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カテゴリ:アジア人物伝( 11 )
Ichiro the legend
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 イチローが前人未到の9年連続200安打の偉業を達成した。 ウィリー・キーラーが1894年から1901年に記録した8年連続を108年ぶりに更新した。
 これまでにもイチローからは言葉にできない大きなものをいっぱいもらっている。 今年はWBCでの決勝タイムリーで既にお腹いっぱいだったから、言うなればこれは特上のスイーツ(笑)である。
 イチローについては数多の専門家が分析し尽くしているので、今さら僕のようなド素人があらためて申し上げるようなことは何もないのだが、その現象面においてそうした専門家の方々があまり言及していないと思われるのが「自打球に当たらない」ということではないだろうか。
 とはいえもちろん僕もイチローの全打席をフォローしているわけではない。 ためしに「イチロー 自打球」でググってみると、練習中やオープン戦で当てたことはあってもシーズン中に当てたという記述は出てこない。 つまりそれはイチローのバットコントロールが並外れていることを表している。
 平凡な選手は、打席に立った時にピッチャーに近い側の足先に自打球が当たることを恐れ、大袈裟なプロテクターをつけているものだが、それは自分で「私はバッティングが下手です」と申告しているようなものだ。 また、一塁ベースまでのスピードを重視するイチローにとって、足のプロテクターは文字通り足かせになりかねない。 
 一方でイチローが身につけているのは、ヒットを打って出塁した時に塁上で外す動作がルーティーンとなっている肘のプロテクター。 デッドボール対策だが、右肘が彼のバッティングのメカニズムなかで基幹部位に当たるからではないだろうか。
 マリナーズの地元紙「シアトル・タイムズ」(12日付)によれば、「イチローの記録は米国ではほとんど注目されていない」という。
 彼らがイチローのこの記録の凄さに気づくのは100年後か200年後にこの記録を破る選手が現れた時なのかも知れない。 ちょうどイチローが塗り替えていく記録がウィリー・キーラーやジョージ・シスラーの記憶を呼び起したように。
 一人の日本人としてその偉業達成に心からおめでとうと申し上げたい。
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by theshophouse | 2009-09-15 00:13 | アジア人物伝
Attasit Pokpong
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 タイに Attasit Pokpong (アタシット・ポクポン)というアーティストがいる。
 彼の作品を初めて見たのは2008年、ラングーンからの帰りに立ち寄ったバンコク、チャトゥチャックのアートエリアにあるギャラリーでのこと。 東洋人の少女を描いた一連の作品群が僕の足を止めた。
 彼は東京のタイ大使館の招きで来日してペインティング・パフォーマンスをした経歴もある、タイの現代美術の旗手である。
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 まずは彼のキャンバスを飾ることができる壁と空間を手に入れることが先決だ。
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by theshophouse | 2009-05-23 00:49 | アジア人物伝
ダライ・ラマ法王 色即是空 空即是色
 ダライ・ラマ法王猊下の東京公演「心の本質は光」に行ってきた。 場所は両国国技館。
 席に座って開演を待っていると、いきなり目の前に一粒のキャラメルが差し出され、思わず隣の人を見たら、そのまた隣の人からのおすそわけであった。 一目見てチベットの方だとわかる顔立ちだった。 会場には外国人(特定アジア人を除く)も多かった。
 登壇された法王は来日される直前に胆石を除去する手術を受けられており、健康状態が心配されたが、思いのほかお元気そうであった。 まさか法王が中国産の粉ミルクなど口にする機会はないと思うが、何しろ代わりのきかない存在ゆえ、十二分注意していただきたいものである。 中国産のメラミン入り粉ミルクは胡錦濤が責任を持って一人で全部飲むべきだ。

 話は専門的かつ難解だった。 以前読んだ法王の著作はたまたま比較的平易に書かれていて理解できたものの、今日の講話は英語以外にサンスクリット語の口述も多く、法王自身もすぐそばに座らせた側近の僧侶(彼の英語は聞きとりやすかった)に一語一語確認しながら正確に話すことを心がけておられたように見えた。
 内容が内容だけに、法王もある程度まとめて話をされ、それに続いて通訳の方が長いセンテンスを一気に翻訳するので、その間法王はどうしても手持ちぶさたになってしまうのだが、その時間を「利用」して観客に手を振ったり、頭につけたヘッドセットをいじってみたりと、なかなかおちゃめな感じだった。
 最初の頃こそ僕の稚拙なリスニングでも法王独特のチベタン・キングス・イングリッシュが理解できたものの、話が次第に専門的になっていくにつれてついていけなくなってしまった。
 チベットの政治と宗教の指導者であり象徴であるダライ・ラマ14世。 我々日本人はそうした法王に対しついつい何らかの超自然的な力の存在を期待しがちだが、法王自身は極めて科学的かつ実証的であり、そういう手合い(超自然的な力の持ち主)についてはその多くが危険な存在であり、そうした人物については常に懐疑的な立場であると言われた。 また法王は自身についても「just human being」という言葉を用いて自分は何ら特別な存在ではないと話された。
 しかしながら、そうした話を聞かされる側の我々はというと、何故だかわからないが頬が緩み、自然と笑顔になっていく。 むろん法王自身は否定されるが、そこに何らかの癒しのパワーを感じ取る人々は多い。
 2時間に及ぶ講話が終わり、質疑応答の時間が設けられた。 法王自身のご提案もあって、質問者は演壇の前に長蛇の列をつくった。 その数延べ30~40人ぐらいだろうか。 当然すべての質問者と対話する時間もなく、どうするのか見守っていると、結果的には最初に列の先頭に並んだ5人までの質問をお受けになられたのだが、その2番目に並んでいたのがこの男だった(写真はクリックで拡大します)。
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 彼が国士なのは先日の園遊会での天皇陛下との話などから誰しもが知るところだが、その発言は時に宙を彷徨うこともある。 心配とまではいかぬものの、彼が法王にどのような質問をするのか会場全体が注視するなか、彼はこれからの自分の進路について「自分で決めた方向に邁進するのがいいのか、それとも長いものに巻かれた方がいいのか?」という、要は新宿の母にでも訊けばいいようなことを言ってのけて会場中を失笑の渦に巻き込んだのであったが、法王はそうした質問にも仏教の教義に照らしながら「他人の意見を聞くことも大切だが、究極的には自分一人で突き詰めて考えて決めることが大切である」というようなアドバイスをされた。
 最後に何人かの著名人が法王に花束を贈呈する時間が設けられたのだが、当初主催者側が彼にはその時刻に会場入りしてくれればいい旨伝えていたにも関わらず、最初から講演を聞き、質問者にもなってしまったのだという。 どこまでもスタンドプレーが好きな男である。
 ちなみに著名人の中には湯川れい子さん、下村満子さん、三好和義さん、木内みどりさん、そして先ほど法王に直接質問をする栄誉に浴したばかりの元柔道家・石井慧の姿があった。
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 晩秋の両国の空に日章旗と雪山獅子旗が翻っていた。
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by theshophouse | 2008-11-06 22:33 | アジア人物伝
二人のパンチェン・ラマ
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          http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl.html

 チベットのことについて書いたので、チベットを語る時に欠かせないパンチェン・ラマ拉致拘束事件についても書いておく。
 パンチェン・ラマはチベット密教において最高指導者であるダライ・ラマに継ぐ地位にあり、ダライ・ラマの選定権者でもある。
 パンチェン・ラマ10世が1989年にチベットで中国のチベット政策を痛烈に批判した数日後に謎の死を遂げた後、その生まれ変わりである転生霊童探しが始まった。 1995年5月、度重なる占いと捜索の果てに当時6歳であったチベット族のゲンドゥン・チューキ・ニマ少年が正式にパンチェン・ラマ11世と認定された。
 ところが中国政府はこれを認めず、認定から3日後にニマ少年を拉致拘束し、次のダライ・ラマの選定権者でもあるパンチェン・ラマ11世を独自に探した。 言うまでもなく、将来自分たちに都合のいい傀儡となる次のダライ・ラマを選定するためである。
 そして同1995年11月、同じチベット族、同じ6歳ののギェンツェン・ノルブ少年が中国政府によって同じくパンチェン・ラマ11世と認定された。
 そもそもダライ・ラマとパンチェン・ラマには歴史的にも政治的な対立があり、中国はそれを利用してチベットの分断を謀った。 亡くなった時パンチェン・ラマ10世は全人代常務副委員長だったが、中国が望むような傀儡ではなく、全人代でもしばしば中国のチベット政策を批判した。 
 ニマ少年がパンチェン・ラマの転生者として認定されたことは、中国からすればチベットの後継者をインドのチベット亡命政府から一本釣りされた格好になり、到底受け入れられぬものだったのだろう。
 しかし、無論転生霊童は誰でもいいというわけではない。 占星術によって次のパンチェン・ラマが生まれる地方、或いは今暮らしている地方が告げられ、そのお告げに合った子供を複数選び、先代の特徴つまり「前世の記憶」をもとにさらにそのなかから真の転生者を探していく。
 具体的には、先代がどの方角を向いて亡くなったかから始まり、先代の命日と転生者候補の誕生日のチベット暦における整合性、数珠など先代が愛用していた品物とそうでない品物を見せてどちらかを選ばせるテストを何度も行い、さらには転生者候補がそれらの品物を扱う仕草に先代の癖のあるなし等、いくつもの段階を経て極めて慎重を期して選ばれるものである。
 パンチェン・ラマ11世の認定直前、日本では「チベット死者の書」がちょっとしたブームになり、この時期僕自身チベット関連の著作をいろいろ読み漁った。 また、NHKの同名ドキュメンタリーで観たラダックの僧侶ソクラパの転生の話も興味深いものだった。 ソクラパはインド政府への待遇改善を求めるデモで警官に撃たれて死んだのだが、転生者とされたゾッパという少年の脇腹にはソクラパが撃たれたのと同じ箇所に痣があり、或る日突然ゾッパはその場所を押さえて「弾に当たって痛い」と言い出し、さらに「叔母に会いたい」とソクラパの家を訪ね、勝手にソクラパの部屋に上がり込み、彼が愛用していた品を次々と言い当てたという。
 ダライ・ラマ14世によって選ばれたニマ少年がこうしたプロセスを経て選ばれたことは疑いようがないが、中国政府によって選ばれたノルブ少年にしてもこのプロセスを避けて通ることはできなかったはずである。
 もちろんどちらが真のパンチェン・ラマの転生者かはわからない。 これ自体、輪廻転生というおよそ非科学的な概念が社会システム全般に深く根ざしているチベット独特の問題であり、共産主義的唯物論者である中国人はおろか、形骸化した仏教徒である現代日本人にも理解するのは難しい。
 ただひとつ言えることは、中国政府が、ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府が認定したニマ少年を「分裂主義者によって連れ去られるおそれがあり、身の安全が脅かされている」という理由から今も拘束し続けていることである。 ここで中国がいう分裂主義者がダライ・ラマ14世とチベット亡命政府のことを指すのは言うまでもない。
 中国政府がそれほどまでにニマ少年(現在は18歳)を恐れていることがなによりも真実を表しているのかも知れない。

 オン・マニ・ペメ・フム

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  2006年4月、世界仏教フォーラムに登壇した(中国政府が認定の)パンチェン・ラマ11世


大規模OFF板【胡錦濤来日時に東京をチベット旗だらけにするOFF 】@ wiki
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by theshophouse | 2008-03-22 23:48 | アジア人物伝
帰ってきたジム・トンプソン
 妻が現地で取引先の方をアテンドするためにバンコクに行ってきた。 取引先の方々はセブ島経由でバンコク入りするということで、妻は単身バンコクへ旅立った。 本来なら二人で行きたいところであったが、年末の繁忙期に加えて拙店ではセール期間中ということもあり、店を閉めるわけにもいかず、不覚にも僕がその間店番をすることになった。
 数日後、帰国した妻が僕に買って来てくれたお土産はジム・トンプソンのTシャツとポストカードだった。 最初、「タイ初心者じゃあるまいし、何で今さら」と思ったが、袋から出してみると、見慣れたジム・トンプソンのテイストとは明らかに違うTシャツとポストカードだった。
 実はジム・トンプソン、最近それまでの旧態然とした路線からややファッショナブルな路線にシフトしている。 ジム・トンプソンは1967年にマレーシアのキャメロン・ハイランドで休暇中に失踪し、会社は当時の片腕だったタイ人が引き継ぎ、数年前にその息子が代表に就任している。 つまり三代目だ。
 ジム・トンプソンの失踪は今も謎に包まれている。 そのミステリアスな失踪事件は彼を知る多くの人にさまざまな推理や憶測をもたらした。 彼がCIAの情報部員だったという説もある。 僕もかつてマレー鉄道で何度か旅をしたことがあるが、キャメロン・ハイランドそばのイポーという駅に着いた時には、思わず途中下車して彼が最後に宿泊していた山荘を訪ねてみたいという衝動に駆られたほどである。 この事件についてはウィリアム・ウォレン著「失踪」に詳しいので、興味のある方はぜひ読んでみていただきたい。 また、松本清張の「熱い絹」はこの事件を下書きに創作されたミステリー。 キャメロン・ハイランドで栽培されているお茶をキーワードに展開していく重厚なストーリーは読む者を惹きつける。 僕もマレーシアのナショナル・ブランドでもあるボウ社のお茶は大好きだ。 なかでもやはり定番は「キャメロニアン」。 マレーシアのお茶を飲みながら、ジム・トンプソン失踪のミステリーに思いを馳せるのも悪くない。
 ずいぶん話がそれてしまったが、先日妻が日本を訪れていたジム・トンプソンの三代目と会う機会があった。 数日後に取引先とバンコクを訪れることになっている旨を伝えると、「それじゃあ会社でクルーザーを出しますから、夜のチャオプラヤ・クルーズでもいかがですか?」と三代目から招待されたのである。 まったく、僕の行かない時に限ってこういうサプライズがある! 結局妻たち一行は豪華クルーザーでカナッペとアペリティフを堪能しつつ、夜のチャオプラヤ川でバンコクの夜景を満喫したのであった。
 
b0045944_1461471.jpg バンコクの中心部、サイアムのそばにジム・トンプソンの家がある。 アユタヤにあった古い家屋を解体し、船で運んで移築したものだ。 そこには彼が収集した家具調度品や仏像の数々が飾られている。 バンコクの観光名所のひとつなので、当地を訪れた方なら誰もが一度は行く場所である。
 そんなジム・トンプソンの家で、今「LOST IN THE CITY」という企画展が行われている。 サブタイトルは「Jim Thompson Returns!」である。 21世紀のバンコクに、失踪していたジム・トンプソンがひょこり戻ってきたら・・・というのがテーマ。 今のバンコクの象徴のひとつでもあるスカイトレインの車内に座る浦島太郎状態のジム・トンプソン・・・そんな楽しいコラージュの写真もあったりしてなかなか面白い。
 僕もカオサン時代からたびたび訪れているジム・トンプソンの家だが、今では昔のように勝手に中を見て回ることはできなくなり、ガイドの説明を必ず聞かなければならなくなった。 昔は屋内でまったりすることもできたのだが、今はガイドと一緒なので一気に見て回らなければならない。 魅惑的な微笑みを湛える見事なカンボジアの仏像の前で小一時間鑑賞してみるなんてことは不可能になってしまった。 そんな観光客のフラストレーションの捌け口として用意したのか、数年前には同じ敷地内にカフェとショップもできたりして、少しばかり長居ができるようになった。 Tシャツとポストカードのお土産はその企画展のものだったのである。
 会期は3月末まで。 年末年始、バンコクを訪れる方は覗いてみてはいかがだろうか。


JIM THOMPSON
Jim Thompson Thai House Museum
LOST IN THE CITY

※12月27日発売の雑誌「STORY」2月号の221ページに拙店が紹介されています。 ご興味がおありの方はご覧下さい。
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by theshophouse | 2006-12-28 01:52 | アジア人物伝
サクン・インタクンを知っていますか?
 情報過多のこの時代、クリエイターと呼ばれる人は星の数ほどいるが、その大部分は他人様が考えたものを無断転用して、さも自分のアイデアのように発表しているエセ・クリエイターである。 もっとも自分のアイデアが世界中の他の誰とも似てない方が難しい。 僕らが生きているのはそんな時代だ。
b0045944_364745.jpg サクン・インタクン(Sakul Intakul)は類稀な真のクリエイターだ。 バンコクにある彼のショップを訪ね、彼の作品に直に触れた僕はそう確信する。 特にブロンズのミニマルな花器のシリーズは僕の心を捉えて離さない。 もし花に生まれ変わるとしたら彼の花器の中に没する一輪の花でいいとさえ思う。
 日本への留学経験もある親日家のサクンはフラワー・アーティストとしては少し変わった経歴の持ち主。 1965年にバンコクに生まれ、モンクット工科学院で電子工学を学ぶ。 卒業後にフラワー・デザインを学び、1999年にサクン・フラワーズ(Sakul Flowers)を設立。 その作風は、仏教的宇宙観と日本的ミニマリズムに工学的なエッセンスを加えた独特のもの。 多くのフラワー・デザイナーが当然のことのように花を主題とした作品をつくるなか、彼の作品において花は、大掛かりな舞台装置のなかで適材適所に配された役者のようなものである。 幾何学的な舞台装置と自然の花の組み合わせは一見ミスマッチのようだが、よく見ているとそれらが構成する世界が、ごく自然の花の在りようを想起させてくれるのは不思議としか言いようがない。
 サクン・インタクン、いまだ日本では知る人ぞ知るその名が広く行き渡る日はそう遠くはないはずだ。

SAKUL FLOWERS
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by theshophouse | 2005-06-26 01:35 | アジア人物伝
幻のF1バンコクGPとビラ王子
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 モナコGPが終わったばかりだが、今から65年以上前にアジアで初の、しかもモナコのような市街地コースでF1の前身である世界的なレースが行われた。 いや、正確にいうと行われるはずだった。 そしてまた、そのスターティング・グリッドにはアジア人初となるタイ人のF1ドライバーがいるはずだった。

b0045944_12553635.jpg 「ビラ王子」ことビラボンセ・バヌテル・バヌバン(写真右)は1914年、ミュージカル「王様と私」で知られるモンクット王の孫として生まれ、13歳のときにイギリス留学し、イートン校からケンブリッジ大学に進学、やがてモータースポーツの世界に足を踏み入れる。 プリンス・ビラはすぐに頭角を現し、1936~38年と3年連続で年間チャンピオンに輝き、ブリティッシュ・レーシング・ドライバーズ・クラブのゴールド・スター賞を受賞するなど大活躍をみせた。 1936年にはモンテカルロでのレーニエ王子杯(現在のモナコGP)にも勝ち、この年にイギリス人女性と結婚している。 現在でいうならさしずめミハエル・シューマッハー並みの活躍である。 このビラ王子と、彼のマネージャーをつとめた従兄弟のチュラ王子は戦前のヨーロッパのグランプリ・ミーティングにおいて常に中心的な存在だった。
 ほどなくバンコクGPの1939年開催が決まり、アーティストとしての才能にも恵まれていたビラ王子は自らバンコクGPのポスター(写真上)をデザインしたのだが、第二次世界大戦の勃発によりバンコクGPは幻のGPとなってしまった。 それでもビラ王子はレースをやめることはなかった。
 1950年5月13日、イギリスのシルバーストーン・サーキットで戦後初めて行われたグランプリは「フォーミュラ・ワン・ワールドチャンピオンシップ」と呼ばれる現在のF1。 マセラッティを駆るビラ王子は5位入賞を果たす。 ビラ王子のF1レーサーとしてのキャリアは1955年まで続き、F1での最高位は1954年のフランスGPでの4位。 名実ともにアジア人最初のF1ドライバーであった。 ビラ王子によるアジア人ドライバーの最高位は、1990年の鈴鹿で、鈴木亜久里が3位入賞するまで破られなかった金字塔である。
 晩年はバンコクに住みながらも、カンヌの港に停泊させた3本マストの大型ヨットをヨーロッパでの生活の拠点としていた。 彼は1985年にロンドンの地下鉄駅構内で心臓発作に見舞われ、その生涯を終えたが、バンコク郊外には彼の名を冠したビラ・インターナショナル・サーキットが今も残る。
 日本人では1976年にコジマ製のマシンでスポット参戦した長谷見昌弘、1987年にロータスからレギュラー参戦した中島 悟が最初のF1ドライバーといえるだろう。 日本以外のアジア人では、2001年にアレックス・ユーンがマレーシア政府の強力なバックアップによりミナルディからF1デビューを果たすが、F1をドライブする水準になく、シーズン途中で解雇された。 2005年、インド人初のF1ドライバーとなり、ジョーダンをドライブするナレイン・カーティケヤンは、非力なマシンに苦しみながらも、そのドライバーとしての速さは十分に感じさせる期待の新鋭だ。 しかし、これまでのアジア人F1ドライバーの誰しもが、ビラ王子が残した記録に追随するのはおろか、誰一人としてポディウムの真ん中に立つことすらできない。
 21世紀の今日、偉大なるプリンス・ビラの系譜を継ぐものは未だに現れていない。
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by theshophouse | 2005-05-25 12:59 | アジア人物伝
ウィチャコム様
 ウィチャコム(Wichakom Topungtiem)のデザインと初めて出会ったのは今から6年前。 バンコクの中心部はチトロムにあるゲイソーン・プラザ(Gaysorn Plaza)の中にThai Craft Museumなるものがあり、彼はその一画に小さな店を出していた。 店の名前は「Thai Home Essential」。 グリーンを基調色としたオーガンジーのクッションカバーやランチョンマットはまるでタイシルクのように美しく、心魅かれた。 チャトゥチャックにも当時から同名の店があった。
 ちょうどその頃、ウィチャコムにパートナーが現れた。 スイス人の投資家兼家具デザイナー、カルロ(Carlo Hostettler)とデンマーク人のデザイナー、ハンス(Hans Christensen)である。 やがて彼らは共同で「アジアとヨーロッパの融合」をテーマにした雑貨店、コクーン(Cocoon)を開く。 ハンスはまたチェンマイを本拠地にライス(Rice)という会社も始め、自らデザインした箸がヒットして会社は軌道に乗った。 現在はさらにアイテムを増やし、母国デンマークなどへ輸出している。
 コクーンは当たった。 今や4つの店を構え、アルマーニ、レーン・クロフォード、ノードストロム、そしてハウス・オブ・フレイザーなどからの注文に追われる。 日本人バイヤーの多くもコクーンを訪れる。 今やプロパガンダと並ぶタイのナショナル雑貨ブランドにまでなった。 バリ島のジンバランにも店があるが、商品構成は少し異なる。 少なくとも「ウィチャコムの店」という感じはしなかった。
 実を言うとコクーンはそれほど好きではない。 オープン当初は物珍しさも手伝って良く見えたものだが、最近は商品構成やデザインのテイストがやや若者向けにシフトしてきた感があり、店を見に行ってもグっとくるような商品はない。 それよりも、元々テキスタイル・デザイナーであるウィチャコムの原点ともいえるタイ・ホーム・エッセンシャルが好みだ。 こちらの方は今もチャトゥチャックに小さな店がある。
 ウィチャコムも2年前に自分のブランドを立ち上げた。 その名もオンリー・シュガー(Only Sugar)。 そのコンセプトは実に明快である。 即ち扱う商品はすべてピンク色であるべし。 店のありとあらゆる雑貨がピンク系の色で統一されている。 僕なんかもう見ただけで拒絶反応を起こしそうなくらいラヴリーな店なのである。 「こんなんでやっていけんのか?」と思いきや、今やこの店がタイのティーン・エイジャーの間で大人気なのである。 僕の知る限りショップはゲイソーン・プラザ店とチャトゥチャック店の2店舗。 特にチャトゥチャック店の店頭には常にウィチャコム本人がいる。 まさに販売の最前線にいるのである。 ふつうここまで成功を収めた人間は店頭などには滅多に顔を見せないものだろうが、ウィチャコムは別だ。 毎週末ここで自分の商品のユーザーとコミュニケートすることによって新たな創造へのモチベーションを高めているのであろう。

b0045944_23293188.jpgOnly Sugar Chatuchak店
ご覧のとおりピンク一色の店である 僕はついついこの店のことを「Only Pink」と言ってしまう
写真右端も同店で、2区画に分かれたL字型のスペースとなっている
開通したばかりのMRT(地下鉄)ガムぺーンペット駅2番出口そば
b0045944_23303859.jpg店頭のウィチャコム氏(画面中央のスキンヘッドの男性)
今日もいつもと同じTシャツ+Gパン姿で、定位置となっている店舗中央部の折りたたみ椅子に陣取って接客中 その姿にリッチマンの面影なし
 以前日本のテレビ番組の取材(深夜にベッキーと清水ミチコが出てたARという番組)でウィチャコムの自宅内部(バンコク中心部のコンドミニアムの一室のようだった)を見たことがあるが、やはり自らデザインしたというなかなかお洒落なインテリアだった。 そうした成功者が今も接客しながら自分の商品を売っている。 きっとこの距離感がタイなのだ。
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by theshophouse | 2005-03-01 23:41 | アジア人物伝
アジア・デザイン界の暴れん坊将軍 ケネス・コー
 その存在を知ってしまった以上、やはりこの男について触れぬわけにはいくまい。 問題の人物ケネス・コーは上海生まれで香港に事務所を構えるインテリアデザイナーである。 僕たちが彼の存在を知った、いや、正確に言うと彼の本性を知ったのは上海にあるライフスタイル・ショップ「LIFEZTORE」を訪れたことによる。
 まず店に入って我々が直面したのが、ボディービルダーとおぼしき中年男性の巨大な写真パネルがあちこちに置かれているという、この種の店に決してあるまじき状況だった。 男の名前は高文安(Kenneth Ko)というらしい。 名前の下には「香港室内設計師之父」とある。 香港では大御所のインテリアデザイナーらしい。 僕も以前訪れた香港の上海灘のデザインも彼によるものらしい。 そういえばかつてそんな名前を聞いたことがあったようななかったような・・・。 華僑らしく、自分の本名とは何の脈絡もない「ケネス」という英語名をつけるあたりまでは許せても、その筋肉ムキムキのヌード写真はいかがなものか?

b0045944_039227.jpg店内に10種類ほど掲示されていた特大ケネス裸体パネル
思わず「何だこれ?」と立ち止まってしまう2×2mの巨大パネル そこそこいい店なのに、これではせっかくの商品が台無しだ
 このLIFEZTOREとケネス・コーの関係はわからないが、彼の作品らしきものが店内にいくつもあることだけは間違いない。 ウェブサイトを見ても彼の直営店というわけではなく、デザインもの全般のセレクトショップという趣きである。 たまたま僕たちが訪れた時にケネス・コー・フェアでもやっていたのだろう。 で、ケネスの何のフェアなのかというと、普通なら彼の新作家具の発表会であるとか、新たに手がけたプロジェクトにまつわるものなのだろうが、2000㎡を誇る広い店内を隅々まで見渡してもそうしたコーナーは存在しないのである。 しかし、店内でも最もデッドスペースになっている奥の方に行くと、フェアの主役が明らかになった。
 ディスプレイ用の棚にまるで人目をはばかるようにひっそりと、しかし大量に置かれていたのは「Kenneth Ko At His Peak」と銘打たれた本。 その内容は彼の集大成となる作品集などでは決してなく、最初から最後まで海辺のリゾートでその鍛え上げた肉体を惜しげもなくさらしている53歳の男のヌード写真集であった。 パラパラとページをめくってみると、ケネスはありとあらゆるポーズで自らの完全な肉体を誇示しつつ、恍惚の表情で印画紙に焼き付けられていた。 全編完全全裸、一糸まとわぬ裸だけの写真集である。 しかも同じ内容で小さいサイズのカラー版と、大きなサイズでモノクロの豪華本仕様の2種類が用意されている。 よく見ると豪華本の方には日本語で「今が最高の時…」と記された肩掛けがついているではないか。 その上の棚には肩掛けのタイ語バージョンもある。 確かにケネスは日本でのプロジェクトの経験もあるのだが、この本のターゲットとして日本はおろかタイまでも視野に入れていることじたい理解に苦しむ。

b0045944_0401172.jpgケネス・コー写真集「At His Peak」カラー版
全編にわたってこのようになケネスの恍惚とした表情と見事なポージングが横溢している
b0045944_0404463.jpgモノクロ豪華本についていた日本語の肩掛け
「今が最高の時…」という邦題を見て、僕と妻は思わず吹いてしまった 正しい訳には違いないが、これでは後の人生落ちる一方みたいだ
 ケネス・コーのウェブサイトによると、亡き母に捧げられたというこのヌード写真集を出版した動機は、仕事で成功することと同時に健康な身体を得てこれを維持することの意義を勤勉なアジアの中年男性に伝えたいという、実に大それたものであった。 果たして彼の目論見どおりにこの写真集をアジアの中年男性が買い求めるのだろうか? この店でもなかば厄介者扱いされているこの写真集、記念に一冊買って帰ろうとも思ったが、知り合いに見せて一笑に付した後の処理が困ることは目に見えているので思いとどまった。 勤勉かどうかは別にして僕も今やアジアの中年男性、あやうくケネスの策略に引っかかるところだった。
 これだけの人物がネットで盛り上がってないわけがない。 しかし東京に帰って、ありとあらゆる組み合わせでググってみても、さっぱり検索結果に反映されてはこなかった。 かくなるうえは、後に続くであろうケネス・ウォッチャーたちのためにもこの僕が日本におけるケネスネタに先鞭をつけるしかない。 アジア・デザイン界の暴れん坊将軍ケネス・コーの今後に注目である。
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by theshophouse | 2005-01-18 14:35 | アジア人物伝
元ミャンマー代表GKとしゃぶしゃぶ
b0045944_3494828.jpg ミャンマーの取引先の方々がイベントのために来日したので、イベント終了の翌日に新宿のしゃぶしゃぶ屋で卓を囲んだ。 社長夫妻以下スタッフ3名での来日であったが、そのなかに前回来日時にも来ていたスタッフの方もいた(写真左端)。 この方、取引先の企業で働きながら、ミャンマーサッカー協会議長も兼任するというどえらい方なのである。
 何でも現役時代はミャンマー代表の正ゴールキーパーであったらしく、曰く「釜本とは何度も戦ったもんさ。」と武勇伝を披露。 AFC(アジアサッカー連盟)の理事も兼任しているそうで、先日のクアラルンプールでの理事会から戻ったばかりだという。 連盟からの支給品とおぼしきAFCのロゴ入りブリーフケースを誇らしげに見せてくれた。 日本の才能あるプレイヤーにもあかるく、「ナカタやナカムラは実にいいプレイヤーだ。」との賛辞を頂戴した。 一方で、僕が「ミャンマーのワールドカップ予選はどうなってるの?」と聞いてみるとにわかに表情は曇り、「ミャンマーは、もうあかん・・・。」と肩を落としてしまった。 かつてのミャンマーは日本を凌駕する強さであったと聞く。 ワールドカップへの道のりは遠く、険しい・・・。(2004/10/6出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-12-17 23:03 | アジア人物伝



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