はなかった。 やはり美意識という点で我々と彼らは同じ地平にはないようである。 ともかく今後その名に恥じないオペレーションを期待するばかりである。 一流ホテルですら潰れてしまう時世ゆえ。(2002.12.31)

後日談

 新春早々フジテレビにおいて○○○○○ホテルのオープンまでの内幕を取材した番組が放送され、それを見た僕は卒倒した。 スポットライトを当てられた何人かのスタッフのうちの一人は、恐ろしくプロ意識に欠けるとしかいいようがない人物だった。 あきれはしたが、このようなスタッフが中心になって運営されているのであれば、先日の妻への対応も十分うなずける。 さらに、これもアメリカ式なのか、日本のモーレツ会社の新人研修にも似た、奇妙で幼児的でアメリカンなホームルーム、子供の頃に見たロンパールームを思い出した。
 しかし、ここまでは億歩譲って良しとしよう。 ただどうしても許せないのは、パリの一流レストランから引き抜いたフレンチのシェフに「パスタ」をメニューに加えることを半ば強要して困惑させ、客室係がゲストから聞かれた時にだけさり気なく答えればいいはずであるロビーのカーペットの出所を、テレビカメラに向かって「これはチベットの羊飼いが織ったものなんだよ」とさも自慢げに言う脳天気なだけのアメリカ人、妻に送られて来た詫び状に署名していたのはまさにこの総支配人であった。
 先に書いた奇妙なスタッフ教育の現場でも、スタッフの英語での接客などホテルの表層的な見かけの良さだけに力点が置かれ、本来あるべきもてなしの心は欠落している。 トップを仕切っているのがこういうもてなしの心のない人間である以上、このホテルはダメだ。 この僕が全責任をもって断言する。 行くだけ無駄だ。 されど僕は総支配人に苦言を呈したい。 いちど市井の人間に変装してでも自らのホテルに宿泊してみるべきだ。 そうして初めてゲストたちがどのように酷い扱いを受けているかわかろうというものである。
 このままではこのホテル、廃業は時間の問題である。 というか、このようなホテルがのうのうと売り上げを伸ばすような社会は不健全このうえない。 資本主義の競争原理に基づき淘汰されて然るべきだ。 こうなればいっそのこと宿泊料を7,000円ぐらいにしてはどうか? そうしたらひどい扱いをされたいマゾヒスティックな客で大盛況となること請け合いである。(2003.1.15)

あとがき

 2003年2月26日、同ホテルのスタッフからの知らせでこのページの存在を知ったホテルの副支配人から電話による丁重な謝罪の言葉を頂戴した。 それは十分に謝罪の意図が感じられるものであった。 ホテル側がこのような個人的なページの存在まで知るに至ったことに驚きを禁じ得ないが、これがインターネットというものなのであろう。 ホテル側から記事の削除依頼などは特になかったが、きちんと謝罪していただいた以上、ホテルに不利益な情報を掲載し続けるのは本意ではないので、こちらの判断でホテルの実名部分は伏せ、ホテルを特定できるような記述は可能な限り削除させていただくこととした。(2003/2/26出稿を再録)

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by theshophouse | 2004-11-30 00:06 | Critique
MAUI BOUND(1930年代)
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 僕の親戚のジョージおじいちゃんは日系3世で、ハワイのマウイ島のラハイナというところに住んでいます。 シルビアおばあちゃんも日系3世です。 ふたりでジョージ&シルビア、でも決して演歌のデュオではありません。
 同じく親戚のタダシおじいさんもウメコおばあさんとラハイナに住んでいます。 おじいさんの家は戦前写真館をやっていて、その当時の建物を写したのがこの写真です。 考えてみれば僕の写真好きもそのあたりにルーツがあるのかも知れません。
 僕たちはマウイで結婚式をしたのですが、両方の夫婦が式に参列してくれてとても賑やかな結婚式でした。 ハワイの人たちはアロハシャツが正装です。 おじいちゃんたち一行もヴィンテージ・アロハでビシッと決めてきてくれました。
 おじいちゃんたちとは結婚式以来すっかりごぶさたしているのですが、みなさん高齢にも関わらずお元気だとのこと。 ラヴリーなおじいちゃんたちとラヴリーなマウイに会いに、またハワイに行くのが楽しみです。
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by theshophouse | 2004-11-29 01:05 | Photographs
深夜の攻防
b0045944_0575727.jpg 今年は秋を飛び越して冬がやって来そうな気配です。 今年の夏は往生際が悪く、短い秋をはさんで早くも冬が訪れようとしています。 寒くなってくると、外で遊ぶいいこの姿を見かけることは少なくなります。 いいこに限らず猫は寒がりです。 いいこも隣のアパートのにいちゃんの部屋にしけ込んでいることが多いようです。 たまに、思い出したようにふらりと僕の部屋にやって来る様は、車寅次郎を彷佛とさせます。
 このあいだも深夜にパソコンに向かいホームページの更新作業に没頭していると、既に時計の針は午前3時をまわり、僕の代表的な担当業務である朝のゴミ出しを済ませておこうと思い立ち、ひんやりとした夜の空気に身体をすぼめながら外に出ると、何処からともなくいいこが登場。 盛んにおねだりモードのなき声を発し始めました。
 原則として我が家では就寝中のいいこの入室は禁止されています。 したがってここでいいこを部屋に連れ帰っても、すぐにいいこを追い出すことになるのは目に見えています。 それではかえって可哀そうなので、ここはぐっと我慢していいこを振り切ってダッシュで部屋へと駆け上がりました。
 しかしいいこはそんな僕の内なる苦悩などお構いなしに僕を追いかけてきました。 いちはやく部屋に入った僕でしたが、いいこはドアの外で近所迷惑などかえりみず「入れてくれー。 薄情者ー。」という感じでうおおおおんとなき始めました。 僕は部屋の電気をすばやく消して寝たふり状態を「偽装」したのですが、いいこもさすがに今夜のねぐらの確保という大問題に直面しているせいか、なかなかあきらめません。 一枚のドアを挟んで20分にも及ぶ攻防が繰り広げられた後、ようやくあきらめたのかいいこの声は聞こえなくなりました。

b0045944_058246.jpg さて、次の日仕事から戻るとアパートの駐輪場でいいこと遭遇したのですが、いいこは昨夜(今朝)のことなどつゆ知らず、何事もなかったかのようににゃあにゃあと近寄って来ました。 僕がいいこを大好きなのはいいこが根にもったりしない猫だからです。 僕は昨夜のほんのお詫びにコンビニで黒缶を買ってきていいこに与えました。 いいこはむしゃぶりついて食べてしまいました。 よっぽど腹を空かせていたのでしょう。 ああ慈悲深いいいこよ! 哀れなこの僕を許しておくれ!

 身寄りがあるようで身寄りのないいいこではありますが、僕を含めた経堂5丁目31番地付近の住民たちの庇護を受け、今日ものほほんと生きています。(1999/11/7出稿を再録)

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by theshophouse | 2004-11-29 00:59 | Iiko et Tama
土曜ワイド劇場のタイトルの無意味性と金剛地武志
b0045944_13182555.jpg 賢明な読者の皆さんは、僕が何を言いたいかもうおわかりであろうと思う。 そう、それはこの7月27日に放送されたテレビ朝日系列の土曜ワイド劇場のタイトルのことである。
 『京都の女庭師風水ガーデニング探偵2 開運豪邸遺産相続殺人・奥津軽鬼伝説と虫送り火祭の謎』と題されたこの2時間ドラマのタイトルはあまりに視聴者を馬鹿にしているとしかいいようがない。 ほぼ同義語としか思えない庭師とガーデニング、風水と開運を並立させるタイトルネーム作者の意図は理解に苦しむ。 そもそも僕のなかで「ガーデニング」と「探偵」という言葉はまったく繋がらない類いの言葉として認識されているのである。 そこにきてとどめの「鬼伝説」と「火祭り」はいかにもくどい! どちらかひとつでいいではないか? 京都、風水、ガーデニング、開運豪邸、奥津軽、謎となるべく色々な言葉をちりばめて、幅広い視聴者層に訴求しようというあさはかな意図がみえみえだ。 裏を返せば作品の送り手が受け手をイメージする努力を放棄したと言い換えることができよう。 挙げ句の果てはつじつまを合わせるためにDr・コパなんかも出演者に担ぎ出してしまう徹底ぶりは土曜ワイドならではであろう。 周知のごとくこの土曜ワイド劇場のタイトルはその馬鹿さ加減において比類なき存在となっている。 これに比べると「火曜サスペンス劇場」のタイトルなどは非常に正統派である。 これら土曜ワイド劇場のタイトル、過去にはこんなのもあった。

 『おとり捜査官北見志穂4 狙われた美人刑事・盗撮された私生活・誘拐犯からの逆指名・監禁・水責め・激流の水門で最後の対決』

 そのタイトルからはかつての日活ロマンポルノの芳香が漂う。 土曜ワイド劇場の場合多くがそうなのだが、タイトルが即ち脚本のレジュームになっていて、これを見ただけでもうだいたいの話の内容は掴めてしまう。 ただ、こちらのタイトルはある程度視聴者層を絞り込んでいるようである。 しかしながら倫理的観点から見ても新聞のテレビ欄に公然と載せるには相応しくないタイトルである。 こういうタイトルに決済を下すテレビ朝日上層部、ろくな大人ではない。

 『元祖!混浴露天風呂連続殺人19 信州塩の道に消えたマルタイの謎・リベンジ刑事とカリスマ温泉ギャルの信濃路秘湯ツアー』

 タイトルからして古谷一行と木の実ナナが主演、かつては女殺しの異名を欲しいままにしたが、今や毎回ほぼ同じ展開をみせるこの話において、入浴中に必ず2回現れる、およそ実在しそうにない胸は隠さず腰だけにタオルを巻いて登場する半裸の女子大生軍団に「このスケベオヤジ~!」とばかりにお湯をかけられて退散することのみに生きがいを見い出した火野正平が脇役を固めるシリーズであることは言うまでもない。
 まず刑事用語で「捜査対象者」を意味する「マルタイ」という言わば専門用語を堂々と使うことに疑問を感じざるをえない。 福岡出身の僕などはインスタントラーメンの会社としての理解が先行する。 更にはこの頃世間で流行っていたであろう「リベンジ」や「カリスマ」などといった言葉に絡ませた無理矢理としか思えない脚本が頭に浮かぶ。 リベンジ刑事というのは感覚的に理解できるが、この「カリスマ温泉ギャル」とはいったいどういうカリスマなのか? 世の中カリスマが多すぎる。 みなカリスマの意味を知っていて使っているのだろうか?
 いずれにしても僕は土曜ワイド劇場を見ない。 それはいつもその時間『テレバイダー』を見ているからである。 テレバイダーは東京MXテレビで毎週土曜夜10時から放送されている1時間の情報番組である。 はっきり言ってその理念(ホームページ参照のこと)ほどたいした番組ではないのだが、アンカーの金剛地武志の特異なキャラクターが完全にツボに入ってしまい、以来半ば中毒者のように毎週観ている。 個人的には番組中ひんぱんに入ってくる「裏番組情報」にいちいち反応してその度にチャンネルを変え、情報が正しいかどうかを確認してからテレバイダーに戻るというのが正しい見方であると思う。 なかでも金剛地が毎週どこかの企業を訪問をして、その企業のCMに自分を出演させるよう強引にねじ込もうとするコーナーが特に好きである。
 この金剛地武志、知れば知るほど不可解な人物である。 無論単なる局アナなどではない。 聞くところによると親に借金して設立したEtiquette Recordingというインディーズ・レーベルの最高経営責任者(C.E.Oを名乗る)でもあるらしく、また同レーベルでいくつかのアルバムを既にリリースしているyes,mama ok?という自らがリーダーを努めるバンドでリードヴォーカルとギターも担当する。 かつてはメジャーデビューも果たしたのであったが、時代がまだ彼らには早すぎたのか、バンドとしては不遇の時期を送り、やがてメジャーシーンからは静かに退場する。 現在インターネットで視聴できるyes,mama ok?の新譜「CEO」のサウンドは非常に都会的なボサノヴァ・タッチであり、それはおよそ金剛地のルックスからは対極にあるものだった。
 勝手に盛り上がってしまったが、ローカル局なので、東京以外にお住まいの方には非常に申し訳ない話である。 上記2つのリンク先でテレバイダーと金剛地武志について少しでも御理解いただければ幸いである。 そしてもし東京に来られることがあったら、そしてそれが土曜の夜だったら、UHFを受信できるところで是が非でも金剛地武志を目撃して欲しい。 僕が今最も気になる男・金剛地武志である。(2002/8/3出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-11-27 13:22 | Critique
或る蝉の一生
 深夜、明日のごみを集積所に出しておこうと部屋を出た。 するとそこには一羽の蝉がひっくりかえっていた。 どうやら青息吐息のようである。 つまんで階下へ放り投げようとしたが、思いとどまった。
 僕のアパートの前には烏山川緑道という遊歩道がある。 その名の通り、もともとは烏山川だったところを暗渠にし、その上を緑道にしたものである。 この緑道、烏山から三宿まで続いており、世田谷の代表的な散歩コースのひとつである。 当然樹木も多く夏ともなれば一帯は蝉に占領されてしまう。 しかしまだ7月の終わり、本格的な蝉の季節というには早い。 声すらも聞こえないのである。 当然弱っている蝉などいようはずもない。
 ところがである。 その蝉は明らかに弱っていた。 恐らくその蝉は少しばかり生まれるのが早すぎたのであろう。 他の仲間より少しばかり早く生まれたせいで、彼には仲間がいなかった。 一人で木に掴まって樹液を啜ってはみたものの、一人での食事ほど味気ないものはない。 気心の知れた友人どころか、蝉の仲間そのものがいないのである。 思いきり羽を震わせ、擦り合わせて近くにいるであろう仲間に呼び掛けてはみたものの、ついぞ一羽の同類にも出会うことが出来なかった。 そしてふと気がつけばその短い命の殆どを燃やし尽くし、照明の明かりにひかれてやって来たとあるアパートの通路で力尽き、ふいに現れた冴えない感じの男にじっと見られている。 末期の時に看取られるのがこんな男とは・・・。

 夏は僕にとって葬式の季節である。 親戚や知り合いの年寄りが亡くなるのは決まってこの季節だ。 夏のうだるような暑い日と黒いスーツ、汗びっしょりのシャツと読経の相関関係は僕の中で完全に成立している。 先日も田舎の親戚のおじいさんが亡くなった。 東京に住んでいる僕は急な知らせにおいそれと葬式に出ることもままならない。 まったく薄情な人間である。 こんな僕が死ぬのはやはり夏の暑い日に違いない。 そんな気がする。

 最近テレビを賑わしている、というかマスコミの不作法極まりない手法で一躍人気者に祭り上げられているかまとおばあちゃんのことを考えた。 彼女は現在114歳で世界最高齢であるということになっている。 ということは、彼女より先に生まれた人間はこの世にはもういないということである。 当たり前のことではあるが、彼女より一秒でも先に生まれた人間はもう皆死んだのだ。 世界中のありとあらゆるところで言葉は悪いがバタバタと死んでいったのだ。 それは想像を絶する事ではなかろうか? これを自分に置き換えてみるとその事の壮絶さがよくわかる。 僕は36歳と4ヶ月と17日生きているが、もし世の中に36歳と4ヶ月と18日以上生きている人が皆死んでいなくなってしまったらどういう精神状態に置かれるであろうか? たぶん正気ではいられないだろうと思う。 テレビで目にする限り、かまとおばあちゃんは周囲を暖かい家族に囲まれてとても幸せそうだが、こうした視点から見ると彼女の「大いなる孤独」に気づく。
 蝉はもっと孤独だったかも知れない。 生まれてから死ぬまで一羽の仲間にも出会わなかったのである。 彼には、臨終の時に及んで自分の一生を顧みる物指しとなるべき仲間すら得ることはできなかったのである。 恐らく彼は自分が蝉であるという意識すら持てないまま一生を終えるのかも知れない。 そう思った時、蝉をつまみあげようとしていた僕の手は止まったのであった。 蝉の一生は実は長い。 ただその殆どすべてとも言える7年間を土の中で過ごし、晴れて成虫となってからはわずか一週間でその寿命を終える。 彼がふたたび土に還ろうとしているその刹那、僕は彼の人生が実り多いものであった事を信じつつ合掌した。
 夏という季節は生命が最も輝く時だ。 そしてそれは、その生命のはかなさが夏の陽射しによってひときわフォーカスを与えられるからに他ならない。(2002/7/27出稿を再録)

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by theshophouse | 2004-11-27 13:16 | Critique
ショートトラックかくあるべし!
 ソルトレークオリンピックが終わった。 期待された日本勢だったが、戦前の予想(期待)をはるかに下回って金メダルなし、銀1個、銅メダル1個に終わった。 この数字は悲しくも我が国のウインタースポーツの競技レベルを如実に反映しているものといえよう。 さらに今回はっきりわかったのはオリンピックも国体(国民体育大会)と大差ないということである。 つまり開催国(都道府県)が一番成績が良いということである。 選手たちも地元の声援に発奮するし、審判の判定もそれを後押しする。 はっきり言うと「えこひいき」する。 テロで傷ついたアメリカはオリンピックで勝利しなければならなかった。 審判もそれを後押ししなければならなかった、と言うと乱暴に過ぎるだろうか。
 審判の判定でこれほどもめたオリンピックも珍しい。 そして実社会以上にスポーツの世界には未だに西側と東側という冷戦下の社会構造が残っていることを感じさせられた。 ロシアとアメリカの選手が強いフィギアスケートの判定などは、旧西側諸国の審判と旧東側諸国の審判で完全に判定が割れ、まさに冷戦時代の再来を予感させた。 それはまるで年々融和しつつある旧東西諸国の関係が氷上でふたたび冷やされたかのようだった。
 今回のオリンピックで良くも悪くも注目を集めたのはショートトラックスケートである。 僕はショートトラックはかなりショー的な要素の多いスポーツであると実感した。 こういうことを言うと歳がバレるので嫌なのだが、今回のショートトラックは70年代に東京12チャンネルで放送され、土居まさるが司会をやっていた『日米対抗・ローラーゲーム』を髣髴とさせるものがあった。
 ローラーゲームは元々アメリカで生まれた。 日本では1955年に初めてアメリカチーム同士の戦いが披露された。 69年に佐々木ヨーコとミッキー角田がロサンゼルス・サンダーバードの試験に合格、サンダーバードの一員として活躍した。 72年には、彼らが中心となってハワイで東京ボンバーズが結成され、73年には日本で初めて試合が行われた。 東京ボンバーズ対アメリカチームの試合は一大ブームとなった。 僕もミッキーとヨーコのファンであった。 しかし試合内容はしだいにヒートアップし、竹刀を持ち出して相手を痛めつけるなど乱闘的な部分ばかりが強調されていった。 凄惨さが目につき始め人気は下降。 76年に東京ボンバーズは解散してしまう。
 そんな東京ボンバーズ、当時スター選手として活躍していた小泉博が中心となって90年に復活し、現在もムラサキスポーツ、R・E・MIXの3チームが月にほぼ1回の割合でリーグ戦を行っているという。 ちなみにこの小泉氏、光GENJIやSMAPのローラー指導などもしている。
 ノスタルジーに浸るあまり話はそれたが、要するにショートトラックは競技ではなく興行として存在していくべきだと思うのである。 役者は揃い過ぎるぐらい揃っている。 移民国家アメリカを象徴するスーパースターで、ちょっとハリウッドナイズされ過ぎのアポロ・アントン・オーノ、韓国のエース「盗まれた金」ことキム・ドン・ソン、常に転倒の原因を作りレースをぶち壊すトラブルメーカー、謎の中国人リー・カ・グン、実力はトップレベルながらも大舞台で実力を発揮できない日本のエース・涙の寺尾、そしてタナボタ走法のゴールドメダリスト・ブラッドバリーなど人材には事欠かない。 これら豊富なタレントでワールドツアーを組めば興行として成功すること請け合いである。 プロデューサーには、最近日本でもブレイクしたアメリカのプロレス団体・WWFのビンス・マクマホンを迎えるべきであろう。 そして、レースはもとよりスケーター同士の控え室での罵り合いや場外乱闘、各々の家族までを引っぱり出してのストーリー展開と、WWFを成功に導いた彼の手腕に委ねることで一大エンターテイメント・スポーツへの大転換を計るのである。
 そんなアホなことを漠然と考えていたら、ニュースで「ショートトラック、トリノ五輪の競技種目から外れる方向」というニュースが飛び込んできた。 何でもソルトレークでの判定問題などのゴタゴタにIOCが嫌気をさしているというのである。 何ということであろうか。 僕がもし仕掛人的な仕事をしていたら、自分の抱いた妄想をビンス・マクマホンにすぐに持ちかけるだろう。 それは極真カラテを裏切って正道会館を立ち上げ、やがてK1という言わば商業カラテのプロデューサーにまで成り上がった石井館長と同じ手法である。 どうやら家具売ってるよりは儲かりそうである。(2002/2/28出稿を再録)

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by theshophouse | 2004-11-27 13:14 | Critique



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