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火車
 人生は、自分が読みたいすべての本を読むにはあまりに短い。 一日中本を読んで過ごせたらどんなにいいかと思うけれど、実際なかなかそうはいかない。 こうしてパソコンに向かう時間も必要だし、テレビも観たい。 日課となった駒沢公園へのジョギングにも行きたい。 インコのたま吉と遊んでやる時間も欠かせないし、庭の水やりや草取りだってある。 何より生きていくためには働かなければならない。 結果、本を読む時間は24時間のなかでの「ニッチな」時間に当てられることになる。 トイレの中や風呂の中、移動のクルマの中、寝る前のひととき。 それでも活字を追う時間が大切なものであることには変わりない。
 そうした貴重な時間を当てるが故に、駄作と出会った時の憤りは筆舌に尽くし難い。 それが長編だったりしたらなおさらだ。 以前、宮部の「理由」を酷評したのもそうした理由による。 しかし、ただ一つの作品を取り上げて作者を全否定するようなことを書くのもフェアじゃないと思うので、別の作品も読んでみることにした。 珍しいことに、いつもあまり古本屋には出回らない宮部の作品を見つけたからだった。

火車_b0045944_0412117.jpg 「火車」は怪我で休職中の刑事が、ひょんなことから或る女の素性を探り、その実像に迫っていく話。 「理由」同様、現代に影を落とす社会問題を下敷きに描かれている長編だが、今回はカード社会の負の側面、クレジットやサラ金による多重債務のすえの自己破産に光を当てている。
 僕個人の話をすると、借金というものが大嫌いである。 今の事業にしても、始めてもう10年になるが一度の借金もした事がない。 普通であれば、仕事が軌道に乗ったあたりで金融機関からいくらかでも借り入れて、それなりに設備投資もし、人も雇って事業拡大していくものだろう。 だが、僕にはそういう発想があまりない。 現状に満足しているわけではないが、「身の丈に合わない事をやってどうする?」という自戒が常にあるからだ。 おかげでいまだに鳴かず飛ばずだ。
 「火車」は休職中の刑事が語り部となっているが、実質的な主人公は、多重債務によって取り立てに負われる毎日を送っていた女である。 女は、自分の存在を抹消するために見ず知らずの他人の戸籍を乗っ取る事を画策し、まんまと成功する。
 消費者信用の新規供与額は平成元年の時点で57兆円余り。 国民総生産の14%に当たるという。 平成17年度の時点では73兆円に及ぶ。 一昔前なら「お金がないから」とあきらめていた服や旅行やクルマや家や事業資金を、国民の多くがローンによって手に入れている。 一方で多重債務に陥ったり、法定金利以上のグレイゾーン金利に苦しんでいる人もいる。 ヤミ金の恐喝まがいの取り立てに苦しむ人もいる。 主人公の女は、そんな境遇から逃れるために自分ではない「誰か」になろうとする。
 姿の見えない女の足取りを追っていく刑事の心情を、宮部は精細な筆致で描き出していく。 刑事のみならず、登場人物それぞれの造形も手抜きがない。 一本の樹木を例にとる。 幹だけでストーリーが成立するとしたら、宮部のそれは枝葉のみならず、その一葉の雨の雫や虫食いの穴まで、神は細部にこそ宿ると言わんばかりに惜しみなく描写していく。 壮大なリアリズムだ。
 ゆっくりと、しかし確実に女の実像に迫っていくなかで、男の女に対する気持ちは次第に変容する。 ラストシーンで初めて実体としての女と対面した時、男が女に抱いたのは恋愛にも似た感情だったのではないか。
 山本周五郎賞ではなく、直木賞こそふさわしい快作。 やはり直木賞の選考基準はよくわからない。
by theshophouse | 2006-12-16 00:46 | Books
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