僕はつねづね「写真は人だ」と考えています。 旅先で撮ってきた写真を日本に返ってきて眺めると、その写真を撮った時に自分が受けた感動や印象がほとんど印画紙に定着しておらず、無味乾燥な写真になってしまうことがよくあります。 しかし、まったく知らない人でもそこに生身の人間が写りこんでいたら状況は一変します。 つまるところ都市は人間がつくりだしたものなので、そこから人間という絶対的存在をフレームアウトさせるとバランスが崩れ、リアリティーを失って記録的・絵画的になってしまうのではないでしょうか。 もちろんアンセル・アダムスのように、そこに人の存在を許さないような類いの写真もありますが、彼の場合は人跡未踏の大自然がテーマなので例外としてもいいでしょう。
この写真は僕にとっては珍しい、人のいない風景ですが、何となく気に入っている写真です。 ポンピドゥー・センター近くのカフェの軒先に旧型のシトロエンが停められています。 クルマというのは僕にとっては都市の一部でもあり、人間の一部でもあります。 いやむしろ、外見に国民性が反映し、時代とともに歳をとり、目(ライト)や足(タイヤ)がついていて何処にでも移動可能となれば後者の方に近い存在と言ってもいいぐらいです。 つまりこのシトロエンはこの写真というコンテクストの中では単なるクルマではなく、人格を持った存在なのです。
シトロエンは最もフランス的なクルマであり、アラン・ドロンの数々の映画とともに僕の脳裏に焼き付いています。 この状況を日本にそっくり置き換えれば「定食屋の軒先に停まっているトヨタ」ということになるのでしょうか。
絵葉書的と言われればそれまでですが、人が写っていなくてもそこに人の気配を感じることのできる風景は静的なものではなく、その写真が撮られた前後のシークエンスを想像させるような動的な風景となるはずです。 その点この写真は・・・。