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ワールドカップ観戦記/Tunisia×Japan
 僕が日本対チュニジアのチケットを入手できたのは、結果から見れば至極当然のことのように思えたが、それが手元に届くまでには様々な紆余曲折があった。 2001年暮れ、僕はFIFAのチケッティング・ビューローにアクセスし、チュニジアのTST-3チケットを申し込んだ。 チュニジアの予選の3試合をフォローするチケットである。 もちろん目的は対日本戦のみであった。 ただ、この時点ではただ申し込んだだけであった。 それが受理されたか否かは、年が明けて1月15日にならないとわからないのであった。 当然のことながら高い競争率が予想される日本がらみのチケット、日本のTSTは無論、ベルギーやロシアのTSTにも申し込みが殺到するであろうと考えた僕は、以下のような理由からチュニジアのTSTを選択したのであった。 第一に日本在住のチュニジア人は少ないと思われるので、その分競争率がベルギーやロシアのものよりは下がるであろうということ。 第二に、日本対チュニジア戦は1、2戦の結果いかんでは消化試合のようになることも考えられるので、ベルギーやロシアとの試合より人気の面では落ちるであろう。 第三に、相手がチュニジアであれば日本の勝利の可能性は高い。 それがワールドカップでの日本の初勝利となる可能性も含め、日本の勝利を見ることができる可能性が高いということ、である。
 運命の1月15日、果たして僕の申し込みは見事受理されていた。 これはもうツイているとしか言いようがない。 かくして僕はチュニジアTST-3、カテゴリー3を2人分奪取したのであった。 一ヶ月後、FIFAからチケットの申し込みが受理された旨の確認の文書が郵送されてきた。 3月末にはチケットの代金が僕の銀行口座より引き落とされた。 後はチケットが送られてくるのを待つばかりとなった。 ここまでは何もかもが順調であった。 ここまでは・・・。
 5月上旬、そろそろ日本国内にもチケットが届き始める。 が、FIFAのサイトにアクセスして自分のチケットの発送状況を調べても「No infomation」の状態。 中旬になっても状況はいっこうに変わらず。 ヤフーの掲示板で情報収集してみると「TSTチケット配達状況」というスレッドがあったので覗いてみると悲惨な状況は皆同じであった。 それからというもの、かの悪名高いバイロム社に催促メール100通、損害賠償請求メール10通、催促ファックス3通、督促電話2本をなかば嫌がらせのように続けても、手を変え品を変えありとあらゆる言い訳に終止され、「チケットは近日中に送る → 記名欄の漢字の入力に手間取ってる(しかもそれは漢字などという西欧人には理解し難いものを使用している日本が悪いとまで言いたげだった)→ もうクーリエで送った → チケットは最初の試合会場で受け取れ」と内容も激変し、しかもそこで与えられるひとつひとつの情報はそれぞれ何の根拠も信頼性もないデタラメなものであった。 そして、このような無意味なそば屋の出前式の返事を10日間も聞かされ続けた挙げ句、ワールドカップ開幕を明日に控えた5月29日、突然それは「佐川急便」によって自宅に届けられたのであった。 このチケット騒動に関しては細部まで語ると膨大なスペースが必要になるためここではこのぐらいでしておくが、ただひとつ言えるのはFIFAとバイロム社の関係は鈴木宗男と鴻池組の関係に等しく、その関係は腐臭を放っているということである。

b0045944_1447184.jpgプレミアものの日本戦チケット
インクジェットで出力したかのような安っぽい紙と印刷 バイロム社の仕事のレベルの低さはこんな些細な事にも見える
 6月14日午前6時30分、日本代表のサポーターを満載した羽田発関空行きの始発便に搭乗した僕らは機内で驚くべき光景とでくわした。 帰国途中のアルゼンチン代表チームと乗り合わせたのであった。 と言ってもレギュラーチームに練習相手として帯同していたユースチームが主な面々であったが、中にはオルテガやアルメイダ、サムエルやアイマールといった主力級の選手もいた。 そして何よりビエルサ監督までもがいたのであった。 一行は全員が来日時と同じ、背中に「ARGENTINA」と入ったあのジャージ姿であった。 来日した時は「おお、いきなりやる気満々だな。」と格好良くさえ思えた彼らのジャージ姿だったが、早々と敗退して人目を避けるように早朝の便で帰国しようとしている彼らのジャージ姿はどこか物悲しげであった。
 なかには機内で記念撮影に応じている選手もいたが、選手たちは一様に暗い表情であった。 そんな雰囲気を察してか、まわりの日本人も何の言葉もかけられす、ただ遠巻きに写真を撮ったりしているだけであった。 バティストゥータやシメオネ、ヴェロンやクレスポなどヨーロッパに「直帰」した選手は既に別の便で日本を後にしていたようで、一行の中にはいなかった。 足取りも重い彼らの行く手にはこの先つらく長い母国への旅程だけが待っている。 今こうしてアルゼンチン代表が帰国の途に着こうとしているのに我が日本代表は勝ち残っている。 嬉しい反面、波乱続きの今回のワールドカップをどこか正当化できない自分がいる。 極東の過酷な暑さ、欧州リーグの過密日程がワールドカップに質的変容をもたらしているのは明らかだった。

b0045944_14474290.jpg関空のターミナルを足早に歩くパブロ・アイマール
4年後はジダン級の選手に化けている可能性大?
 僕らは空港で朝食を済ませ、関空駅から南海電鉄空港線に乗り、ミナミまで出ることにした。 僕にとって大阪は本当に久しぶりであった。 12年前、以前勤めていたデザイン事務所の頃に梅田のナビオ阪急のブティックを設計した時に打ち合わせで来て以来のことなのであった。 僕らは行き当たりばったりで歩いているとアーケードのある商店街に入っていった。 せっかく大阪まで来たのだから、お好み焼きやたこ焼きなどいかにも大阪というものが食べたかったのである。 しかしそこにはこれといった店がなく、何を食べようか迷っていると突然視界に「自由軒」というカレー屋の軒先が飛び込んできた。 「カレーか・・・。」 前出のような理由もあって一度は店の前を通り越した僕らであったが、そのただならぬ雰囲気は捨てがたく、結局戻ってその自由軒に入ってみることにした。

b0045944_14475227.jpgミナミの自由軒のファサード
タダモノではない雰囲気は写真からでも感じていただけるはずだ
 店は古く、入ってすぐの壁にウルフルズのサインが貼ってあるのが目に入った。 「カレー下さい。」と言うと、店のおばちゃんに「別カレー、それとも名物カレー?」と言われた。 事前に店頭のショーケースをよく見ていなかった僕は、「どっちがお薦めですか?」と聞くと、おばちゃん曰く「うちの名物は名物カレー。」 即決。 妻はあろうことか「別カレー」を注文。 ほどなく供されたのは、野菜も肉も入っていないカレーのルーとライスをあらかじめぐちゃぐちゃにかき混ぜて一体化させ、火山状に盛り付け、その火口部分に生卵を落とした「名物カレー」であった。 いっぽう妻の方はまったく普通のカレーであった。 「別カレー」とはライスとルーが別々に盛られている、つまり普通のカレーのことであった。 この名物カレー、見た目は変わっているが、味はグッドであった。 何だか子供の頃おばあちゃんがいつものカレーをご飯とぐちゃぐちゃに混ぜて「これはライスカレーたい。」と言って出してくれたことを思い出した。 こうして僕らは着いて間もない大阪でノスタルジーに浸ることとなったのである。 後で聞いた話であるが、この自由軒は全国的にもかなり知られた超有名店であるらしい。 恥ずべきは無知である。
 名物カレーで胃袋は満たされたものの、試合開始の午後3時30分まではまだ十分時間があったので、なんばにショッピングに行くことにした。 不思議なことだが、海外や東京ではあれほど嫌悪の対象であったはずの大阪弁が意外に聞かれないのが寂しい。 接客してくれる店の人も大阪訛りの標準語なので、なかなかネイティヴの大阪弁に接することができない。 僕はこと大阪においては大阪弁というものが非常に心地よく感じることに気づいたのであった。 本来方言とはそうしたものだろうが、大阪弁のように準メジャー化してしまうと逆にどこでも聞くことができる反面、僕のように異質な空間の中でそれが使用されることに馴染めない人間も多いのではないだろうか。

b0045944_1448397.jpg劇作家・織田作之助がこよなく愛した名物カレーと名物「ハイシ」ライス
名物カレーはなんと自由軒のウェブサイトからオンラインで購入可能 ぜひ御賞味いただきたい
 時間が迫ってきたのでそろそろ長居スタジアムに向かうことにした。 最寄駅は地下鉄御堂筋線西田辺駅。 なんばからほど近い駅だったが、駅からスタジアムまでは徒歩で15分ほどかかる。 途中、今大会の会場周辺での混雑発生の第一原因ともなり、来日しなかったフーリガンなんかよりよっぽど性質が悪かった地元警察の過剰な誘導と通行制限にキレかかりながらものろのろと進んでいく。 「阿呆か・・・。」 スタジアムが目前に迫った頃、サッカージャーナリストの金子達仁氏とすれ違う。 彼はなぜかスタジアムとは反対方向に歩いていった。 スタジアム入り。 スタンドは試合開始1時間半前にも関わらず既に多くのサポーターで盛り上がっていた。 幸か不幸か僕らの席はゴール裏のウルトラスのど真ん中であった。

b0045944_14482472.jpg試合開始1時間前、日本代表公認サポーターのおばちゃんとチュニジアの応援団長のエールの交歓
後方にはこの日大量発生した宮本恒靖
 僕はさっそく代表のゲームシャツに着替えた。 幸運にも僕はここにいる権利を得た。 が、多くの来られなかった人々の代わりにここにいるに過ぎない。 僕はここにいるすべての人間が代表のシャツに袖を通すことがあたかも義務であるかのように思えた。 日頃から長いものに巻かれることを良しとしない妻も、僕に説得されてどうにか青いシャツを着たのであった。 あたりを見渡すと、居酒屋のオーナーで浦和レッズの熱狂的サポーターで、代表の試合になると代表の熱狂的サポーターとなることで有名なおばさんが近くに陣取っていた。 このおばさんとは行きの飛行機でも一緒だったのだ。 彼女はフランス大会の公式ガイドにも載るほどの「日本代表サポーターの顔」である。 そのおばさんと親しげに話をしている数人の宮本恒靖?がいる。 みな宮本のフェイスガードのレプリカを着用している。 その正体は会場外のイベントでアディダスが1000個ほど用意した「粋な」ノベリティーだった。 この日の天候は晴れのち曇りであった。 気温は33度。 サッカーをするには過酷な環境である。 なにせスタンドに座っているだけでも暑くて日陰に避難してしまうくらいなのだ。 あわよくばこの天候が日本代表に味方してくれることを望む。

b0045944_14483320.jpg試合開始直前、国家斉唱の前に巨大な日の丸が広げられた
そこには無数の寄せ書きが記されていた
 試合開始。 この試合2点差をつけての勝利が至上命令であったはずのチュニジアだが、前半は守備的な試合運びで狙っていたはずのカウンターも不発。 そこに点を取りに来ようという意思はほとんど感じられなかった。 対する日本はボールはキープしつつも決定機までもっていくことができないもどかしい展開。 それはこれまで幾度として目にしてきた、ほぼ同じレベルのチームに引かれて守られた時の「攻めきれない」日本代表の姿だった。 しかし、決勝トーナメント進出を第一に考えればこの状況をあえて変える努力をする必要もなかった。 このように高い位置でボールをキープできている状況では相手のカウンター攻撃もそれほど脅威ではない。 2点差はセフティー・リードであった。 百戦錬磨の欧州のチームであれば、この試合は無駄な体力を浪費せず、0対0の引き分けでも良かったのかも知れない。 しかし日本はH組を一位で通過しなければ決勝トーナメント一回戦で難敵ブラジルと当たる可能性が高く、またそれは更に上を目指すためにはどうしても避けたかったのである。

b0045944_14485033.jpg後半25分 TUNISIA 0-2 JAPAN と表示されたスコアボード
誰もが歓喜の時を待ち切れなかった
 後半、トルシエはさほど出来が悪いわけではなかった柳沢と稲本に代え森島と市川を投入、これは傍目にも大胆な選手起用であった。 しかしこれが功を奏し森島が先制ゴール! 僕は青一色のスタンドの中で狂喜し、市川のクロスからヒデのダメ押しヘッドが決まった時には完全に壊れた。 それからの残りの数十分は今回の日本代表のサポーターに与えられた唯一至福の時間であった。 もし自分がブラジル人だったら、試合なんかろくに観ずにサンバを踊っていればいいだけの時間。 勝利を確信して過ごす時間とはかくも嬉々としたものなのか? 僕は初めて強国のサポーターの気持ちが少しわかった気がした。 彼らは常に勝利を確信してスタンドにいるのだ。 そこには自分のチームが勝つか負けるか心配でハラハラしながら応援しているような感覚はない。 僕もこれまで何試合も代表の試合をスタンドで観ているが、このような感覚になったのはこの時が初めてだった。 それほどまでに日本は強く、そしてチュニジアは無抵抗であり、結果から見ればトルシエの采配は大当たりであった。 間違いなくこの日の勝因は森島と市川を投入したトルシエの決断にあった。 しかし金子達仁が言うように、次のトルコ戦で日本が負けてしまう端緒はこの勝利にこそあったのである。

b0045944_1449411.jpg日本勝利!
決勝トーナメント進出へH組1位通過を決めた瞬間の歓喜 前に座っていた女性が青いマニキュアをしていたのなんてまったく気づいていませんでした
 日本が勝利したにも関わらず、選手たちがゴール裏のサポーターの所まで挨拶に来る気配はなかった。 まだ先があるという意思表示であろうか。 それでも僕らは十分にこの一戦に満足し足早にスタジアムを後にした。 あちこちでニッポン・コールが起こっている。 5万人が一斉に帰路に着いたせいか、人の波は最寄駅である地下鉄長居駅にはなかなか辿り着かない。 それどころか途中で何度も前進を止められてフラストレーションが溜まる。 僕らは人込みから外れて長居駅よりひとつ前の駅まで歩くことにした。 途中交通整理をしていた係の人に前の駅までの所要時間を尋ねると「10分ぐらいです。」と言う。 しかしいくら歩いても歩いても駅は見えない。 結局30分近く歩いて前の駅に着いた時はもう事切れていた。 僕らは当初ミナミまで行って道頓堀に飛び込む連中を見物しようと思っていたのだが、この30分の疲労と喉の渇きはいかんともし難く、せっかく乗った地下鉄を途中下車して通天閣のお膝元・ジャンジャン横丁で今宵の勝利の宴を迎えることにしたのである。

b0045944_14491657.jpgジャンジャン横町から通天閣を望む
この街はワールドカップなどとは無縁、静かに飲めると思っていたが・・・
 僕には初めての、そして妻にとっては2回目のジャンジャン横町であった。 驚くべきことにそこはほとんど昭和40年代で時間が止まったままの世界なのであった。 温泉街を除いてほとんど見かけることがなくなったスマートボールの遊戯場がバリバリの現役で営業している。 将棋会館の盛況ぶりと店の窓ガラスにへばりついて対局を見守る男たちの視線は真剣そのものである。 代表のシャツを着たままだったせいか、通りすがりのおじさんやおばさん、店の人たちが次々に声を掛けてくれる。 「ニッポンやったね。 応援ご苦労さまー。 良かったね。」 それは何だか不思議に心地いいものであった。 一瞬ではあったが、まるで自分までも日本代表になったかのような気がするから不思議だ。

b0045944_14493548.jpg懐かしのスマートボール屋さん
中学校の頃、僕の生徒手帳には「ビートルズカット禁止」「スマートボール禁止」の条項が掲げられていた
b0045944_14495054.jpg将棋会館入口付近
対局を見守るオヤジたちの眼差しは真剣そのもの
 やがて僕らは一軒の串カツ屋に腰を落ち着け、勝利の美酒に酔った。 初めて食べる大阪の串カツは筆舌に尽くし難いうまさであった。 どて焼きもイイ。 日本の勝利のおかげでこの夜のすべては美化された。 勝利、そのなんと素晴らしいことか。 僕は、「二度浸け禁止」と書かれたタレ箱に串カツを幾度となく沈め、串カツとともに今日の勝利をかみしめるのであった。 こうして中ジョッキを3杯も空ける頃には、昼の絶叫応援と長距離歩いた疲れも手伝って、酩酊状態に陥ってしまった。 そろそろ帰りの飛行機の時間だ。 僕らは勘定を払ってまたびっくり。 二人で2,700円である。 大阪サイコー・大阪バンザイだ。

b0045944_1450375.jpg串カツ屋さんのおしながき
目の前で揚げてくれる串カツとたっぷりつけるソースの相性は悶絶もの 僕にとっては偉大なる異食文化との劇的邂逅であった
 空港までの所要時間を読み違え、飛行機に文字どおり駆け込んだのは出発3分前であった。 非常口そばの席に座ると、対面の席に座ったスチュワーデスの方に「長居に行ってらしたんですか? 良かったですねー。 私もホテルの部屋でユニフォーム着てずっと応援していたんですよ。」と言われた。 代表のシャツを着ているだけで日本中すべての人と同じ熱い思いを共有できたこの日の体験はとても貴重なものだった。 そんな事って滅多にあるものじゃない。 少なくとも僕が生きてきたこれまでの36年の人生のなかでは無かった。 街に繰り出した人々の多くはこの感覚を自分以外の誰かと共有し、交歓したかったのであろうと思う。 それくらいいいではないか。
 空港に着いた時ポルトガルが韓国に敗れたのを知った。 サッカーは、わからない。(2002/7/6出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-10-17 15:40 | 蹴球狂の詩
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