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さようなら、おヨネばあさん
 今の仕事を始めた当初は資金もなく、商品を輸入してそれを得意先に納品し、その売り上げが回収される翌月末になってやっと次の仕入れのお金を送金できるような状態。 いわゆる自転車操業だった。 したがって商品を納めてから次の商品が入荷するまで3~4ヶ月の空白期間ができることもザラだった。 その間、まったく仕事をしないわけにもいかず、短期のバイトをやったりしたものだ。
 なかでも組立工はそうした僕の仕事のサイクルにとても合っていたので、比較的長期間続けたバイトだった。 例えば3ヶ月まるまる働いて1ヶ月休んだりすることに何の問題もなかったからである。 「本業」を終えた僕は組立工のバイトに復帰して、また3ヶ月ぐらい働いた。 こうしたことを2年以上繰り返していた気がする。
 無論このバイトは、男だけの職場だった。 朝の7時ぐらいに会社からハイエースに乗って関東一円の現場に飛ばされる。 いわゆる「人さらい系」の仕事だ。 商業施設のゴンドラ(陳列棚)や倉庫内のパレットラック(フォークリフトで直接出し入れするような大型の産業用ラック)、時には冷凍庫内の電動ラックなども組み立てた。
 2年もやってると、そのうちバイトの中でも中堅ぐらいになり、小さな現場などはアタマ(職長)で行かされることもあった。 とはいえ所詮本業がある身分なので、責任が重くなるにつれバイトから次第に足が遠のいていった。
 そんなバイト生活の中での発見は、それまでどちらかと言えばデスクワーク中心の仕事をしてきた自分が、いわゆる肉体労働もけっこう好きだったということである。 もとよりマジメだけが取り柄の男である。 何事につけやり始めると、効率はともかく丁寧にこなしていく性分。 そして組立工の仕事、つまり部材を組み立てて何かを完成させるという仕事に、ある種の達成感のようなものを感じていたのも事実だ。

 そんな職場でバイトをしていた男たちは、やはり僕のように二足のわらじを履いてるようなタイプが多かった。 役者の卵やミュージシャンの卵、役者くずれやミュージシャンくずれ、地方からの季節労働者、学生と、その素性もさまざまだった。 働いてその日の日当を貰うだけの労使関係はシンプルで、そのせいか会社内の風通しも良かった。 これまで自分が勤めた会社のように複雑な人間関係もなく、僕にとっては働きやすい会社だった。
 同僚のなかには昼のメロドラマで準主役や火サス(役者たちは火曜サスペンス劇場をこう呼ぶ)にチョイ役で出てた人、「レ・ミゼラブル」の舞台を踏んでた舞台俳優の人もいた。 インディーズ・レーベルからCDデビューしているパンクロッカーもいたし、広島のライヴハウスでたまたま来店していたキャンディー・ダルファーとジャムったツワモノ・ベーシストもいた。
 そんなかつての同僚たちと1年ぶりに会って飲んだ。 野郎ばかりの飲み会である。 僕はこういう野郎ばかりで集まるのはけっこう好きである。 まだ当時の会社で組立工の仕事を続けている友達の話だと、最近オーディションでエグザイルの新メンバーになった男も、オーディションの直前まで半年ほど働いていたという。 自分のところでバイトしていた人間がエグザイルの新メンバーになったということで、社長は最近必要以上に鼻高々なのだという。
 そんなかつての同僚のなかに、今もバイト人生の王道を往く男がいる。 彼は組立工の仕事を辞めた後、移動販売のさおだけ屋をやり、浅草で人力車を牽き、デロンギでオイルヒーターやエスプレッソマシンの修理工をし、広尾の喫茶店で常連の矢沢永吉や秋元 康にコーヒーを淹れ、出会い系サイトでサクラをし、今は築地の場外にある漬け物屋で早朝5時からぬか床と格闘している。
 なかでも出会い系のバイトの話は面白かった。 出会い系サイトを利用する客(主に男性)に対し、パソコン上で女の子のふりをして会話したりするだけで、けっこうな稼ぎになるというのである。 都内某所にあったこの出会い系サイトの事務所(現在は解散)には十数人の男たちがパソコンの前に陣取って日夜男性客との会話に励んでいたという。 世の中ににはいろんなバイトがあるものだ。 そしていつもそれを実感させてくれるのが彼なのである。
 ちなみにこの彼、現在はジャズ・テナーサックス修行中らしいのだが、都内には思い切り吹ける場所がなかなかないらしく、練習場を求め、先月は宮古島で一人合宿を敢行したそうである。 エグザイルとは彼の為にある言葉だろう。

 そんな彼ほどではないが、僕も福岡で美大生やってる頃、やはり学生の常としていろんなバイトをやった。 長く続けたのはビル清掃の仕事で、博多駅前のオフィスビルの夜間清掃のバイトを2年ぐらいやった。 その他にもいろんなバイトをスポットでやったものだが、なかでもよくやったのがイベントでの「似顔絵描き」だった。
 昔のことで詳細は忘れてしまったのだが、福岡は天神の新天町の酒屋で、父の日にワインを買ってくれたお客さんに、お父さんの似顔絵を描いたラベルをワインに貼って差し上げるというようなバイトだった。 ただ、みんながみんな家族で買い物に来ているわけでもなく、実際その場に都合よくお父さんが居合わせている場合はともかく、お母さんやお子さんの似顔絵を描くことも少なくなかった。
さようなら、おヨネばあさん_b0045944_014822.jpg 同様に、とあるスーパーで「ウェルチジュース」の販促イベントの一環としてやはり「似顔絵ラベル」のバイトをやったこともあった。 そのイベントは「ばってん荒川歌謡ショー」との併催であったため、僕はスーパーの控え室でばってんさんと一緒になった。 そこでお茶をすすっていたばってんさんはみんながよく知る「お米(ヨネ)ばあさん」のいでたちではなく、ちょっと艶っぽいおじさんという感じだった。
 先日、そんなばってん荒川さんが逝った。 九州出身の人にとってばってんさんは、姿を見たり声を聞いたりするだけで何だかほっとするような存在だったと思う。
 ばってん荒川さんのご冥福を心からお祈りします。
by theshophouse | 2006-10-27 00:02 | Non Category
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