Top
カテゴリ:昭和( 10 )
大関飲んだことはないけれど・・・




 38年前の田宮二郎ヴァージョン覚えてる俺・・・。
 その後何度もリメイクされた「クイズタイムショック」の初代司会者であり、なんといってもテレビドラマ「白い巨塔(1978年)」の財前五郎役であり、これも後に唐沢寿明主演でリメイクされた。
 このCMのみならず若尾文子との共演が多かった田宮二郎、下戸で酒はほとんど飲めなかったという。
 1978年12月28日、ベッドの中で趣味のクレー射撃で使っていた愛用のショットガンの銃口を自らの心臓に当て、引き金を足の指で引いて絶命した。 白い巨塔で田宮演じる財前が死ぬ最終回は田宮が自殺した9日後の1979年1月6日に放映された。
 田宮が熱望するも叶わなかった「華麗なる一族」の万俵鉄平役同様そのリメイク、ジャニタレには荷が重い。
[PR]
by theshophouse | 2010-04-28 10:44 | 昭和
アパッチ野球軍

                  飯場育ちのハッパムシムシってw

 なぜか再放送された記憶がない「アパッチ野球軍」。 その理由は差別的な表現が多いからだという。 本当にそんなことが理由で再放送されないのならこんな悲しいことはない。
 網走、材木、モンキー、ハッパ、オケラ、大学、花子、モグラ、ダニ、コウモリ、ダイコン、コケラ・・・。 登場人物のネーミングだけでもうお腹いっぱい。
 甲子園を舞台に行われる春の選抜高校野球選手権大会、夏の全国高校野球選手権大会はそれぞれ毎日新聞社、朝日新聞社の主催である。 例外なく丸坊主、例外なく白いユニフォームに身を包み、例外なく爽やかな高校球児たちだけは、今という時代から取り残されたように白球を追い続ける。 まるでそこだけ時が止まったかのように、その姿は50年前とほとんど変わらない。
 本作は、そんなロクでもない(変態&売国)新聞屋が主催する高校野球の在り方へのアンチテーゼととることもできるが、その立ち位置はあまりにも対極だった。
 もはやふたたび日の目を見ることはないだろうが、愛すべき作品である。
[PR]
by theshophouse | 2009-05-16 00:04 | 昭和
侍ジャイアンツ


 僕にとって巨人が舞台の野球アニメというと「巨人の星」よりむしろ「侍ジャイアンツ」の印象が強い。 ストイックな星飛雄馬よりも、天衣無縫な番場蛮のキャラが性に合ったからかも知れない。
 元々巨人嫌いだった番場がジャイアンツという大きな鯨の中に自ら飛び込み、中からそのはらわたを掻っ捌いて生還するという野望。 それは番場が忌み嫌う権威主義の象徴であった巨人軍を内側からぶっ壊すことだったのだが、眉月、大砲、ウルフらライバルたちとの運命的な出会いが番場を反逆者から求道者へと変える。
 オープニングテーマも好きだった。 前期の「ズンタタター♪ ズンタッタ♪」も良かったけど、やはり後期のオープニングテーマが格好いい。


 神宮球場左翼席。 ジャイアンツの応援歌として今でも歌われているみたいだ。
 巨人は「特亜の空砲」が入団してからというもの例の法則が発動して視聴率はガタ落ち、今や地上波でテレビ中継する機会も激減した。 僕も以前にも増して嫌いになった。 早いとこチーム生え抜きの日本人の4番を育てて欲しい。 でなきゃ「不滅の巨人軍」は永久に戻ってこない。
 振り返ってみれば、落合がFAで入り、弾き出されるように原がポジションを失ったあたりから巨人はおかしくなり始めた。 いま巨人の監督を務める原が「最後のチーム生え抜きの4番」だった。 だからこそその重要性はよくわかっているはずだ。


 当時、この番場とウルフの対決にはシビれた。
 ところでこのウルフ・チーフ、釣男に似てると思ったのは僕だけだろうか。

 ありがたいことに現在ようつべでこの「侍ジャイアンツ」の最終回を観ることができる。
 おそらく近々削除されてしまうと思われるので、番場蛮のファンだった方はお早めに。

 侍ジャイアンツ 最終回(1/3)【YouTube】
 侍ジャイアンツ 最終回(2/3)【YouTube】
 侍ジャイアンツ 最終回(3/3)【YouTube】
[PR]
by theshophouse | 2009-05-14 23:30 | 昭和
にわかせんぺい(ノД`)
 故郷である福岡を離れてもう20年になる。 こっちであと2年も暮らせば、東京で過ごした時間の方が長くなってしまう。 だが、未だかつて自分を東京の人間だと思ったことはない。 やはり根っこの部分は福岡で、あくまで東京に住んでる人間といった感じだ。
 日常生活で博多弁が出ることなどないが、これは東京に出てきた当時からそうだった。 これは鮎川誠以外の福岡県人にとってはごく普通の感覚と言ってもいいだろう。 地方の人が東京に出てきた時の言語感覚でいうなら、自分の言葉が標準語とばかりにそのまましゃべる関西人、本当は隠しているつもりがついついでてしまう東北人、とにかく標準語をしゃべろうと努力する九州人という感じだろうか。 もっともこれはあくまで僕個人が感じている印象であって、実際そうなのかはわからない。 むろん東京の言葉がすべて標準語というわけでもなく、それは多分に東京弁的なものも混じっているのだろうと思う。 そもそも「標準語」という概念自体に無理があるのかも知れない。
 言葉っていうのは不思議なものだ。 東京のどこかで、雑踏のなか通り過ぎる誰かと擦れ違う時、もう自分が長いこと使ってなかった言葉がふと聞こえると、何かのスイッチが入ったように故郷に思いが飛ぶことがある。 聴覚や嗅覚にまつわる記憶は、視覚のそれよりも時に鮮烈な印象を残すものだ。
 最近、思いっきりスイッチを入れられたのがこれら福岡のローカルCMである。 懐かしさと望郷の念を同時に思い起こさせてくれるCMである。 未だにいずれのCMソングも完全に歌いきることができる自分にワロタw


    にわかせんぺい

      コラ!けんじ!
      またケンカしてきたっちゃろ!?
      かあちゃんな、よそん人と会うたんびに、ほんなこと恥ずかしか思いばっかしようとよ!
      はよことわりば言うてきんしゃい! はよ!
      たまにはケンカにま~けてこ~い~♪


    福岡銘菓CMメドレー



 いずれも福岡以外の方は( ゜Д゜)ポカーンだと思います。 すみません。
[PR]
by theshophouse | 2008-09-23 20:21 | 昭和
波平の説教部屋
b0045944_2041376.jpg
 「アニメサザエさん展」に行った。
 会場である長谷川町子美術館は自宅から歩いて10分ほどのところにある。
 以前にも書いたように僕はサザエさんが好きだ。 今でも日曜の夕方にテレビが見れる状況であれば必ず観ている。
 サザエさんは1946年(昭和21年)、福岡の夕刊紙「夕刊フクニチ」紙上で連載が始まった。 したがって人物設定上ではサザエさんも福岡出身であり、その後東京に引越したという点も僕と同じである。 これは、佐賀に生まれ幼少時に福岡に引越し、その後東京に引越してきた作者・長谷川町子さんの来歴とも重なる。
 春にも常設展を見に行ったが、夏休み恒例のこの企画展を見に行くのは初めて。 たまたま今年は「サザエさん」放送40周年の節目に当たることもあって展示もなかなか面白かった。
 「波平の説教部屋」では波平の前の卓袱台に置かれたおはぎを失敬しようとすると「バッカモーン!」と叱られる。 波平役の声優である永井一郎さんがこの企画展のために吹き込んだ「吹き込み下ろし」である。 波平に叱られて、説教部屋と雷おやじの必要性を再認識させられた。 かつてはどこにでもあったこの「家庭内司法システム」が消滅しつつあることが、今の子供たちの教育に影を落としているような気がしてならない。
 また、大抽選会では大当たりのセル画を狙いにいったものの残念ながら外れ、放送で実際に使われたフィルムを再利用したしおりが当たった(空くじなし)。
 さらに「花沢不動産あさひが丘分譲」では、サザエさんの住む街に家を建てることもできる。
 まず三角屋根の家とカマボコ屋根の家の2種類の家屋の躯体を受け取り、家屋にマジックで好きな色などを塗って仕上げる。 次に受付に完成した家屋を持ち込み、分譲地の抽選くじを引いて土地の権利証を貰い、あさひが丘のジオラマ上の引き当てた区画のなかで自分の好きな場所を指定し、係の人に接着剤で家屋を固定してもらうのである。 僕の家は「あさひが丘7丁目2番」の区画の角地になった。
 この「花沢不動産あさひが丘分譲」は大好評で、既に第3期分譲となっている。 実生活では分譲物件の抽選の経験などなかったせいか、くじを引く瞬間にどこか緊張している自分の小物っぷりには思わず呆れた。 生来のくじ運の無さも手伝って、駅から至近の好物件というわけにはいかなかったが、とりあえずめでたくあさひが丘の住人となった。
b0045944_2041424.jpg
                     タカノビッチの「タ」です。
b0045944_20451328.jpg
 この他、パネル展示である「アニメサザエさんの歴史すごろく」では放送40年の歴史を、「アニメサザエさんのうちあけ話」では磯野家の知られざるエピソードをそれぞれ見ることができる。 サザエさんとマスオさんがデパートの食堂でお見合いしたことなどを知った。
 東京の人はだいたい知ってると思うが、長谷川町子美術館は作者の長谷川町子さんが長年暮らした世田谷区桜新町にある。 サザエさんに出てくる魚屋さんの「魚徳」や酒屋の「三河屋」さんもある。 「魚徳」はいつもサザエさんが魚を買いに行く魚屋さんだったが、今では旬の魚を炭火で丁寧に焼いて出してくれるシンプルな魚料理屋さんになっている。 店に入ると魚の冷ケースが鎮座している(販売もしている)が、その奥にはカウンターとテーブル席があって美味い魚を食わせてくれる。 店内にはマスコットなのか犬もいる。 冷ケースの奥にあるのは桜新町の大人の隠れ家だ。
 「三河屋」は数年前まであったのだが、今では「セブンイレブン サザエさん通り店 三河屋」になってしまった。 当時のバイト先の事務所から246に出る途中にあったので、いつも「ここがあの三河屋か。 御用聞きのサブちゃんが飛び出して来ないかなあ。」などと思いながら通り過ぎていた。 この三河屋さんが営業していた頃、サザエさん通りに掲げていた看板(中に蛍光灯が入る内照式看板)は、この桜新町出身の漫画家・やくみつる氏のコレクションに加えられた。 ちなみに三河屋さんのご主人はセブンイレブンの2階にお住いとのこと。
 この「アニメサザエさん展」の期間中、桜新町のあちこちに磯野家の面々の等身大パネルがある。 駅の出入り口付近にサザエさん、お寿司屋さんの軒先にマスオさんとフネさんとタラちゃん、酒屋の店先にカツオくん、八百屋の中にもマスオさんという具合だ。 桜新町の各所に設置されているこのパネルを探して歩くのも楽しい。
b0045944_20432835.jpg
b0045944_20435246.jpg
b0045944_2044611.jpg
 サザエさん展に行って気づいたことがある。 老いも若きも展示を見ている人の顔がみな笑顔なのだ。 サザエさんが人々にいかに愛されているかあらためて実感し、人を笑顔にする仕事の素晴らしさを思った。
 会期は8月31日まで。 あなたも暑気払いに波平に一喝されに足を運んでみてはいかがだろうか。


俺の名はサブ
[PR]
by theshophouse | 2008-08-14 13:38 | 昭和
アスレチックランドゲーム
b0045944_156504.jpg
 僕が子供の頃は、テレビゲームなどといっても歯医者の息子ぐらいしか買えない代物だったし、せいぜいテニスかブロック崩しぐらいだった。 ちなみに、その歯医者の息子の家には超音波リモコンでガチャガチャとチャンネル操作ができるテレビがあった。
 家にあるゲームといえば、男の子の場合野球盤と人生ゲームの二つが代表格で、それ以外は各々自分だけが持っているゲームというのがあって、仲良しグループの間ではダブって買わないようになんとなく役割分担ができてたような気がする。
 で、当時僕が持っていたのがエポック社の「消える魔球の野球盤」や「パーフェクション(写真下)」やトミーの「アスレチックランドゲーム(写真上)」だった。 で、友達の家には「人生ゲーム」とか「魚雷戦ゲーム」とか「億万長者ゲーム」などがあった。
b0045944_2123555.jpg
 あらためてこうして書き出してみると、友達の家にあったのは知性を刺激するようなゲームばかりだったのに、自分の家にあったのは反射神経を養うようなゲームばかりだったという事実に気づく。 もしこれが逆だったらもう少し違う人生になっていたかも知れない。 子供の頃どんなゲームで遊んだかは、その後の人生を大きく左右するというのが僕の持論だ。 したがって、テレビゲーム全盛の今の子供たちは、どんなゲームをしようが見つめる先には必ずディスプレイがあり、指先が触れるのは必ずコントローラーのボタン、ということになる。 で、こうした状況下で長時間それに熱中すると立派なゲーム脳ができあがるというわけだ。
 それはさておき、このアスレチックランドゲームは、僕ではなく僕より9つ下の弟の為に父親が買ってきたゲームだった。 やはり同じ頃日本中でブームとなっていたフィールドアスレチックを卓上ゲームにしたものである。 思えばこの頃日本中に雨後の筍のごとくフィールドアスレチックができた。 当時僕もあちこちで挑戦したものだが、今でもちゃんと残っているのだろうか。 全身を使って様々な障害をクリアしていくフィールドアスレチックは、ゲーム脳にならないためにも最高の遊び場だと思う。


海外でも「Screwball Scramble」という名称で親しまれてたようです。


これは懐かしい(涙)。

[PR]
by theshophouse | 2008-08-13 01:57 | 昭和
ゲイラな日々
b0045944_16535518.gif
 昭和40年代から50年代に少年時代を送った人ならみなだいたい似たようなものだったと思うのだが、僕の場合も主要な遊びはビー玉、コマ回し、三角ベースといったアウトドア志向のものだった。 しかし、同じアウトドアの遊びでも何故か凧揚げはあまり普及していなかった。 宅地化が進み、自由に凧揚げできる場所が急激に少なくなっていった時期でもあった。 僕も空き地を見つけては自作の凧を揚げてみたりしたことはあったのだが、なかなか思うように飛んではくれず、いつも走り疲れてはくたくたになっていた。
 そんな1974年、「ヒューストンからやって来た!」というキャッチフレーズとともに、突然僕らの前に現れたのが「ゲイラカイト」だった。
 あの独特の血走った目は子供心にかなりのインパクトがあった。 また、松崎しげる風の歌声の「飛べ~飛べ~♪ゲイラ~飛べ~♪」というCMソングも忘れることができない。
 そもそもなぜあそこまで血走った目にする必要があったのだろうか? 今にして思えばあれは鳥を威嚇して近づけないためのものだったのではないか、などと考えてみたりする。
 当時はあまりの大流行に多くのバッタ物も出回った記憶がある。 運悪くバッタ物を掴まされた友達が「お前のそれゲイラじゃないよ(笑)」とツッコミ入れられて泣かされてたのを思い出す。
 ゲイラはとにかく高く揚がる。 揚がり過ぎていつも凧糸は限界まで出し切っていた。 風を受けて暴れるゲイラに体ごと持っていかれることもしばしばで、小さな空き地などでは電線も多くて揚げるのは不可能。 大流行した年、日本中の電線はゲイラの墓場と化した。 当時の電力会社の人たちの労苦が偲ばれる。 「ゲイラは狭い場所では無理」と悟った僕たちはみな手に手にゲイラを持って、放課後の休耕田に向かったのだった。
 稲の切り株につまづきながら、ひたすら上空の奇怪な目と対峙した日々。 迫る夕暮れにゲイラの視線が霞み始めた頃、糸を巻いて家に帰った。 あの頃はすべてがシンプルだった。 


ゲイラカイト|株式会社エー・ジー
[PR]
by theshophouse | 2008-03-05 17:25 | 昭和
魅惑の駄菓子屋ルーレット
b0045944_135449.jpg
 ギャンブルとは縁がない。
 パチンコ屋なんて日本からひとつ残らず消え去ってくれたらどんなにいいかと思う。 ほとんどすべての人間にとって、あの騒々しい台の前で過ごす時間は無意味で非生産的であり、一握りのプロやゴト師を除き、ほとんどの場合その収支決算は赤である。
 景品を現金化するプロセスもいまだ前近代的でいかにもアンダーグラウンド。 不健康極まりない。 こんなものが無ければパチンコ屋の駐車場で炎天下のクルマに監禁されて脱水症状で死ぬ子供や、親が目を離した隙に誘拐されて殺される子供はいなくなる。 なにより、テレビで毎日毎日ゴールデンタイムに繰り返しオンエアされるあの訳のわからないパチンコのCMが無くなる。 いくら文化国家を気取っていても低俗な遊戯機のCMがバンバン流れているようでは国家の品格などあったもんじゃない。
 スポーツとしての競馬は好きだが、たまにGⅠを場外で買うぐらい。 宝くじはたまにサマージャンボや年末ジャンボを買ってはみるものの、当たったためしがない。 市況を見るのは好きだが、株の運用は専属のファンドマネージャーに任せている。
 唯一自分がハマりそうなのは丁半博打だ。 昔とあるイベント会社のパーティーの余興で参加者全員時代劇風にコスプレしてやったら面白かったからだが、さすがにこれは実現不可能。 いかにも腹に一物ありそうな胴元、謎の女壷振り師、賭場荒らし、イカサマ師、黒い眼帯で片目を覆った用心棒。 「その勝負、ちょっと待った!」の声とともに脇差し一閃、畳の上で壷ごと真っ二つに割れたサイコロの中には鉛の玉。 「イカサマだ!」「やりやがったなこの野郎!」 ひっくり返される畳を合図に全員入り乱れてのバトルロイヤル。 「御用だ!」「御用だ!」 申し合わせたように飛び込んでくる奉行所の面々。 血沸き肉踊る賭場の光景には何かしら強く惹かれるものがある。
 そんな僕だが、現実に最も投資し、その投資に見合うようなリターンがまったく得られなかったにも関わらず、かなりの期間毎日のようにのめり込んでいたのがこのマシンである。 何度このマシンの前で苦汁を舐めさせられ、そしてまた歓喜の雄叫びをあげたことか。
 毎日毎日学校から帰ると、おじいちゃんやおばあちゃんに50円か100円の小遣いをもらって近所の駄菓子屋に直行し、かなりの時間をその駄菓子屋で過ごしていた僕だったが、このルーレットマシンはその駄菓子屋の店先にあった。
 配当はメダルによって支払われるが、このメダルはこのマシンを使うためだけにしか使えない。 すべての収支がこのマシンの中で完結する。 友達にボンボンがいて、平気で10点買いなどしているのを横目に堅実な僕は1点買い。 それでも運良く的中し、メダルが1枚1枚吐き出されてくるあの機械的で大袈裟な「ガッチャン、ガッチャン」という音にすっかりやられてたびたび破産に追い込まれた。
 あの時期、あの駄菓子屋のおばちゃんに日々の糧を与えていたのは間違いなく僕らのなけなしの小遣いだった。
[PR]
by theshophouse | 2008-03-03 01:43 | 昭和
ターンテーブル
b0045944_3152515.jpg
 最近ターンテーブルを買った。 Victorのやつでボディが木製でダイレクトドライブの重厚なやつを持つには持っているのだが、フォノイコライザーの具合が悪くなったので、この際デスクトップに置けるものを新たに買うことにしたのである。
 このご時世にターンテーブルなんて売っているのかしらと探してみると、なんのなんの。 天下のTechnicsから聞いたこともない怪しいメーカーまで百花繚乱、上は数十万もする高級機種から下は1万円でおつりがくるものまでなかなか充実のラインアップなのである。
 デジタル時代を反映してか、パソコンのUSBに直接繋げられ、しかも取り込んだアナログ音源をWAVやMP3ファイルに変換するソフトまで同梱されているものもある。 これなら自分の持っているレコードの音源をipodに落とすという果てしなく面倒臭そうな作業も楽勝だ。 当然ながら、ターンテーブルの世界も僕の知らない間に着々と進化しているようである。
 選択の基準としては、スクラッチをするわけでもない(笑)のでベルトドライブでOKなのだが、テーブルの上に置くので場所を取るフォノイコライザーは内臓されているものがいい。 デザインはもちろん価格も手頃なものがいいし、Made in Japanが望ましい。
 結局選んだのはVestaxのターンテーブル。 世田谷区の若林にある本社は今住んでいる用賀からも近い。 決して「ご近所つながり」で選んだわけではないが、クルマで本社の前を通るたびに「Vestax」のロゴの刷り込みを受けていたことは否定できない。
 部屋にベスタクスが来て以来、古いレコードを引っ張り出しては聴いている。 その昔タワーレコードで買い集めたブルーノートやプレスティッジ、ヴァーブの名盤は時代を感じさせないし、90年代のNU GROOVEやSTRICTRY RHYTHMのハウスは、若かりし頃クラブ通いをしていた時代の忘れ形見である。
 スペクトラムとかスネークマン・ショー、クラフトワークも長い眠りから覚めて日の目を見た。 どうせ何処にも出掛けぬ寝正月。 この際久々に黒盤に針を落としてみようと思う。
[PR]
by theshophouse | 2007-12-31 02:04 | 昭和
点と線
b0045944_23454227.jpg
 ドラマ「点と線」を観た。
 物語の発端となる香椎は少年時代から大学生の頃までよく遊んだ街だ。 佐山とお時の遺体が発見された香椎海岸。 そのもう少し北側で小学生の頃は水中メガネをして銛を持ち、素潜りでよくカレイなどを獲った。 船虫の大群に遭遇したこともあった。 海岸沿いの牧の鼻公園のそばには、友達の間で「中国人の別荘」と呼ばれていた廃墟があり、そこには中国人の幽霊が出るという噂で、当時よく探検したものだ。
 国鉄香椎駅と西鉄香椎駅のオープンセットも懐かしかった。 昭和30年代の設定だが、いずれも僕が香椎で遊んでいた昭和60年代にもまだそのままだった。 西鉄香椎駅などはつい最近まで劇中にも出てきた旧駅舎だった。
 なかでも駅前の中華料理屋「宇宙軒」のセットは特に懐かしかった。 この宇宙軒の向かいにはコトブキというケーキ屋さんがあって、高校の時そこでアルバイトしていた女の子を好きになり、学校帰りに道を挟んだ宇宙軒のそばからその姿に長いこと見とれていたりした。 今でいうストーカーである。
 大学生の頃はもっぱら合コンや飲み会の場所だった。 仲間とバンドをやってたので、ヨシダ楽器店の狭いスタジオはよく利用した記憶がある。
 うちのおばあちゃんは香椎のことを浜男(はまお)と呼んでいて、子供の頃よく「浜男のスーパー」でピロシキを買って来てくれた。 僕はこのピロシキを食べるのが何よりも楽しみだった。 この世にこんなうまいものがあるんだと思った。 あのスーパーはまだあるのだろうか。
 今の香椎には、松本清張が「点と線」で描いた当時の面影はもうない。 JRと西鉄の駅舎は建て替えられ、香椎浜には埋め立てで人工島が造成されたらしい。 人の世は常に移ろいゆくものだが、僕がたかだか20年前に見た風景ですら、その一部は既に存在しない。 あの頃は元気だった祖父母も、若かった父親も、もうこの世にはいない。 僕も歳をとった。 すべてはもう帰ってこない。
 戦前戦中まで遡れば途端に自虐的になるのが日本人の常だが、「三丁目の夕日」のように、あの時代は今を生きる日本人が初めて「あの頃は良かった」と思える時代なのかも知れない。
 翻って今という時代を眺める時、その変化のスピードについていけない自分がいる。 経済効率や利便性だけが唯一の物差しとなり、街の風景は平板で画一的なものになりつつある。 様々なコミュニケーション・ツールの発達は、逆に人々から生きた言葉や裸の付き合いを奪いつつある。
 今の時代をのちに振り返った時、そこにいくらかのノスタルジーをもって「あの頃は良かった」と思えるだろうか。 今を生きる人間の一人として、今がそういう時代であって欲しいと思う。
[PR]
by theshophouse | 2007-11-27 00:02 | 昭和



思うところを書く。
by theshophouse
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
Critique
Asian Affair
蹴球狂の詩
Odyssey
Photographs
Iiko et Tama
Non Category
Food
Mystery
Design
アジア人物伝
Alternative
Books
Movie
Sounds Good
昭和
モブログ日報
F1
号外
Profile
以前の記事
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月
2001年 10月
フォロー中のブログ
国境の南
osakanaさんのうだ...
青いセキセイインコ推定4...
THE SELECTIO...
V o i c e  o...
わしらのなんや日記
90歳、まだまだこれから...
午前4時から正午まで
藪の中のつむじ曲がり
PISERO しゅうまい...
最新のトラックバック
エス東京オフィス
from はるの日常
才色兼備な「タイのセレブ..
from Boochanの宝探し
チベットでのジェノサイド
from わしらのなんや日記
経済別に選びたい放題!チ..
from Boochanの宝探し
IKEA for ママゴト
from わしらのなんや日記
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧