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カテゴリ:Critique( 97 )
トータス松本とバラク・オバマにみる戦略としての同音反復
 昨年、ZARDの坂井泉水さんが不幸にも若くして亡くなられた時、ファンの方々から一様に聞かれた言葉で、「私(僕)はかつてあの曲に勇気づけられた、励まされた。」というのがあった。 
 こういう経験ってふつう誰にでもあるものなのだろうか?
 僕にはそういう経験がまったくない。 たぶん人よりドライな人生を送っているのだろう。 心が乾いているのだろう。 そう思い至ったところで妻にも聞いてみた。

 「あのさー、ちょっと聞きたいんだけど、誰かの曲に励まされたことってある?」
 「ない。」

 即答だった。 似たもの夫婦ここにあり、である。
 もちろん音楽そのものが嫌いなわけじゃない。 思わず口ずさむような曲もあれば、映画のワンシーンが脳裏に浮かぶ大好きな曲もある。 音楽が気分を高揚させてくれることもある。 でもそれによって励まされることなどなかったのである。
 「音楽に励まされた」人たちはどのように励まされたのかというと、多くの場合はその歌詞に込められたメッセージとメロディによって励まされているようである。 つまりはその曲に感情移入できることが必須条件となるわけだが、僕の場合、日本語の歌詞に込められたメッセージはむしろ感情移入を妨げる。
 いわゆる「応援ソング」の歌詞にはストーリーがあるので、或る特定のシチュエーションが設定され、そこで何らかの苦境に陥っている主人公がいて、その主人公を叱咤激励するという三段構成になっているものが多いのだが、個人的にはそんな舞台装置に立たされるのが「面倒臭い」と思ってしまうのである。

 そんな僕だが、例外的に励まされる曲がある。


 むしろ歌詞なんぞに何らのややこしい状況設定など何もなく、ただただ「ガッツだぜ!」の一語を反復され続けるこの曲の方が僕にとっては心を動かされる。 たぶんそれには心理学的な裏付けがあって、伝える側が一番伝えたいメッセージをただ単純に繰り返すことで、伝えられる側の意識下におそらくは「刷り込み」に近い効果をもたらすものなのだろう。
 こういう単純な反復による刷り込みは意識下に作用するから厄介だ。 なにしろ常日頃「曲に励まされることなんてない」などと大見栄切ってる人間でも易々とその罠に嵌ってしまうのである。 伝える側にはその効果について熟知し、用法を誤らないことが求められる。
 傍から見れば「CHANGE !」とか「YES, WE CAN !」とかをただ連呼してた印象しかないバラク・オバマも然り。 彼の支持が黒人はもちろんのこと、アジア系やヒスパニックにまで幅広く及んだことは、よく言われる彼の演説の上手さもさることながら、その主張の単純さと反復性が、良く言えば人々にメッセージを強烈に刷りこみ、悪く言えば集団催眠にかけるような効果をもたらしたからだと思う。
 もっとも、もし自分がアメリカ人だったとしても、ベトナムのヒーローとはいえ脳細胞の硬直化が懸念され、どこかコメディ映画の主人公然とした御年72歳のロートルと、ハーバードのロースクール出の才気溢れる47歳のどちらを選ぶかと問われれば、それは自明のことだったかも知れない。
 洋の東西を問わず、民主党と名のつく政党にロクなものはないが、新たなアメリカのリーダーが現在の金融危機をはじめ、落日ぎみの超大国に山積する諸問題にどう立ち向かっていくか、生暖かく見守っていきたいと思う。



 「サムライソウル」はいい。
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by theshophouse | 2008-11-05 23:33 | Critique | Comments(2)
是我在遊泳
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 ◆競泳 日本学生選手権最終日(7日・東京辰巳国際水泳場) 男子二百メートル平泳ぎで大塚一輝(19)=法大2年=が、日本歴代2位となる2分9秒97で2連覇。世界記録保持者の北島康介(日本コカ・コーラ)が04年に出した大会記録を更新し、12年ロンドン五輪へ名乗りをあげた。男子百メートル背泳ぎは入江陵介(18)=近大1年=が53秒93の大会新でV。女子二百メートル平泳ぎは、北京五輪7位の金藤理絵(19)=東海大2年=が2分24秒49で初優勝した。学校対抗は男子は中大が4年ぶり12度目、女子は鹿屋体大が4年連続4度目のV。
 19歳が“北島超え”を果たした。驚異的な世界記録とは2秒46の大差はあるが、大塚は自己記録を2秒64も更新し、2分10秒の壁を日本人で2番目に破った。北京五輪決勝なら7位に相当。「こんな記録が出るとは思ってなかった」と驚きの表情を浮かべた。
 水着が後押しした。山本化学工業が開発した表面に凹凸がある「タコヤキラバー」と呼ばれる素材を使用した水着は、スポーツヒグ社(大阪)製の「KOZ」。今大会で初使用し、「後半もタイムが落ちなかった」と効果を実感した。

 実家は高崎市。群馬・藤岡SSで練習を積み、大学へは新幹線で通う。4月の日本選手権は4位で北京切符を逃し、北島の五輪2冠はテレビ観戦。「本当にすごい。あそこまで行きたい。国際大会を経験して、世界の頂点に立ちたい」。“北島の穴”は埋めてみせる。

ソース : 19歳大塚“北島超え”V!タコヤキ水着でビックリ自己新…競泳【スポーツ報知】
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 北京国際運動会前の水泳界に突如として現れたスピード社製水着「レーザーレーサー」。 その驚異的な水着の前に何故か黙殺された感のあった山本化学工業の水着だが、先日行われた日本インカレの200M平泳ぎ決勝で、全国的には無名の大学生がこの山本化学工業製の素材を使った水着を着て、北島が大学当時に出した記録を4年ぶりに更新し、日本人としては二人目の2分10秒切りを果たしたというニュースが飛び込んできた。
 スピード社の後塵を拝するかたちになった国内各水着メーカーは、北京国際運動会前にこの山本化学工業から素材の提供を受けて急遽水着を開発し、ジャパン・オープンで選手に試してもらったはずである。 にも関わらず、それらの水着を試用した各選手に劇的なタイムの短縮はなく、山本化学工業の社長も自らが開発した新素材について「もっとたくさんの面積を使ってもらえさえすれば・・・」と、やり切れない表情でコメントを残していたと記憶する。
 で、今回この水着を製作したのは大阪のスポーツヒグ社。 ウェブサイトを見る限り、今回スピード社の前に敗れ去った国内3社とは比べるべくもない個人商店であるのは明らかだが、企業規模など何の障害にもならないわけで、たぶん日本水連とかJOCあたりが本腰入れれば、この「KOZ」という水着(2008年8月中旬販売開始)を北京国際運動会の場で着用することも可能だったはず。
 そりゃあ大企業ともなればいろんなシガラミがあるのはわかるけど、4年に1度の大勝負でしょ。 なんかもうちょっと挙国一致の体制づくりができなかったものかと、今さらながら残念でならない。
 とにかくこういう水着を出してきたのが大阪の個人商店っていうのがいい。 世界を席巻するスピード社の水着に立ち向かうのは、大阪の従業員60名の化学素材メーカーと個人商店のスポーツ用品製造販売会社。 もしプロジェクトXがまだ続いてたら極上のネタだ。
 ロンドン五輪の水着はそういうシガラミだらけの国内メーカーに加えて、このスポーツヒグ社にも任せる方向でおながいします。>日本水泳連盟会長殿
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by theshophouse | 2008-09-08 18:42 | Critique | Comments(0)
バイアス
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 回線状況は不安定ながら、ここにきてようやくラングーンとのインターネットも繋がるようになってきた。
 ビルマの取引先のスタッフのなかには今回のサイクロンで大きな被害がでた南部のデルタ地帯に居を構える人もいて、その被害に遭った家屋の写真がメールで送られてきた。
 ご覧のように元々簡素な造りの住居であり、未曾有のサイクロンに14時間にも渡って蹂躙されたのではひとたまりもない。 海岸や河川に近い地域では高波で家どころか村ごと持っていかれた所も多いので、壊れながらも辛うじて住居の原型をとどめているのはむしろ被害が軽微だったと言えるのかも知れない。

 サイクロンがラングーンを襲ってからちょうど10日後に中国四川省が大地震に見舞われた。 いずれも最近僧侶が迫害を受ける事件があった地である。 ラングーンでは昨年9月の反政府デモの際に多くの僧侶が投獄されて殺害され、四川省と隣接するチベットでも同様に僧侶が迫害を受けている。 この符合を単なる偶然と片付けることはできそうにない。
 ただ、この両国の災害後の対応はまったく違った。
 ビルマが援助物資のみを受け入れ、他国からの人的援助を拒み続けている一方、当初同じような対応をとると見られていた中国はいち早く物と人の援助を受け入れた。 もっとも救助隊が現地入りしたのは事実上救助が不可能に近い状態になってからのことであり、救助に向かった現場はいずれも生存者がいない場所だった。 救助隊と入れ替わるように現地入りした医療チームが連れて行かれたのは被災地の避難所などではなく、既に一定のレベルの医療行為が行われている近代的な病院だった。
 報道を見ていると、中国側は日本からの救助隊や医療チームの安全確保を優先するあまり、災害の最前線への派遣に二の足を踏んでいるといったような見方が多いが、実際はどうなのだろうか。
 中国という国は良くも悪くも唯我独尊でやってきた国である。 他人を助けることも、また他人に助けられるということにも慣れていないのだ。 したがって世界中から救いの手を差し伸べられている今の状況というのもまた彼らにとって未曾有の体験なのであり、どうしていいかわからないというのが正直なところなのではないだろうか。
 そうした「牧歌的な」見方の一方で、被災地域にある核関連施設や原子力発電所も被害を受け、既に放射性物質が飛散しているような地域に外国人を送り込んで、後になって被爆した事実が明らかになったりするのを恐れているといった恐ろしい仮説も成り立つ。
 それでも中国の震災後の対応で唯一評価できるのは、多くの外国メディアを受け入れ、検閲なしに自由に報道させている点である。 その「おかげ」で日本にいる我々は、現地から伝えられる映像とリポートによってその惨状の輪郭をある程度把握することができる。 ところがビルマはそうした対応はおろか、救助隊すら受け入れなかった。
 現地に情報ソースを持たない日本のメディア。 最近ではいくつかの日本のNGOが現地で独自に支援活動を開始しているので、そこからの情報もあるが、その報道は概ねAFP(フランス通信)=時事という流れに依存している。 そして当然のことながらその情報には国是である「自由と博愛と平等」というフランス的バイアスがかかっている。 先頃ようやく現地入りした日本のメディアは共同通信。 「よりによって」共同通信である。 共同通信といえば、日本で唯一平壌に支局を置くことを許されたメディアである。 つまりは将軍様にお墨付きをいただいたメディアである。 後は言うまい。
 よく「公平中立な報道」などというが、そんなものが絵空事であることは言うまでもない。 情報とは終局的には一人の個人によって発信されるものであり、そこには当然その個人の心情や視点、価値観といったものが色濃く反映される。 人の「情」が入るからこその「情報」である。 つまるところ、バイアスのかかっていない情報には何の価値もない。
 そうしたバイアスがかかったソースが発信するビルマの現状は、「軍が援助物資を横流し」「軍が瓦礫やゴミを撤去せず路上に放置」といったものである。 やはりここにも「軍政=悪、民主化勢力=正義」といったバイアスが露見する。 受け取る側の我々としてはあくまでそれを承知の上で情報に接する必要がある。 それは真実であり、また真実ではない。
 一方で「現地で支援活動を始めているNGOらが被災地に入る際に賄賂を払わされた」といった報道はかなり正確だろうと思う。 この国で何か事を始めようというとき袖の下は欠かせない。 軍政とその威を借る官僚組織は全方位的に腐敗し、この国の政治システムを未だに封建的な秩序のなかにとどめている。 それでもまだ選挙を実施している分だけ中国よりはマシということになるのかも知れない。

 以前のエントリーでも紹介したラングーンの日本語学校の方のブログ。 この方は自分で支援物資を被災地に届けるなど、支援活動も行っている。 同氏が、被災地であるラングーンから日本人の視点で海外の報道について書いているエントリーは非常に興味深い。 そして多くの場合、こうした意見はメディアから黙殺される。 コメント欄には同氏を批判する書き込みが多く見受けられるが、ビルマという国についての理解に乏しい人か、亡命ビルマ人によるものと推察する。

 海外の報道姿勢について【ミャンマー・日本語学校ブログ】

 また最新のエントリーでは被災地の現状について詳細な記述もあった。

 被災地の現状【ミャンマー・日本語学校ブログ】

 以前にも書いたが、僕とてミャンマー軍政を擁護するつもりはない。 彼らは今回のサイクロン禍の2年前に首都をラングーンから内陸部のネピドーに遷都しており、軍政の中心は既にラングーンにはない。 その遷都はとある占星術師のお告げによって行われたという説もあり、彼らはそれによって今回の被災地となるのを逃れたことにほくそえんでいるとすら思っている。
 ただ、外交的にはほぼ鎖国状態に近いこの国が、いくら大災害とはいえ突如として千客万来に転じ、各国の救助隊らを受け入れることは現実的に難しいと思う。 先頃ようやくASEANの医療チームを受け入れる決定を下したようだが、これだけでも大英断といっていいぐらいだ。
 そんな国を「世界から孤立している」というのは容易い。 今年の総統選挙の頃だったと思うが、J-WAVEの「JAM The World」という番組でナビゲーターの某氏が「世界から孤立している台湾ですが…」と、さも世間の常識のように言っていたが、こういう輩はしばしば自国に対しても同様に「世界から孤立する日本」という言説を展開する。 まさかJ-WAVEの大株主に中日新聞や共同通信が名を連ねるからというわけではあるまいが、「JAM The World」で語られる国際情勢にはしばしば左巻きのバイアスがかかるので、すんなりと聞き流すことができない。
 「世界から孤立している」というような枕詞が本当に相応しいのは北朝鮮ぐらいのものであって、本来そう易々と口にできるような言葉ではないはずだ。 そしてまた、ビルマという国を北朝鮮のような国にしないためにも、今こそ国際的な支援が必要だと思う。
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by theshophouse | 2008-05-23 01:34 | Critique | Comments(0)
ゲルマニウムネックレス不要論
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 数年前からのことだが、アスリートの首をカラフルなネックレスが飾るようになった。 いわゆるゲルマニウムネックレスで、生体電流を整える効果があると謳われるものの、そのような効能、効果は医学的に証明されていない。 ひところ一世を風靡し、最近では巷でもまったく話題にすら上らなくなったマイナスイオン同様、人体へのポジティブな影響があるとされるものの、科学的な論拠は何もないのが現状である。
 もっともプロのアスリートは、その職業柄健康オタクも多いので、体に良いと聞けばとにかく何でもトライしてみることは理解できるが、さすがにそうした正邪すら判然としないアイテムにまで手を出すだけあって、愛用者の多くは成績がパッとしないか、或いは度重なる怪我に見舞われて苦しんでいるといった状況下に置かれている。 つまりは救いを求めているわけだが、こんなものに救いを求めるようになったらその選手の先はもう長くないだろう。
 それでもどうしてもこれを装着したいのなら、せめて競技などの場では外すべきだと思う。 もし僕がプロのアスリートだったら、自分がそんな健康器具にご執心なところは客に絶対見られたくない。 また、もしあれがファッションアイテムとしてお洒落だと思ってつけているのなら、昔の野球選手がこぞって首にブラ下げていた金のネックレス同様に救いようがない。 もっとも、ゲルマニウムネックレスのメーカーとの契約で、競技中はおろか人前に出るときは必ずつけるようになっているのかも知れないが、みな流行りのアイテムよろしくバカの一つ覚えみたいにアレを首に巻いてるのを見ると気の毒にすらなってくる。
 僕の知る限り超一流のアスリートといわれる方々にこのてのネックレスの愛用者はいない。 そのことがすべてを物語っているのではないだろうか。
 先日の名古屋国際女子マラソンでもレース開始早々に失速し下位に沈んだ高橋尚子。 深刻な大気汚染の影響で大物ランナーが出場を断念する北京五輪のマラソンなどどうでもいいが、ランナー端くれとして二人の金メダリストの真剣勝負だけは見たかった。 「夢のレース」が実現することはもうないだろう。
 失速の原因についてはあれこれ囁かれているが、実のところ当の本人にもわからないのかも知れない。 人間の体とはかくも不思議なものだ。 直前合宿地の中国・昆明で食べていた大量の中華料理の中にメタミドホスを使用した野菜があったのかも知れないし、本人が言うように手術した右膝の影響だったのかも知れない。 高地から降りてきて高度馴化に失敗したのかも知れないし、所属する健康器具メーカーのゲルマニウムネックレスの影響で生体電流が整い過ぎて?逆におかしくなったのかも知れない。
 レース中ランナーは給水所でスペシャルドリンクを摂取する。 ゲルマニウムネックレスが本当に生体電流を整える効果があるのなら、極限状態のなか体内に急激に摂り入れられた電解質に対しネガティブな反応を起こすことなど決してないのだろうが、生化学の知識のない僕としては少々勘ぐってみたくもなる。 それほどまでに急激な高橋尚子の失速だった。
 ひとつだけ言えることは、走るという単純な競技にあのような「首飾り」は不要だということだ。 きちんと衝撃を吸収してくれる軽いシューズと発汗をコントロールしてくれる機能的なウェアがあればそれで良い。
 躍動するアスリートの首から目障りなネックレスが一日も早く消え去ることを願う。
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by theshophouse | 2008-03-14 23:58 | Critique | Comments(0)
丸の内でマンモスを見て考えたこと
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 正月の都心の道はことのほか空いていて、自宅から丸の内まで30分とかからず着いた。 天気がいいのも手伝って、内堀通りを走っているクルマの数よりもむしろ皇居のお濠端を走っている市民ランナーの方が多いぐらいである。
 丸ビルの地下駐車場にクルマを突っ込む。 丸ビルに来たのは納品のついでにマンモスを見るためだ。
 2007年5月、シベリアの永久凍土から約3万7千年前に絶命したとみられる生後間もない雌の凍結マンモスが、ほぼ無傷の状態で見つかった。 一昨年の名古屋万博で公開されたマンモスより1万9千年も古く、しかも全身がほぼ完全な状態で残されているという。
 はるかな時を超えてこの東京にやって来た赤ちゃんマンモスに謁見し、その時間と空間の長旅の労をねぎらうとともに、その亡骸に敬意を表すことは、時と種は違えどこの地球に生きる者の一員として至極当然のように思われた。
 発見者の家族の名をとって「Lyuba(リューバ)」と名付けられたその赤ちゃんマンモスの前に立つ。 3万7千年前に絶命したとされるマンモスの赤ちゃんと僕の間にあるのはガラス一枚のみ。 言いようのない不思議な感覚に襲われる。 そのあまりに完全な姿に3万7千年の経年変化は微塵も感じられない。 まだ生後間もない頃に逝ったその姿にいわゆるマンモスの面影はなく、普通の小象という印象だ。
 本来なら「永久」凍土に閉じ込められたまま、人の目に触れることなどなかったであろう赤ちゃんマンモスは、地球の温暖化によってそのタイムカプセルの封印を解かれた。 それはやはり地球環境を破壊することでしか生存していくことができない人類への警告なのだろうか。
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 深い目尻の皺とともに閉じられた赤ちゃんマンモスの目。 その網膜に最後に像を結んだであろう太古の地球の姿はどんなものだったのだろうか。 もしかしたら今リューバはガラスの向こう側で、次々と自分の姿を覗き込んでは通り過ぎていく人類を、自分たち同様やがては滅びゆく者として記憶にとどめようとしているのかも知れない。


奇跡のマンモス「リューバ」~3万7000年の時を超えて~
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by theshophouse | 2008-01-09 00:47 | Critique | Comments(2)
真剣勝負の場で白日の下に晒された「韓流」の実態
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 すべてが法の下にがんじがらめにある状態というのは、決して理想的とはいえない。 そんな無粋なものがなくても皆が良識を持ってさえいれば犯罪など起こらないであろう。 かつての古き良き日本にはそれに近い社会があったのではないだろうか。
 一方で国際社会に目を転じれば、それぞれが互いの民族の利益に固執するあまり、独善的な主張をぶつけ合って収拾がつかなくなる。 そこにはやはり法による統治が必要となる。 しかしそれすらも最終的な解決策とはならない。 法があってもそれを無視したり抜け道をついてくる無法者のような国も存在するからである。

 北京五輪の出場権を懸けた野球のアジア選手権。 事実上の優勝決定戦となった対韓国戦において、韓国が行った試合直前でのメンバー交代は言語道断である。 試合開始1時間前に交換したメンバー表を見て、成瀬の先発を読み違え、逆に自らの先発を日本に読み切られた韓国首脳陣は、紳士協定を破って試合開始直前に先発投手を含むメンバーを7人も入れ替えた。
 ありえない行為である。
 ルール上先発メンバーは試合開始直前まで変更可能だが、互いがそれをやり出すと収拾がつかなくなる。 そこで1時間前に同時に発表するという約束事を交わしたのである。 両チームがフェアな条件で対峙するために踏んだ手順だ。 それを韓国はいとも簡単に反故にした。 厚顔無恥とはこのことである。 そもそも紳士が存在しない国と紳士協定など結ぶべきではなかった。
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 韓国は試合そのものへの取り組み方も卑怯だった。 バッターは皆ボックスの内側いっぱいに立ち、内角を際どく攻めてくる日本の投手陣のボールに自ら当たりにいった。 中継したテロ朝はじめ日本のメディアはこの不法行為を「韓国の執念」とか「気迫」などという言葉で表現したが、単なる不法行為、卑劣な所業に過ぎない。 ルールでは故意に当たりにいった場合デッドボールにはならず、ストライクかボールいずれかの判定となる。 カナダ人の主審のレベルの低さも災いした。
 互いに絶対に負けられない戦いだった。 そしてまた、往々にしてそういう究極の場面にこそ民族性というのが否応なく滲み出てくるものである。 日本は終始正々堂々と戦い、韓国は姑息で卑劣だった。 「後出しジャンケン」で負ける国があると初めて知った。

 実際に戦った監督や選手、そして日本のマスゴミは「日本と韓国のレベルの差は殆どない」と言う。 しかし僕はまったくそう思わない。 日本は昨年のWBCで世界一になったが、予選リーグではボブ・デービッドソンという糞審判のせいでアメリカに惜敗した。 確かにその試合に限って見れば日本とアメリカの実力差はあまりないようにも思えるが、それでもやはり日本の野球とメジャーの野球には歴然とした差があるのも事実だ。
 日本と韓国の差も同様だ。 野球という競技の性格上、10回戦えば1度や2度負けることはあるが、それでも彼我の実力差は歴然としている。 それは歴史の違いによるものだ。 この差は大きい。 この差をくつがえすために必要なのは、敗戦から謙虚に学び、相手を上回る努力を積み重ね、自らを日々研鑽することしかない。 野球はともかくサッカーでは歴史の浅い日本はまさにこの立場にある。
 そういう地道な努力をせず、毎回毎回姑息な手段で日本につけ込もうして敗れ去り、その敗因を冷静に分析することなく感情を高ぶらせているだけの国に日本が追い抜かれることなど永遠にない。 むしろ日本の野球から既に多くのものを学んでいる台湾や、日本の指導者を招いて野球の強化をはかっているタイなど東南アジアの国々の方が有望である。

 さて、各所で話題に上っている古田の解説?だが、個人的には「オッケーイ!」である。 そのスタイルをサッカー中継における松木のそれとダブらせる論調もあるが、両者はまったく異なるものである。
 これはサッカーと野球の競技上の特性の違いによるものだと思われる。 サッカーと違い、野球はボールが静止している時に解説、動いている時は応援というふうに分けられるため、時折披露した古田の解説?が松木のようなカオスに陥ることはなかった。
 一方で「よっしゃー!」や「オッケーイ!」、「頼む!」などの絶叫もお茶の間の気分を代弁しており、気分を害するような類いのものではなかった。 むしろ「この試合で韓国に敗れると北京への道が絶たれます」と縁起でもないコメントを嫌というほど繰り返したテロ朝実況アナとバランスを保つうえで必要不可欠ですらあったと思う。
 いよいよ来年に迫った北京五輪。 こと野球に限っては、応援団長の座を松岡修造から古田敦也に変更してもいい。
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by theshophouse | 2007-12-05 14:50 | Critique | Comments(0)
バカ親へのレクイエム
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 基本的に子供の名前は親マターだと思うので、どんな名前をつけようがその親の勝手だと思う。 ただ、普通に読みにくい、或いは読めない名前をつけられた子供の側からすると、単なる迷惑でしかないと思う。 そんなのは頭の中がお花畑の親の自己満足、身勝手以外の何物でもない。 だいたい世の中大成している人はみな鈴木一朗のような普通の名前である。 これは、変わった名前の人は大成しないという意味ではなく、名前なんてさほど重要じゃないという意味である。 かつて岡本太郎という普通の名前の芸術家は言ったものだ。 「名前なんてどうでもいいんだ!」と。 そもそも名前など、個体識別ができればそれで良い。 バリ島など行くとカーストの影響もあって長男はみな「ワヤン」、次男は「マデ」、三男は「ニョマン」である。
 最近、モンスターペアレントなるバカ親が跋扈しているという。 この記事のように自分の子供に「普通に読めない名前」をつける親と、「かけっこで優劣がつくのは不平等だからみんなで一緒に手をつないでゴールさせろ」とか「クラスの集合写真の中央に自分の子供が写っていないから撮り直せ」とか「子供がひとつのおもちゃを取り合って、ケンカになる。 そんなおもちゃを幼稚園に置くな」とか「自分の子供が不登校になり、不要になった教科書を買い取れ」などと学校に難癖つけてる親は同類だろう。 ついでに言うと、そういう親は「義務教育なのだから給食費は学校が負担しろ」と、給食費も払わないはずだ。
 ただ、こうして親が必要以上に教育現場に肩入れする背景には教師の質の低下という問題もある。 つまり先生も親も等しく劣化しているのであり、その両者の間にいる子供が劣化してしまうのは当然のことである。
 モンスターペアレントなる現象は、一見すると世間にバカ親が増殖しているという短絡的な見方を生みがちだが、実際は教師と子供と親の三位一体、つまり教育現場そのものの劣化現象なのである。 そしてこれは今に始まったことではない。 その端緒はおそらく戦後の高度成長期の始まりと時を同じくしていると思う。
b0045944_2314244.jpg 僕がこのような考えを持つに至ったのは藤原新也の「東京漂流」を読んでからのことだ。 この本を読むまで、僕は漠然と彼のことをインドやチベットに行って紀行文を書いている放浪作家兼写真家兼画家と思っていたのだが、この本を読んでその認識を改めさせられた。
 彼は常に対象を辺境から眺めている。 それは時にチベットだったりアフガンだったり芝浦だったり房総だったりする。 あえて世界の中心や日本の中心から少しズレた場所から三角測量的な視点で、世界、日本そして東京の位相を鋭敏な感覚で捉えていく。 それはたぶんその対象物の中心に身を置くと見えなくなってしまうからなのだろうと思う。
 藤原は同書において、崩壊していく日本人をその家の崩壊にシンクロさせる。 この場合の家は象徴としての家ではなくアーキテクチュア、すなわち建築としての家である。 かつては人間を開放させる装置であった日本家屋。 それは高度経済成長期において、経済効率すなわち合理性の名の下に崩壊していく。 神棚と縁側を失った日本の家はやがて公団住宅のような集合住居に取って代わられる。 それは日本の家が開放から閉鎖、東洋的不合理性から西洋的合理性へとシフトした瞬間であった。
 振り返って自分の家に目を転じれば、気密性が高いがゆえに外で雨が降り出しても気づかない。 隣家との物理的な接点は少なく、境界域において両者の視線が交わらないように巧妙に計画されている。 すべてはプライバシー尊重とセキュリティ確保のためである。 近所の子供が庭先に紛れ込んでくることもなければ、窓からスキマ風が入ってくることもない。 隣近所に住む人の顔さえよくわからない。
 かつての日本の家にも隣家との境界は存在したが、それはとても曖昧な存在だった。 濡れ縁という存在が象徴するように、建物の内と外との境界ですら曖昧だった。 家は自然の一部であり、地域の共同体の一部だった。 日本人は伝統的にそうした開放的な住環境のなかで隣人との関係や地域のコミュニティ内での対人関係を構築してきたのだが、近代になってその仕組みは失われつつある。 人々には他人との付き合い方を学習する場もなければ、人間関係を構築する場もない。 子供たちが外で元気に遊べるような場所も減る一方である。
 本来子供が行き来する家庭と学校の中間にこうした「場」が存在し、家族生活である家庭の場と集団生活である学校の場を中和し融合させる役割を果たしていたのだが、こうした場が失われたことによって人間関係が家族か学校かという二元的な閉塞状態に陥りつつあるのではないだろうか。 そうした社会的背景のなかで、冒頭に記事を引用した親のように、超個人主義的慢性マンセー病とでもいうような異常人格のバカ親が温室で大量栽培されつつあるのではないか。 考えるだけで背筋が寒くなる。
 人々の暮らしが進歩し発展することで何もかも内向きで閉鎖的なシステムになるのだとしたら、そうしたシステムの中にあってもせめてオープンマインドでいたいものである。
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by theshophouse | 2007-10-29 23:31 | Critique | Comments(8)
或るホームセンター・ジャンキーの妄想
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 僕にとってホームセンターは行くだけで血沸き肉踊る場所である。 多種多様な工具類、ありとあらゆる素材、プロ仕様のアイテム。 それらが使われ、やがては生み出されるであろう創造物に思いを馳せる時、僕の心は果てしない高揚感で満たされるのだ。 こうした一風変わった性向を持つ者は「ホームセンター・ジャンキー」と呼ばれる。 もちろん僕が勝手にそう呼んでいるだけだ。
 僕の日常の行動範囲内にあるホームセンターは、「ドイト」「ユニディ」「ロイヤルホームセンター」「コーナン」「東宝日曜大工センター」の五つ。 それぞれ品揃えは一長一短だが、総合力ではドイトに軍配。 ただ、最近ドイトはドンキホーテ・グループに買収され、店舗網の再編が行われており、僕の行きつけだった青葉台店が撤退の憂き目に遭ってしまった。 今後のクオリティの低下が危惧されるところだ。
 ユニディもドイトに甲乙つけがたいポテンシャルを持つ。 僕が行く狛江店は何と言ってもガーデン売場が充実しており、苗木などの価格は非常に安い。 水性塗料売場では、豊富な色サンプルの中から指定すると、その場で複数の色ネタを混ぜ合わせて調色し、攪拌機にかけてサンプル通りの色を作ってくれたりもする。 寅壱指数、ニッカボッカ指数はかなり高い。
 ロイホ(僕にとってのロイホはロイヤルホストではない)はダイワハウスグループのホームセンター。 僕が行くのは梶ヶ谷店だが、これといって特徴のない平均的なホームセンターである。 通勤途中の場所にあるので比較的よく利用している。 昨年の9月に同じ敷地内にあるJR貨物の梶ヶ谷コンテナターミナルの下を抜けるトンネルで通り魔があり、黒沼由理さんというアルバイトの女性が殺された事件は記憶に新しい。 犯人は未だに見つかっていない。
 コーナンは港北ニュータウン店に行くのだが、とにかくデカい。 しかしながらデカいわりに品揃えはイマイチ。 とにかく僕の欲しいアイテムだけがピンポイントで置いてない。 とはいえ、食品以外の物はほとんど売っているせいかレジャー目的の家族連れが多く、ここに挙げた中ではプロの匂いが最も希薄な店である。
 最後に東宝日曜大工センター。 昔から世田谷エリアに住んでいた僕にとって成城店は一番馴染みの深いホームセンターである。 今でこそ郊外にちょっと足を伸ばせばいくつかのホームセンターがあるが、ひと昔前はここだけだった。 その名前が示す通り、「DIY」とか「ホームセンター」などという言葉がない頃にオープンした店であり、敷地内に隣接する東宝撮影所の大道具さん御用達の店でもある。 敷地内を流れる仙川沿いの遊歩道は桜の名所だ。
 久しぶりにその東宝日曜大工センターに行ったら、隣の東宝撮影所がリニューアルされていてびっくりした。 メインゲートに面する建物の壁面には映画「七人の侍」の大壁画。 警備員の詰所前ではゴジラの等身大?のモックアップが睨みを効かせている。 こういうのを見せられると、かつて斜陽とまで言われた日本の映画産業の復活を実感させられる。
 実は昔、この撮影所でとある映画の撮影現場を見学させていただいたことがある。 撮影スタッフに知り合いがいる友人が誘ってくれたのだった。 映画のタイトルは「山田ババアに花束を」。 当時絶頂期を謳歌していた山田邦子が主演のコメディ映画だった。
 今でも鮮明に蘇るシーンがある。 リビングルームのスタジオセットで見学していた僕ら。 僕はダイニングセットの椅子の背もたれに両手を掛けて撮影風景を見ていた。 やがてセットの中に共演の西田ひかるが入ってきて、僕から5メートルぐらい離れた場所にあるソファに座って台本片手に台詞の練習を始めた。
 人気アイドルとの予想外の遭遇に心の中で「ラッキー!」と叫んだ僕だったが、やがて西田ひかるは立ち上がり、遠巻きに見ていた僕と一瞬アイコンタクトした(事実です)のち、なんと僕の方に真っ直ぐに歩み寄って来て、僕が両手を掛けていた椅子に座り(!)、僕の目の前30センチで台詞の練習を再開したのだった。
 僕はそのあまりの距離の近さにビビり、自ら少し離れた場所に「撤退」した。 その後彼女と視線が合うようなことはなかったが、当時いたいけな青年だった僕は大いに妄想を膨らませたものだった。 曰く「あの視線はぜったい僕に気がある」だの「あの椅子に座ったのは僕の近くに来たかったからに違いない」だの。 挙げ句の果ては、いつか彼女と運命的な再会を果たし、あの撮影所での「初対面」の時を互いに回想する二人の姿を夢見てみたり・・・。
 冷静に考えてみれば、台本片手の女優が台詞を読みながらセット内での位置を確認していたに過ぎなかったのは明らかだが、僕がそのように冷静になれるまでにはしばしの時間が必要だった。 つまるところ女優とは一瞬の目配せで男を虜にする生き物なのだろう。
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by theshophouse | 2007-10-27 01:17 | Critique | Comments(2)
僕は氷、君はウイスキー。
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 先日「ブロードキャスター」を見てたら、久保純子が有楽町再開発の取材に絡めてガード下の飲み屋を取材していた。 久保純子はああいうガード下の飲み屋の猥雑な雰囲気が大好きらしく、オヤジたちに囲まれて目を輝かせていた。 今や死語になってしまったが、一昔前なら確実に「オヤジギャル」と呼ばれる部類だろうと思った。
 オヤジギャルは苦手だ。 もし仮に自分の好きな女性とたまたまこういう飲み屋に来る機会があったとする。 そんな時の女性の態度としては、「ワタシこういう雰囲気も嫌いじゃないけど、あなたに連れてきてもらわないと来れないわ。」というのが理想だ。
 のっけから「ワタシこういう小汚いとこはイヤ」と断罪されるのも切ないが、「ワタシガード下大好き!」というのはもっと興醒めだ。 つくづく男とはロマンチストで勝手な生き物である。

 最近オンエアされているサントリー角瓶のCM。 小雪が「わたしは氷、あなたはウイスキー。」と言うアレ。 今まで小雪が出ているいろんなCMを見たが、あのCMで初めて彼女に魅了された。 こんなことを白状するのは、自らを完全にオヤジだと自覚したからである。 無論40過ぎでオヤジでないはずがない。 以下はそのCMを見た直後の僕とヨメの会話。

 僕 「このCMの小雪っていいよね。」
 ヨメ 「オヤジの夢が全部詰まってるCMだね。」
 僕 「・・・・・。」

 まず、うちのヨメは女性であり、しかも下戸である。 目の前で頬を薄っすらと赤らめたほろ酔い気分の小雪に「本当は年下が好きだったのになあ」と言われた日本中のオヤジの心の内で、理性という防波堤が音を立てて崩壊していくさまを正確にわかろうはずもない。
 このCMが世のオヤジにとって心地良いのは、自分の中で何かが瓦解していく気分を味あわせてくれるからだろう。 つまりこのCMはオヤジの立場からだと「僕は氷、君はウイスキー。」なのである。
 誰だって少なからず自己破壊願望を持っているものだ。 そして何もかも失った先に、それでも小雪のような女性がそばにいて微笑んでいてくれるのなら、そんな人生も悪くない。


「わたしは氷」篇(30秒)を見る
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by theshophouse | 2007-10-17 12:12 | Critique | Comments(2)
なぜ「華麗なる一族」は華麗にスルーされているのか?
b0045944_2341265.jpg 連続ドラマっていうのは一話目を観れば面白いか否かの判断がつくもの。 元々そんなにドラマを観る方ではないのだが、今やっているので面白いのは「ハケンの品格」と「東京タワー」。 ちょっと前だと「結婚できない男」は面白かった。
 公務員みたいに定時で仕事を終われるわけではないし、新ドラマの初回を欠かさずチェックしているわけでもない。 一度も観なかったドラマがほとんどだし、たまたまその日に飲みに行ったりすると1週や2週飛び飛びになってしまうこともある。 ただ、面白いドラマというのはそれがたとえ3回目から観始めたとしても面白いものである。
 中国ロケに、細部まで本物志向にこだわったセット、超豪華キャストと話題満載でスタートしたTBS開局55周年記念特別企画の「華麗なる一族」。 同局が流す洪水のような番宣に洗脳されてついつい初回を観てしまったのだが、キムタク演じる主人公の万俵鉄平の祖父の肖像画のクオリティに打ちのめされて、それきり観るのを止めていた。
 ところが昨日、この時間帯の他局にはあまり観たい番組がないので、ザッピングしつつ結局は消去法的にチャンネルを合わせてしまった。 「華麗なる一族」がなぜ華麗にスルーされているか探るためにである。 もしこのドラマの視聴率の数字がそんなに悪くないとすれば、それは僕みたいなのが多いからだろう。
 久しぶりに見た「華麗なる一族」は相変わらず退屈なドラマだった。 今は死語なのかも知れないが、「ドラマのTBS」の威信を賭けて世に問うたはずの大作はなぜここまでコケてしまったのか。 中途半端な時代考証、ミスキャスト、キムタクそのもの、いろんな説があるがどれも正解だろう。 各方面の出来の悪さが渾然一体となってこのドラマをダメにしてしまった。 出来が悪いのの集大成みたいなドラマである。
 このドラマを観ていて感じるのは、けだるい午後の昼下がりのあの時間帯と同じ。 時代設定や出演者の重厚長大に過ぎる台詞回しなんかはちょうど「花王午後の劇場」なんかでもたまに見る、戦前から戦後にかけての近代日本における財閥や貴族や名家を背景にしたドラマのパターン。 つまりはそうした「真珠夫人」的な昼メロの豪華版とでも言おうか。 とはいえ、昼間にやってるわけじゃないので夜メロとでも言いましょうか。 少なくともかつてこの「華麗なる一族」を映画やドラマで観た世代には著しく不評のようである。 
 対照的に初回から惹き込まれたのはNHKの「ハゲタカ」。 一昨年の「クライマーズ・ハイ」でも存在感のある芝居を見せた大森南朋が外資系のファンドマネージャーとして、かつて自分が所属していた銀行の上司であった柴田恭平と渡り合う。 脚本がいいのは言うに及ばないが、NHKにはこういう社会派ドラマの有能な作り手がいるらしい。 安易に韓国ドラマ枠などつくらずにこういう質の高いドラマを提供してくれるのであれば、受信料を払ってもいいかなと思った。
 「華麗~」を万俵家一族と当時の金融界の内幕を描いた経済小説と捉えるなら、この「ハゲタカ」も真山仁の経済小説がベースになっている。 かたやオリンピック景気後の一時的な景気後退期、かたやバブル崩壊後のマイナス成長期と、ともに景気が低迷した時期の話だが、同じ金融界の話でも「華麗~」の方が古臭く感じてしまうのは否めない。 TBSは、松本清張の「砂の器」ですべての時代設定を現代に置き換えることで極めて今日的な質の高いサスペンスドラマをつくった実績があるのに、「華麗~」ではキムタクとスケール感に固執するあまり、大作を陳腐なものにしてしまった。
 観る方は言いたいこと言って気楽でいいが、いいドラマをつくるって難しいものである。


TBS 日曜劇場「華麗なる一族」
土曜ドラマ「ハゲタカ」
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by theshophouse | 2007-02-19 23:41 | Critique | Comments(4)



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