早朝の便でバンコクに戻ってきた。 とはいえ、翌日深夜の便で東京に帰るのであわただしい滞在である。 幸いホテルに早くチェックインできたので部屋でしばしの休息をとり、若干の買い付けをするためすぐにホテルを後にした。
いつもの店でいつもの顔に会い、いつものアイテムを買う。 いつしか時刻は午後6時近くになっていた。 今夜はバンコク在住の友人と食事をするかもしれないのだが、相手の都合でお流れになるかもしれないという状況。 この時間になっても電話がないということで、いよいよ今夜は一人かと覚悟を決め、この際食事の前に行きつけのマッサージ屋に行くことにした。 いつもはフットマッサージをやってもらっているのだが、体にビルマの疲れが溜まっているのを感じていたので、今回はいわゆるタイ古式マッサージで全身を診てもらった。 マッサージのお姉さんに乗っかられ、体を後方にエビ反りさせられて呻き声をあげているその刹那に携帯が鳴り、結局今夜も一人寂しく夕食を摂るという最悪の事態は免れることになった。 それにしても、いつも感心させられるのだが、マッサージをしてくれるタイの女性たちは小さな体の何処にこのパワーを秘めているのだろうか。 おかげで昇天しかかった。 一度ホテルに戻って荷物を置き、チトロムからBTSに乗る。 心なしか体も軽い。 待ち合わせはスクムビットのソイ24がラマ4世通りとぶつかるところにある海鮮レストラン「ソーントーン・ポーチャナー」。 地図を見る。 プロムポンで降りてモーターサイ(バイクタクシー)か…。 BTSを降り、通りに出たら象がいた。 バンコクではおなじみの光景だが、スクムビットで見たのは初めて。 思わず写真を撮ろうとしたら、既に象使いにロックオンされてたみたいで餌の入った袋を片手に笑顔で接近してきた。 象がさとうきびを食べるスピードは尋常ではない。 僕が一本差し出すとたちまちその鼻先で掠め取ってしまい、次の瞬間には二本目を求める鼻が僕の顔のすぐ前に差し出されている。 その威圧感にこちらは急遽さとうきび提供マシーンと化し、数本のさとうきびは一瞬のうちに象の消化器官に送り込まれた。 しかしなおもおかわりを要求する象の鼻。 僕は餌の入っていたビニール袋を逆さにして大袈裟に振り、もうないことを懸命にアピールしたのであった。 正面から見た象の目が思いのほか恐かったからだ。 ちなみにこの「ソーントーン・ポーチャナー」、地元ではけっこう人気店みたいで、なかでも「パミー・ホンコン(香港焼きそば)」は格別だった。 たかが焼きそばというなかれ。 それは、日本のものを含めこれまで僕が食べたあらゆる国の焼きそばのなかでベスト3に入るほどの味だった。 もちろん海鮮レストランだけあって店内にはいけすがあり、新鮮な魚介類が食べられる。 続いて飲み直しに行ったのがトンローのプレイグラウンドのそばにある「シェイド・オブ・レトロ」というバー。 タウンハウスの1階を店に改装した隠れ家的な店で、店内はミッドセンチュリーあたりの家具がいっぱいある。 ただならぬ関係になった男女がしけ込んで二人でしっぽりやるにはもってこいの店だ。 あたりを見渡すとタイ人の若い男女が暗がりでちちくりあっている。 そうした光景のひとつひとつは東京で見るそれと何ら変わるところはない。 帰りに乗ったタクシーがスクムビットで深夜の渋滞に捕まり、ホテルに戻った時は翌日になっていた。 部屋に戻ってベッドに倒れこむと、すぐに泥のような眠りが訪れた。 思えばまた今回もあわただしい旅だった。 この旅日記を最初から通して読んでいただいた奇特な方がもしおられたら、その方は「この男は仕事で行っているのに遊んでばかりじゃないか」と思うかも知れない。 だがそんなことはないのである。 今考えているのは今回僕がビルマを訪れたタイミングについてである。 ビルマにおいて4月10日から20日はおおむね「水掛け祭り休み」となるため、それより前に工場に行ったとしても休み前でスタッフのモチベーションは低いに違いない。 となると休み明けになるのだが、休み明け直後も休みボケの症状があるかも知れない。 とはいえ今回検品するアイテムの日本への出荷が30日に予定されているので、こちらのダメ出しをリカバーしてもらう時間的猶予も必要である。 そうした諸条件を勘案した結果、僕がラングーンに滞在したのは23日からの4日間だったのである。 そしてちょうど僕がラングーンを発つ頃、インド洋の何処かで後にラングーンを直撃することになるサイクロン「Nargis」が生まれた。 今から思えばサイクロンの兆候はあった。 僕が来る前日の気温は突如45度にまで達し、滞在中雨季としか思えないような強烈なスコールに二度も襲われた。 通常ビルマの雨季の始まりは6月からなので、これは異常なことだった。 しかし、ビルマの人々は迫り来るサイクロンにまったく気づかないままその直撃を受けることになってしまった。 ラングーンの日本語学校に勤務している方は自らのブログに「一番恐ろしかったのは、暴風が8時間、暴風雨が3時間、豪雨が3時間、合計で14時間という長時間続いたことだ。 その間は恐怖で一睡もできなかった。」と綴っている。 台風を知る日本人にさえこれだけの恐怖を与えたサイクロンの破格のスケールに戦慄する。 何事もなく東京に戻ってこれたことに安堵する一方で、彼の地で共に仕事をした人々の顔を思い返す時、一緒に被災していた方がまだマシだったという思いも込み上げてくる。 雨季の到来を間近に控え、被災地で助けを待ちわびている人々に一刻も早く救いの手が差し伸べられることを願う。
by theshophouse
| 2008-05-10 00:03
| Odyssey
|
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