チャオプラヤ川の藻屑と消えたのは、オーストラリア代表ではなくタイ代表だった。 アジアをナメていたのは、オーストラリア代表ではなく、この僕だった。 試合当日、朝ホテルを出た僕を包んだのは、前日までのスコールの残り香と、その湿気をバンコク市内に密閉するかのように降り注いだ強い日差しだった。 「こりゃあ今日もオージーには厳しい天候だわ。」 ほくそえみながら仕事に出掛ける。 今日は月曜日、つまりプミポン国王の日である。 例によってバンコク市内は黄色いポロシャツの一団が支配する。 予定よりも長引いた仕事にロスタイムでケリをつけ、サイアムからタクシーに飛び乗る。 試合会場のラジャマンガラはバンコク郊外にある比較的新しいスタジアム。 開始1時間前にタクシーに乗れば大丈夫だろうとその時は思っていた。 タクシーに乗る1時間前からまたも降り出したスコールは一向に止む気配がない。 それどころかフロントガラスを叩く雨粒は時間を追うごとに大きくなっていく。 ほどなくタクシーはスクムビット通りで渋滞に捕まった。 折からのスコールもあって交通量も増え、帰宅ラッシュとも重なり、クルマは微動だにしない。 スタジアムに近づくどころか、ここにきて完全にクルマは路上のオブジェと化してしまった。 タクシーの運ちゃんも次第にあきらめモードに。 「悪いことは言わないから、そこらへんのスポーツバーで観た方がいいよ。」などと言い出す始末。 既に試合開始の時刻を過ぎた。 このままでは埒が明かない。 僕はスタジアム行きをあきらめ、急遽ホテルに戻ってテレビ観戦するという苦渋の選択をした。 タクシーを降り、最寄の駅からBTSに乗ってホテルに戻る。 スコールは既に上がっている。 結局試合を観れたのは後半からだった。 試合は前半1点を先制したオーストラリアに対し、後半開始早々からタイが一方的に攻め込む展開。 オーストラリアは防戦一方である。 前のオマーン戦ではほぼ二人だけで2点を取った13番のセナムアンと23番のトンカンヤーのツートップは脅威だが、何故かこの日23番のトンカンヤーは後半途中からの投入。 トンカンヤー投入後、サイドからの崩しもあれば、ワンツーで中央突破と、二人のコンビネーションで何度か惜しいチャンスをつくるも得点には至らず。 もっともタイとしては1点差以内の負けなら得失点差でグループ2位が確定するだけに、前線に人数を割いてまで攻撃する必要はなかったのだが、6万人の大観衆と大声援がそれを許さなかったのか、イケイケ状態である。 まさにその状況を待ち望んでいたのがオーストラリア代表であり、前線中央で体を張っていたヴィドゥカであり、後半途中から投入され、前線でフレッシュな状態を保っていたキューウェルだった。 どうしても2点目が欲しいオーストラリアは、ディフェンスラインを下げてタイの猛攻を凌ぎながら体力を温存、カウンター狙いの一点突破を狙っていた。 後半35分、そのヴィドゥカにボールが入った時、彼をマークしていたタイのセンターバックはまったく相手にならなかった。 巧みに反転されて追加点となるゴールを許すと、3分後にはヘディングで自身の2点目、終了間際にはキューウェルが独走してキーパーとの1対1を左足で冷静に決めて一気に4対0とし、タイの決勝トーナメントへの希望を完膚なきまでに打ち砕いた。 後半最後の爆発力はあのカイザースラウテルンの悪夢を彷彿とさせるものだった。 それでも僕はタイの方がいいゲームをしていたと思う。 事前にシンガポールで合宿を張ってバンコクに乗り込んで来たとはいえ、今大会のオーストラリアは明らかに気候馴化に失敗していた。 ならばなぜこの日のオーストラリアは後半バテなかったのだろうか? この日の試合について言えばオーストラリア代表にとって二つの幸運が存在した。 ひとつは試合開始2時間前から前半途中まで続いたスコールである。 僕もホテルに帰る途中、モワッとした東南アジア特有の暑さがこの突然のスコールによって完全に除去されたことを感じていた。 もうひとつはこの日が月曜日だったこと。 前のエントリーにコメントを下さった方も触れておられたが、スタジアムでタイ代表を応援したサポーターは、タイ代表の青いゲームシャツを着るでもなく、国王慶賀の黄色いポロシャツ一色だったのである。 月曜日ですらなかった前の試合、対オマーン戦においてもスタジアムはほぼ黄色が支配していただけに、十分に予想されたことではあったが、なにせこの日の対戦相手のオーストラリア代表のチームカラーは黄色である。 サッカルーが黄色一色のスタンドからの大歓声に「後押し」されたのは想像に難くない。 今回のバンコクではアジアカップの主催国という盛り上がりも手伝って、夜店や露店で通常売られている世界のトッププレイヤーのパチ物ゲームシャツ(セルティックの中村のシャツも多く見られた)に混じって数多くのタイ代表の青いゲームシャツも売られていた。 ならば、国王敬愛もいいけれど、この夜だけはスタンドを青一色に染めて欲しかった。 タイ惨敗を見るにつけ、そう思わずにはいられない。 しかしタイの人々は当然のように黄色いポロシャツでスタジアムを埋め尽くしたのであった。 けれど、タイの人々のそんなところが、僕がこの国を好きな理由のひとつでもあるのだけれど。 関連 : バンコク出張記2006秋 幸福の黄色いシャツ
by theshophouse
| 2007-07-19 23:55
| 蹴球狂の詩
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