ある意味、試合に臨む前に既に決着はついていた。 点差こそ1点だったが、一次予選のオマーン戦同様、日本とバーレーンの力の差がはっきりと示された試合だった。 むしろ怖かったのは自国の暑さと湿気でバテバテになってしまったバーレーンの選手たちではなく、バーレーンのサッカー協会により、その懐にいくばくかのオイルマネーをしのばせたであろうマレーシアのサレー主審の笛と、同様に袖の下をもらったせいか、オフサイドの判定もできないほどお粗末な動体視力のラインズマン2人だった。 サレーの野郎については昨年のアジアカップのヨルダン戦でも相当ヨルダン寄りの笛を吹いていたので嫌な予感はあったが、案の定この試合もひどいジャッジだった。 AFC(アジアサッカー連盟)はのサレーの自宅を至急調査した方がいいだろう。 きっとヨルダンやバーレーンなど中東の産油国への長年の「協力」の証として大豪邸が建っているはずだ。 幸い僕はミャンマー人のAFC理事と知り合いなので、今度彼に進言しておく。 サレーよ去れ!
それは冗談としても、昨年のアジアカップから指摘されているように、タイ人を除く東南アジアの審判のレベルのお粗末さはどうだ。 これでは公正な結果など得られようはずがない。 今日は幸いにも試合の勝敗に影響はでなかったが、このような暴挙が繰り返されれば2002年のどっかの国みたいに歴史に残る過ちが起こるのも時間の問題である。 ところでこの国、どうやら2002年のFIFAウリナラ杯ですっかり味をしめたらしく、未だにFIFA副会長(信じられない! どうせFIFAへ供出している現代マネーのせいだろうが)の鄭 夢準の内部工作でアジア最終予選にも韓国マンセーの審判をもぐりこませることに成功したらしい。 アウェイのウズベキスタン戦で後半ロスタイムに「どっからどう見ても100%オフサイドゴール(動画)」を決めてなんとかドローに持ち込んだ。 日本が審判に苦しめられているのとは対照的。 油断して韓国マンセー審判を送り込まなかったりすると、モルジブと引き分けちゃったりするので仕方ないけど。 それにしても懲りない国だ。 試合に話を戻す。 まずこの大事な試合で見事勝利をモノにした選手たちをねぎらいたい。 バーレーンの選手が疲労で動けなくなるなか、最後までボールに激しくチャージし続けた選手たちを褒めたい。 日本代表は昔からアウェイの方がいい試合をするという不思議なチームだ。 UAE戦の後に僕がオプティミスティックになれたのにはそういう理由もあったのだが、結果はほぼ「想定の範囲内」だった。 小笠原には前のエントリーで罵ったことを詫びたい。 ごめんなさい。 ただ、ゴールを決めた後は「いつもの代表での」小笠原に戻ってしまったのは残念だった。 そして今夜もあえてジーコに言わせてもらう。 加地さんをマナマに残しバンコク入りして欲しいと。 加地さんは何のためにピッチ上にいるのだろうか? 改めて考えさせられる試合だった。 もはや、バーレーンの12人目の選手(敵に寝返る)でなかったことだけが唯一の救いだ。 突破はできない、クロスは上がらない(この試合の効果的なクロスは柳沢へのグラウンダーの1本のみ)、バックパスを多用して味方の攻撃のリズムを破壊、守備では簡単に抜かれ、あいかわらず日本代表の「今そこにある危機」と化していた。 加地さんについては、つねづね僕の知っている限りの言語表現でその不要を説いてきたつもりだが、ジーコは事ここに至っても「加地さんを世界最高の右サイドバック」に育てる愚行を継続するようである。 普通なら、存在しないも同然の右サイドを補って余りある攻撃をみせるアレックスも、この日は加地さん同様まったくキレがなかった。 加地さんの場合キレ以前の問題だが、アレックスもほぼ最悪の出来だった。 反対に輝いていたのはヒデ。 試合勘が鈍っているとの懸念があったが、むしろイタリアでの疲労の蓄積がない分、逆に出来が良かった。 攻守で日本をリードした勝利の立役者と言っていい。 柳沢。 このメンバーに一番合うフォーメーションは3-6-1か4-5-1のワントップであるという理論自体、ジーコが「黄金の中盤」を使い始めた就任当初から評論家の間でも盛んに言われていたものだったが、実現したのはこの試合が初めてだった。 そしてそれは、最前線で張りながらシャドーストライカーにしかなれないこの選手の悲しい特性がもたらした副産物であったかも知れない。 この試合、日本の攻撃が一気に活性化したのは柳沢の存在によるところが大きい。 中澤。 いつもどおりの完封だった。 高さのあるバーレーンは、日本の中盤の早いつぶしでパスをつなげなくなり、後方から放り込む作戦に終始したが、ボールの放り込まれた先には必ずこの男が立ちふさがった。 なかでも空中戦は完勝、もはやアジアでは屈指のディフェンダーと言っても過言ではない。 さて、最終予選通過まであと勝ち点1となったわけだが、次の相手は無法国家・北朝鮮である。 同じ日にテヘランで行われたイラン戦では監督がファビョって退場になった。 観客も選手も監督も、すべてが完璧にファビョるお国柄のようだ。 したがってバンコクでの無観客試合は、彼らにとって無監督試合ともなる。 もうほぼW杯の望みを絶たれた北朝鮮に日本がしてやれること、それは完膚なきまでに叩き潰し、ナントカ体育団のふがいなさを世に知らしめて、激怒した将軍様の脳の血管が切れるぐらいの逆鱗に触れさせ、脳内出血で逝ってもらうことだ。 それによって国家は崩壊し、日本人拉致被害者は即時解放されるだろう。 北朝鮮よ、バンコクが君らの墓場となる。 本国よりはよっぽどマシだろう。 選手たちは日本に叩きのめされた後は工作員よろしくタイに浸透するがいい。 その時既に君らに祖国はないのだから。 FAIR JUDGEMENT PLEASE !! 知らされなかった韓国サッカーの裏側
by theshophouse
| 2005-06-04 04:16
| 蹴球狂の詩
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