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近頃流行りの外食店について考えた
 これは自分がインテリアデザイナーだったせいなのであろうが、ある時突然デザイナーが変に頑張ってデザインしている店などに自分の身を置くことが生理的に嫌になった。 物販店ならまだしも、入ったら最後ある程度の時間その空間に身を置くことを余儀なくされる飲食店の場合はなおさらである。 本当に優秀なデザイナーとは、物販店であればそこで売られている商品を、飲食店ならそこで饗される料理を引き立たせるように空間をデザインすべきであると考えるが、ときにデザイナーは自らのデザイン・スタイルを強要したり、実際の商品や料理を過剰に誇張したイメージを押し付けたりすることでデザイナーとしての自らの存在証明を残そうとする。 そんな空間に置かれることは僕にとって迷惑以外の何ものでもない。 いつしか僕の足はそうした店から遠ざかっていった。
 僕が普段利用する食事のおいしい店の多くは内装などにはあまり気を使っていない店が圧倒的に多い。 しかしながらそうした店に入り、何気なく見つめるテーブルのメラミン化粧板の柄や壁紙のパターン、無造作に選ばれたであろう業務用の椅子や時代遅れのシャンデリアなどのひとつひとつは、不思議とあるレベルでの美的均衡状態にあり、そこに居て不快に感じることはない。 それは選ばれた物たちが僕に何も強要してこないからだ。 逆接的な言い方になるかも知れないが、心地よくデザインされた店とは、このような美的均衡状態のレベルを上げてやるだけでいいのかも知れない。
 仕事がら新しくできたレストランなどの物件に立ち入る機会が多い。 どの店もおしなべてデザイン的なレベルは高いのだが、まるでデジャ・ヴを見ているかのように似た店ばかりで個性のかけらもない。 ふと気がつくと、かつて僕が入るのをためらったような品の悪い店はすべて淘汰され、品の良い店ばかりになってしまっている。 なぜこのような状況になってしまうのかを考えてみると、そこにはバブル経済の破綻以降の経済的要因も多分に見て取れる。
 バブル以前はデザイナーとオーナーとの間にある種の距離があった。 そこにはお互いの仕事の領分を汚さない紳士協定とでも言うべき緊張関係があったと言ってもいいかも知れない。 そうした関係が非常にうまくいくと、店のデザインと料理はお互いに触発され合うことでより高い次元に達し、デザイン批評家から高い評価を得て、営業的にも成功をおさめた。 ところがやがて訪れたバブルの狂乱のなかで、こうした両者の関係の中に空間プロデューサーなる第三者が介入し、事態は複雑化した。 本来シンプルであった関係が、この時代特有の企画コンシャスな風潮に流されてしまったのである。 結局空間プロデューサーという人種はバブルの崩壊とともに絶滅し、あとには壊れたデザイナーとオーナーの関係が残された。
 マイナス成長(へんな言葉だ)の時代に突入して、オーナーは博打を打てなくなった。 店の成功はもはや最低条件である。 市場を調査し、流行りの料理を出し、洗練されたデザインを採用し、オペレーションにも気を配る。 デザイナーにはオーナー的思考が求められる。 両者は店の成功のために机を並べて協議し、成功する店づくりについて考える。 その思考が市場という出発点に依拠している限り、出来上がってくる店は必然的にどれも似たものになってしまう。 歴史的にも芸術家やデザイナーを育ててきたのは富裕なパトロンだったのだが、今この国には気骨のあるパトロンは少ない。 僕がデザイン過剰としてきた空間の多くはこうしたパトロンの存在なくしてはあり得ないものだ。 それは僕にとっては心地よいものではなかったが、必要悪でもある。 どれもこれも似たような店ばかりだなんて、まるでどの店もどこかの外食チェーンの系列店みたいで背筋が寒くなる。
 そうした店で出される料理の傾向として圧倒的に多いのが創作料理である。 創作こそは料理の基本であり、それを否定するものではない。 しかし、僕個人は創作料理全般が大嫌いだ! 既存のレシピと何ら変わらないのに奇妙な盛り付けで客を騙そうとか、突飛な名前で料理の貧弱さを悟られないようにしようというものが多すぎるのである。 こうした傾向は創作和食ダイニング系の店に特に顕著だ。 僕もこうした店に騙されてたいして旨くもない料理に法外な金を払わされた。 「ベトナム風生春巻き」、ありがちなメニューだが、そもそも創作料理系の店のメニューに頻繁に見られるこの「風」は何なのか? なぜ「ベトナム生春巻き」ではいけないのか? 僕は、もう~風とか言っている時代じゃないと思うのである。 そもそも~風などという言い回しは~というものが一般によく知られていない場合において、イメージを共有するために用いる言葉であろう。 僕の知り合いでベトナムに行った人も多い。 誰もが本場の「ベトナム生春巻き」を食べている時代に「ベトナム風生春巻き」はあり得ない。 無論この種の言葉の元祖である「和風」という陳腐きわまりない言葉もいいかげん死語に選定すべきだ。
 僕は、こと食べるものに関しては出所のはっきりしているものだけを食べたい。 「イタリア風雑炊」や「タイ風ピリ辛ブイヤベース」ではなく、リゾットやトム・ヤン・クンが食べたいのだ。 だから僕はこうした創作ダイニング系の店には絶対に行かない。 ~料理とはっきり看板を掲げている料理店、~料理とはっきりカテゴライズできるものを出す店にしか行かないようにしている。 これは哲学の問題である。(2003/3/15出稿を再録)
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by theshophouse | 2004-12-05 00:39 | Food | Comments(0)
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